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日本の土壌と文化へのルーツ㉓ 乳製品と東洋医学
東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎
乾燥地の生きる知恵
動物の家畜化も搾乳も西アジアが発祥と考えられている。1)
中央アジアを大きく蛇行するアムダリアという大河が、カスピ海に注ぐあたりのマルグシュという古代遺跡がある。この辺りはゾロアスター教が影響しているが、神酒として、麻黄、芥子、大麻をミルクに入れて発酵させたものとされている。2)
世界的見れば、乾燥地帯の人々が乳加工文化を育ててきた。
「世界は広大で、多様性に満ちています。ヨーロッパで作られた世界地図では、日本は世界の片隅に位置しています。そのヨーロッパも、世界全体から見れば、湿潤冷涼という世界の一部のやや特殊な地域です。世界の広大な面積を占めているのは乾燥地帯です。乾燥地帯とは、降水量が少なく、その多くが蒸発や植物の蒸散によって失われ、土壌水分が少ないため、植物がほとんどない砂漠や樹木の乏しい草原などの景観を呈する地域のことです。」1)
「アフリカ北部から西アジア、南アジア、中央アジア、北アジア、チベット地域に乾燥地帯が広がっています。国連の集計によると、乾燥地帯は陸地面積の約37%を占めていると報告されています。実に世界の三分の一は乾燥地帯ということになります。」1)
「この水資源の制約が大きい乾燥地帯で、作物栽培よりも家畜飼育への比重が高まり、ミルクに依存した生活が成り立ってきました。」「(15世紀の時点で乳利用が行われてきた地域は)搾乳地帯と乾燥地帯がよく一致していることが分かるでしょう。この広大な乾燥地帯では、主に牧畜民たちがミルクを加工して、多様な乳製品をつくり、利用しているのです。現代日本の乳製品に大きく影響してきたヨーロッパの乳文化は、ほんの一部でしかありません。」1)
「世界での家畜化の開始は紀元前8700~8500年、搾乳の開始は紀元前7000~6001年とされています。」1)
ミルクとは白い血
東洋医学では、母乳は白い血と呼ばれている。
ミルクは血液と外観が異なり白い。そして、ミルクは完全栄養食ではあるが、鉄とビタミンDが不足している。
「ビタミンDは太陽に当たることにより皮膚でコレステロール代謝由来物質(プロビタミンD3)から合成され、補給されることになります。鉄分は、生まれてくる赤ちゃんの肝臓に貯蔵されています。」1)
東洋医学的に白い血と呼ばれているのは、赤血球中のヘモグロビンの鉄ではなく、母乳に含まれる豊富な栄養素の方を血と比喩しているのである。
実際にミルクは血液を濃縮した液体ともいえる。
「ミルクの成分の多くは、乳腺で血液から合成されます。ミルクは母体の血液からできているのです。1) 例えばウシの場合、1ℓのミルクを生産するのに約500Lもの血液を費やします。実に約500倍もの血液を必要とするといわれているのです。」1)
東洋医学では、麦芽は、乳汁分泌を促進する作用とされている。もともと種子は次世代のために栄養を蓄えている。しかし逆に多量に使うと回乳(乳汁分泌を抑える)作用となり、ネガティブフィードバックのような仕組みを有している。
白い血は熱中症によい?
中国に清代に出来た南方の熱性感染症の治療マニュアルである『温病条弁』には、牛乳飲という処方がある。牛乳は栄養価が高く、血虚という栄養不足の状態や、津液という体液を補充し、身体の熱感を取るのに優れている。中国では漢民族の中では乳製品の文化は発達していないが、熱病の病後には有効として用いられていた。
ミルクの成分の特殊性
「ミルクには水分が87.7%、固形分12.3%(脂質3.8%、タンパク質3.0%、糖質4.4%)を含んでいる。脂質のほとんどはトリグリセリドである。タンパク質は3.0%の内、2.3%がガゼイン、0.7%がホエイタンパク質と呼ばれ、いずれもミルク特有のタンパク質である。トリグリセリドはクリーム、バター、バターオイルの主成分である。ガゼインは熱には強いが、酸度が増すと、沈澱する性質があり、チーズの主なタンパク質である。また、ミルクの白さはガゼインが微小なミセルをつくり、コロイド状に分散しているために生じている。ホエイタンパク質は熱に対して不安血で、酸度を増しても沈澱しない。免疫グロブリンなど抗炎症作用を有する機能性のタンパク質が多く含まれている。」1)
「牛の血液中の糖類はブドウ糖で、約0.05%しか含まれないが、乳の中の糖は乳糖で、約4.9%も存在する。」3)
このようにミルクは、血液の糖質が濃縮されて、ミルクにしか存在しない乳糖という形態をとっているのである。
「糖質のほとんどは乳糖で、脊椎動物では哺乳動物のミルクにしか含まれない特殊な糖質です。乳糖は、牛乳成分中で最も多い物質です。乳糖は、子にとっては、小腸で生産・分泌される消化酵素で分解され、吸収されて貴重な栄養源になります。しかし、ほとんどの人は、大人になると小腸で乳糖分解酵素(ラクターゼ)が生産・分泌されなくなり、小腸で乳糖を分解できなくなります。大人になってミルクを飲むとお腹がゴロゴロするのはこのためです。乳糖を消化できず、小腸・大腸に常在する微生物が乳糖を利用して発酵し、水素ガスなどが発生してしまうためのです。また、乳糖が分解・吸収されずに大腸に送られると、乳糖が大腸での水分吸収を妨げるように作用し、大腸内に水分が残りがちとなり、下痢を引き起こしてしまうのです。これらの、大人になって乳糖がラクターゼによって分解されないことで生じる症状を乳糖不耐症といいます。」1)
これを遅発性乳糖不耐と呼ぶが、人種差がある。
遅発性乳糖不耐
ラクターゼの活性は、乳幼児では高く、成長するにしたがって低下する。しかし、この低下には人種による差がみられ、「一般的にコーカソイド系(主として白色人種)ではラクトースをうまく消化することができるが、我々モンゴロイド(黄色人種)やセム人種(エチオピア人など)は、ほとんどの大人でラクターゼ活性は低い。」3)
この理由として、ミルクを飲む習慣のある文化では、ラクターゼ活性の有無によって淘汰が行われてきたのではないかという説がある。3)
「しかし、大人になってミルクが飲めなくなるのは、進化の過程上、むしろ正常なのです。ミルクは、あくまで子のために母が生み出す栄養素であり、大人のために進化してきた物質ではないのです。逆に、大人に利用されるのをさまたげ、子のみ利用可能な食物にした、それがミルクなのです。大人になって、ミルクを飲むと下痢をしてしまうのは、むしろ自然な現象といえましょう。」1)
乾燥地でミルクを大量に扱う文化では、ミルクを乳製品に加工する。これには保存食としての意味もあるが、成人のラクターゼ活性の低下に対応する意味もあるという。
「(シリア内陸部のアラブ系遊牧民、バッガーラ)は、ミルクをそのままではほとんど飲まず、ヨーグルトなどに加工して、日々の食事に利用すると共に、搾乳できなくなる時期への保存食にしているのです。ミルクを直接飲んだり、そのまま食事に利用したりしないのは、ミルクを保存食の加工により多く用いるため、そして大人になると乳糖を消化酵素で分解できなくなる乳糖不耐症が大きく影響しているとも考えられます。」1)
加工した乳製品であれば、成人のラクターゼ活性の低下にも対応できるという訳である。乳製品とは、保存的意味と乳糖の分解能低下の双方を実現した食物なのである。
乳加工
ミルクを加工することにより、乳糖は除去される。
「成分的にみると、乳加工は乳脂質と乳タンパク質をいかに分離するか、乳糖をいかに排除するかのプロセスともいえます。ただし、乳糖は乳酸発酵させてヨーグルトの状態にしてから利用したり、アルコール発酵させて乳酒にして利用されたりすることはされています。」1)
「乳脂肪は、ミルク中に、脂肪球膜に包まれて存在しているが、比重が小さいのでミルクを器において静置しておくと、表面に浮上してきます。これをすく取ったものがミルクであり、攪拌や振盪により脂肪球膜を破壊し、内部の脂肪を放出させ、脂肪のみを集めたものがバターです。1)
チーズの加工にはタンパク質のガゼインが関係している。ヨーグルトや有機酸を加え、酸度をpH<4.6前後に下げてイオン結合を切ったり、レンネットという子畜の第4胃の粘膜で盛んに構成される凝乳酵素を加えてガゼインの一部を分解する方法がある。1)
乳加工法は、民族植物学者の中尾佐助氏によれば、4つの系列があるとされる。
反芻動物と4つの胃
第4胃とは乾燥地に住む家畜が4つの胃を有しており、口側から第4番目のものをいい、人間の胃に相当するものである。
子畜の第4胃の粘膜で盛んに構成される凝乳酵素を、人間に例えるならば、母乳を、胃液の中のタンパク分解酵素であるペプシンを使って、チーズに加工するようなものである。
乾燥地に適する家畜には、特異な胃が他に3つ存在し、人間にはない消化機能を有している。
「家畜化された動物は、乾燥地に適している。その理由の一つとして、ウシ、ヒツジが反芻動物と呼ばれ、4つの機能の異なる胃を有していることが挙げられる。」1)
「反芻とは、胃の内容物を少量ずつ吐き戻して再咀嚼する生理現象をいいます。ウシやヒツジが草原に寝そべり、口をモグモグさせているのが、それです。反芻動物は、主に第一胃の中に細菌類や原虫類を生息されているため、胃が一つしかない動物(単胃動物)では消化しにくい植物繊維(セルロース)なども消化し、栄養素を吸収することができます。だからこそ、草だけ食べていても、ウシのような大きな身体を維持でき、大量のミルクも生産することができるのです。乾燥地などで家畜が、栄養素の低い植物だけに依存して生きていける理由がここにあるのです。」1)
乾燥地の草も、ウシにとっては豊潤な栄養食品に見えていることであろう。しかし、反芻に日中の6-10時間余りを費やさなくてはいけない。この牛の尋常でない苦労が、大量の乳の中に生かされているという訳である。
動物の温性と寒性
東洋医学では、動物のそれぞれに寒熱の性質を当てている。特にヒツジは熱性の動物であり、羊肉は冷えた身体を温めるのに最適とされている。実際に、家畜の中でも、ヒツジ・ヤギのほうがウシよりも、高温で乾燥した環境に強い動物である。
また、ミルクの成分は動物によって異なっている。
「ウシのミルクは乳脂肪率が3.9%ですが、スイギュウは乳脂肪率が7.4%もあります。ヒツジも乳脂肪率が7.2%もあり、多くの牧畜民がウシよりヒツジのミルクを好む理由がここにあります。馬は、乳脂肪も乳タンパクも含量が低く、その代わりに乳糖が6.2%と高くなっています。ウマの乳が乳酒にもっぱら用いられる理由は、この乳糖の含量が高いことにあるのです。乳酸発酵もアルコール発酵も、微生物は乳糖をもとにして発酵するのです。他のミルクに比べてアルコール発酵しやすく、乳脂肪も乳タンパクも含量が低いため、でき上ったお酒は喉ごしすっきりなのです。また、ヤクのミルクも乳脂肪分が高く、高地のチベットの人たちが重宝がるのも理解できます。」1)
このことから、羊乳の有する熱量も他のミルクよりも高いことが分かる。東洋医学では経験的にヒツジが熱性であることを知っていたのである。
日本と乳製品
古墳時代に乳製品は薬として五臓を助けるとされ、飛鳥時代には、酥(そ)というバターやバターオイルに相当する乳製品が貴族の間では食されていたという。ウシのミルク由来と考えられている。関西を中心に広がっていたという。
奈良時代には、蘇(そ)という乳製品があった。これは牛乳を加熱攪拌してから一夜放置し、上に出来た凝固物を再び加熱して濃縮しクリーム状に仕上げたものである。幻の古代乳製品で最上とされる醍醐は、蘇をさらに加熱した熟蘇という説がある。3)
「乳製品はあくまで貴族のためのものでした。この乳製品の利用も鎌倉時代中期以降に終わりを告げます。地方から献上される蘇の遅延や品質の低下が生じ始め、南北朝の戦乱で完全に乳文化は日本から消滅してしまうのです。乳製品が大衆の人びとの食べ物ではなかったので、戦乱が激しくなっていくと、簡単に消えていったのでしょう。」1)
日本の乳製品の定着はごく最近のことである。
結語
哺乳類の名の由来であり、進化の大元である乳腺は奇妙な器官である。
「乳腺は、皮膚の汗腺から発達した器官であるとされています。脊椎動物は、血液中の不要な物質を、汗腺から体外へ放出します。つまり、脊椎動物の進化の過程で、血液の老廃物を汗腺から分泌・放出するしくみを使って、血液中の栄養素を泌乳(ミルクを分泌すること)・哺乳するように変化していったのです。」1)
「哺乳という、子に食料を与える方法は、自然環境の変化に影響されにくくなります。幼い子の唯一の食料となるミルクは、自然環境が悪条件になったとしても、母体から血液を介して合成されます。」1)
白い血としての乳は、自分の子を養うだけでなく、特に乾燥地の人間が生き抜くために不可欠な飲料であった。また、その加工品は保存食として、また成人のラクターゼ活性低下対策にも一役買ったのである。
参考文献
2)加藤九祚:シルクロードの古代都市 アムダリア遺跡の旅,岩波書店(2013)
3)伊藤宏:食べ物としての動物たち,講談社(2001)
Abstract
Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine, 2016 Clinical & Functional Nutriology 2016; ()
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