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感謝、感謝、感謝

投稿日:2014年03月18日00時00分|投稿者:管理者|カテゴリー:未設定

本日、次年度、CNS実習でお世話になる病院へ伺い、実習について打ち合わせを行ってきました。
そこは、私自身も16年前にCNS実習でお世話になった施設でした。そして、あの時と同じがん看護CNSの方が出迎えてくださいました。

あの頃と変わらず、つねに大きな視点でみてくださる姿勢に、本当に癒されます。
がん看護CNSとして超ベテランであり、なんといってもエキスパートであられるため実習依頼も多いのですが、本学のコースを受けてくださいました。
本当に、感謝、感謝、感謝であります。

私たちが大学院生だった当時は、国内にがん看護CNSは5名しかおらず、いろいろなことをこの方々から教わりました。そして、領域を超えて、精神看護CNSの方々にもお世話になりました。

大学院で学ぶということは、「学問」を修めにきているので、そこにはボーダーはありません。就職してしまうと、なかなか他施設へ出入りするには難しいのですが、「学生」としてですと、それがパスポートになり自由です。

せっかくの機会ですので、いろいろな人と出会い、いろいろなことを経験し、いろいろなことを学んでほしいと思います。すべては財産になるので。
当時は大変でしたが、やはり「学生時代」がうらやましいですね。
また、4月がきます。新たな出発ですね。がんばりましょうね。

今日、この日を

投稿日:2014年03月11日00時00分|投稿者:管理者|カテゴリー:未設定

2014年3月11日、あれから3年の時間が経過しました。

2011年3月11日午後2時46分、忘れられない、あの恐怖。当日、とある高層ビルの17階にいた。初めは高いから揺れるのかと思っていたら、そうではなかった。このビルが崩れて、自分はこれで死ぬんだと思った。恐怖のあまり思考回路が止まっていた。それでも、最後に家族の声を聞きたいと思ったが、携帯電話はつながらない。さよならも言えずに死ぬのか、と考えると、最後に何を話したかな、と思い起こそうとしても、やはり思考がまとまらない。死ぬかもしれないと思っているのに、今後は高いビルには行かない。飛び降りても骨折ですむような高さにしか行かない、と今後について考えている自分がいる。冷静ではいられなかった。

第1波、第2波、第3波ぐらいで、ようやく揺れがおさまってきて、急いで非常階段をかけおりた。外は人でいっぱいで、ガス臭く、かなり慌てていたが、地上に足がついていることを確認でき安堵したことは鮮明に覚えている。

翌日は、入学試験日(前任校)であった。自宅は埼玉で遠いので帰宅することはかなわないだろうと思い、まずは職場に戻らなければと歩き始めた。道路は車で渋滞し、歩道は人であふれていた。歩いて、歩いて、歩いて、途中でコンビニにあるだけのおにぎりなどを調達し、また歩いた。

3時間ほど歩いて、ようやく職場についた。大学内も混乱していた。幸い、研究室内の棚の向きが功を奏したのか、本棚は倒れていなかった。すでに、下見に来ている受験生がいるので入学試験は実施予定であるとのこと。

大学についてワンセグを見せてもらって、ようやく地震がどこでおき、津波の被害が大きいこと、などの情報を得ることができた。歩いているときは、何もわからなかった。携帯もつながらなかったので、渦中にいると情報が得られないことを痛感した。

調達した食料を皆で分けて食べて、研究室の椅子を並べて横になった。が、眠れない。夜中もずっと大きな揺れが続き、地震速報で携帯電話が常に「ギュッ、ギュッ」と鳴っていた。本棚は倒れないだろうか、建物は崩れないだろうか、と神経が高ぶっていた。

朝になって試験会場(東京西部)まで、動いている路線を乗り継いで3-4時間かけて向かった。仕事を終えて、4-5時間かけてようやく帰宅した。携帯がつながり、単身赴任中の家族の声をようやく聞けた。安堵した。

私の長い30時間は終わった。しかし、日本はそこからが始まりであり、まだ終わっていない。
医療者として、国民として自分は貢献できているのかわからない。
あの日、ビルが倒壊せず生かされたことに感謝し、人生の時間をきざむことができていることに感謝である。