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日本の土壌と文化へのルーツ⑰ 生薬の“人事”

 

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

人体は小宇宙?

「人体は小宇宙である」という言葉を聞いたことがある方もいるかもしれない。何となく聞いて、流されてしまう箇所なのだが、東洋医学では“真剣に!?”この世界観に向き合ってきた。それをうかがわせる箇所の中で、生薬に関係するものを取り上げてみたい。

『和漢三才図会』という江戸時代の書物がある。世界にある森羅万象を、東洋思想の中で描いた百科全書である。三才とは天・地・人、つまり地球外を含む気象、地象という上下を構成している外の自然、さらに人体という内なる自然に関するすべてを記載している。その中では、世界観は人体観と整合しているために、東洋医学を行う上で非常に参考になる。当時のものの考え方が浸透しているために、『和漢三才図会』を精読することで、現代医学の考え方では咀嚼しきれない部分を学ぶことが出来るのである。

粘菌の研究者で知られる南方熊楠は、『和漢三才図会』を筆記し、暗唱出来るまでにしていたという。徹底して東洋の自然観を身に付けた後に、英国に留学して西洋の科学的手法を学び、natureなどに多数の論文を投稿するまでになっているのはご存知の通りである。大局を学ぶことはまた分析的な研究にも必要な素養なのである。

生薬は梁山泊

生薬とは、厳しい自然の中で育った野生種が最もよい。快適な環境において同じ品種を育てても、薬局方に適う十分な薬効成分が育たないことがある。甘草はその例で、中国の西北の砂漠に近い新彊やモンゴルなどを好んで生育するために、寒冷刺激、乾燥に非常に強い。甘草は、この条件下を生き抜くために、地下水を求めて急速に地下茎を伸ばすのである。薬効はこの地下茎に多く含まれている。過酷な環境で生き延びるために植物は様々な工夫をするのである。

それでは、甘草を高温多湿な日本で育ててみたらどうであろう。水やりは必要なく、執拗に行えば枯れてしまう。その点に気を付ければ栽培は可能である。しかし、薬効はどうだろうか。そのまま育てれば急速に地下茎を伸ばす必要もなく、グリチルリチンの含有量は減弱する。そこで、敢えて斜面や斜めに刺して植えることで、甘草に負荷をかける。ある種の薬効を生むためには、自然は甘やかしてはいけない、むしろ過酷さが必要なのである。これは人間社会でも同じかもしれない。試練の中でしか、得られないものも多くあるのである。

自然界の中でも、過酷で特殊な環境で生育する代謝系を開発した植物は特別の薬効を有している。それは植物界における“極めて個性豊かな人たち”、水滸伝で登場する梁山泊なのである。この梁山泊の無秩序さをうまく扱うにはどうしたらよいであろうか?

それは世の中でいう“人事”である。その人事の最高の組み合わせが、現在残っている漢方薬なのである。また漢方薬はレシピである。というのも、複数の生薬の組み合わせで漢方薬は出来上がっているからである。無数の組み合わせが可能なのだが、やはり経験的に効果の高いものが淘汰され、残ってきた。

例えば、2000年前の感染症に用いられ、現在も尚、インフルエンザなどの感染症に臨床応用されている麻黄湯という漢方薬を見てみよう。

4つの生薬の配合で出来た麻黄湯

麻黄湯とは、名前の通り麻黄という生薬が主な薬効の中心である。他に杏仁(アンズの種)、桂枝(ニッケイの若い枝)、甘草の組み合わせになっている。

麻黄は昇圧作用と止咳作用を有するエフェドリンを含有しており、この4つの中では最も個性が強い。交感神経賦活作用があり、あまり量を増やし過ぎないように注意すべき生薬である。杏仁は、果実として食する果肉ではなく、果肉の中心にある種子を生薬として用いる。種子の堅い殻を割ると、アミグダリンという青酸配糖体などを含んだ部分が現れる。ここを生薬として用いる。杏仁にも止咳があり、麻黄と合わせることで、止咳効果は強化される。東洋医学では、これを相須という。似た強みを有する二人を組み合わせる“人事”である。

桂枝はシナモンで知られる香味料の原木であるニッケイの若枝をいう。桂枝は麻黄と同様に解表剤という体表部の発汗剤であり、同じグループに属する。しかし、麻黄の行きすぎやすい発汗作用を緩和される作用を有している。単独で麻黄を使うと薬効はシャープだが、桂枝を合わせることで、薬効は緩和させて、副作用の発生を防止するのである。個性の強い麻黄を、ライバルである桂枝が牽制する“人事”である。

甘草は、“国老”と呼ばれる経験豊かな調整役である。体液を保持し、強い生薬群の全体の作用を緩和させ、甘さから内服しやすくする作用がある。(点滴のない時代には、甘草の強い体液保持能力は貴重であったと思われるが、補液の可能な現在では、その主作用は偽アルドステロン症のように副作用として認識されてしまっている。)血気盛んな若者だけでなく、経験ある温和の年長者を組織に入れるという“人事”である。

東洋医学の生薬の世界には、人間社会で行われるような“人事”が繁栄されているのである。

生薬における攻撃と守り

体内に入り込んだ病源体(東洋医学では広く“病邪”と呼ぶ。)を抑え込んだり、排除する治療法を、東洋医学では“瀉法”と呼んでいる。西洋医学における抗生物質や抗腫瘍薬はいずれも、東洋医学の眼で観れば“瀉法”である。

一方、身体の防御力を強化しようという治療法を“補法”と呼んでいる。近年、西洋医学でも免疫療法などが言われるようになったが、 “補法” は、東洋医学の強みでもあった。また、毎日の食事、食養生は“補法”である。

東洋医学では、医と食とは、瀉と補を兼ねた健康法である。

瀉と補を調節しながら、身体のいう舞台の平和を試みる。これが東洋医学の臨床である。しかし、東洋において、真の医療は社会の病を治療することとされていて、“国”を治療することが最も優秀な医療であると考えられている。一人の身体の治療から、人類という全体の治療へと、地球規模にまで、一貫した論理の中で視野を広げていくのである。そして、その中核にある考え方は“人事”“瀉(攻撃)”“補(守り)”であり、個々の人体といえども、人間社会の縮図と考えているのである。

人体内における“和解”

身体という世界の平和をどう作り上げるか、これが臨床の目的である。しかし、 単なる“瀉(攻撃)”“補(守り)”の二元論であれば、結局は争いになるのではないであろうか?

慢性化し膠着した病態に対して、試みられるのは、“和解”と言われる治療法である。人間社会の中で、和解という話し合いは存在する。しかし、生薬を用いた治療法での“和解”とはどのようなものであろうか?

東洋医学では、人体の機能を5つに分類し、その相互関係のバランスで身体機能の恒常性が保たれていると考えている。肝・心・脾・肺・腎と臓器の“符号”がつけられている。これらは解剖学的な臓器とも関係なくはないのだが、そのイメージが強すぎると混乱を生む。むしろ5つに分けるための“符号”と考えた方がよい。その5つはお互いの機能系統の低下を補い合い、亢進に対しては牽制し合っているのである。人間社会にも個々の人間の性格が違うように、5つの機能系統にも性格がある。例えば、世の中には、温和な者、冷徹な者、積極的な者、消極的な者などがいる。5つの系統に対して、性格と職務から、心は君主、肺は宰相、肝は将軍、脾は蔵相、腎は兵力と比喩されている。脾と腎は兵站という後方支援に関わっている。東洋医学において、身体の機能はそのまま、人間社会の組織の縮図である。(東洋医学で最も難しい概念と言える。しかし学ぶにつれてそう比喩するしかなかった身体の複雑な事情も見えてくる。ここでは5系統の相互依存関係を知っていただければと思う。)

“和解”はその性格の特徴を生かして行われる。肝の機能系統は感情の処理を含み、環境ストレスにより機能亢進しやすい。それゆえに将軍という名がついている。高ぶった肝の系統は消化器を含む脾の系統を抑制し機能を低下させる。行動的で行きすぎ将軍を抑え、大人しい蔵相、後方支援の権限を強める。これもまた“人事”である。

その人事を体外から行う方法の一つが、生薬の組み合わせを用いた漢方薬である。

高ぶった将軍を冷静にするのが、柴胡、黄芩という生薬群である。また蔵相の権限を強めるのは、人参、生姜、甘草といった生薬群である。これらを合わせて出来たのが小柴胡湯という名の漢方薬であり、和解剤の一つでもある。機能系統の調整剤なのである。

小柴胡湯は、医師という第三者の眼を借りて、身体に送り込まれる“使節団”とも言えるであろう。徹底攻撃で病原も身体も叩くのではなく、防戦一方で勝算がないのでもない、第三の道の内部調整を試みる。“和解”とは東洋医学ならではの特徴である。

他にも、“スパイを送り込む”といった治療法など、非常に人間臭いものもある。東洋医学では、人体は小宇宙であり、あらゆる縮図であるという前提があり、人間社会におけるマクロな仕組みもまた、ミクロの人体にも応用できると考えているのである。

食からは、どう調整するのか?

生薬は植物の中でもひときわ特徴のある薬効を有する“梁山泊”であった。日常摂取する食材は、性格の温和な友人のようなものである。長く付き合うには自分に合った友が必要である。体調の調整に味覚を重視している。酸・苦・甘・辛・鹹(塩辛い)の5つの味はそのまま5つの機能系統のそれぞれを調整する働きがある。将軍を抑え、蔵相を強める人事は、酸味と甘味の配合である。

結語

東洋医学では徹底して「人体は小宇宙である。」と考えていた。例えば、人体という小宇宙は、天人地でいう人、つまり人間そのものとその人間のつくる社会と同じように考えられてきた。人間社会で行われる調整の仕組みは人事であり、人体においても人事がある。そして生薬の一つ一つもまた、“生きた薬”であり、人々と同様に性格がある。そしてその配合は“人事”である。その“人事”のパターンは無数にあり、身体内の病態、5つの機能系統のバランスに合わせて調整される。東洋医学には、“人事”には、攻撃、守備以外に和解という独特の治療法があり、慢性化、膠着化した場面で力を発揮する。小柴胡湯がその一つの例である。

このような考え方は、現代医学の概念と大きく異なるため、理解し難いかもしれない。また、東洋医学を分かりにくくしているともいえる。しかし、臨床上で患者の訴えを聴き、丁寧に診察することで見えてくるものがある。

東洋医学は、一旦習得すると世の中の全てのことが、一貫して見えてくるのである。人体という小宇宙を理解することは、外なる自然である人間社会、自然界の気象を理解することにつながる。そのように、東洋では一貫した論理を形成してきた。これは医学の技術論にとどまわらない本当に深い学問分野ではないであろうか?

Abstract

Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol; 17

Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine, 2016

Clinical & Functional Nutriology 2016; ()

In Oriental Medicine, a body is a small universe. This small universe is the human in the celestial land, which translates into the notion that a man and the society that men creates are regarded in the same light. The system of regulation in a society is the personnel, or, the human resources, and this also happens within our body. The herbs also are a “living drug,” having individual characters much like humans. The combination of, is therefore, akin to allocating adequate resources. The numerous patterns of this resource allocations are determined by the state of the disease and the balancing of the 5 functional schematics.
In Oriental Medicine, this regulation has 3 sections; offence, defense, and a unique treatment system of reconciliation. This last idea is most effective in treatment of chronic disease and adhesion. xiao‐chai‐hu‐tang is one such example.
Such theory is quite alien to ideas of modern medicine, and what makes oriental medicine difficult to understand. However, through interviewing patients and carefully examining their conditions in a clinical setting, one starts to get a glimps. Oriental Medicine enables physicians to see the coherency of the world at large, in that, by understanding the small universe of a man’s body, one’s society and the surrounding nature with its various weather can also be comprehensible. In the orient, we have constructed such coherency and continuity. Is this not a discipline with greater depth than that ends with the technical aspects of the medicine?

In Oriental Medicine, a body is a small universe. This small universe is the human in the celestial land, which translates into the notion that a man and society are regarded in the same light. Where society is regulated by human affairs, the same “allocation” principle regulates our body. Herbs also are a “living drug,” having individual characters much like humans. The combinations are therefore akin to allocating adequate resources. The numerous patterns of combinations are determined by the state of the disease and the balancing of the 5 functional schematics.
In Oriental Medicine, this regulation has 3 sections; offence, defense, and reconciliation. This last section is most effective in treatment of chronic disease and adhesion. xiao‐chai‐hu‐tang is one such example.
Such theory is quite alien to ideas of modern medicine, and what makes oriental medicine difficult to understand. However, through interviews and careful examination of patients and their conditions in a clinical setting, one starts to get a glimpse. Oriental Medicine enables physicians to see the coherency of the world at large by understanding the small universe of a man’s body. In the orient, we have constructed such coherency and continuity. Is this not a discipline with greater depth than that which ends with the technical aspects of the medicine?