#5 妊娠検査薬ー今昔物語

妊娠検査薬が手に入らなかった時代

私は1990年に医師になりました。現在のような初期臨床研修制度はなく、医師国家試験を合格したらすぐにどこかの診療科を選択する時代でした。
そんなご時世でしたので私は医学部を卒業後、すぐに産婦人科に入局しました。
実は私が入局した頃、まだ妊娠検査薬の一般発売は認められていませんでした。
つまり、女性が「妊娠したかもしれない」と思ったら、「妊娠検査」のために産婦人科を受診する必要がありました。

「生理が来ない」が主訴

当時は妊娠検査薬も手に入りません。
ですので、「生理(月経)が来ない」ということで産婦人科を受診しようかと思案した上で患者さんが受診されるのが当たり前でした。
問診をとっている際に、「私は妊娠しているですか?」という質問を受けることがありましたが、「今から尿の検査を行いますので、診察の際にお伝えしますね」という流れが普通でした。
今では、妊娠検査薬で陽性、という主訴(患者さんが訴えること)が一般的になっていますが、当時は、「私は妊娠したのだろうか」と不安を抱えながら受診される方が大半だったと思います。
それでも、まだ1990年頃は、病院内で使用できる妊娠検査薬がありましたので、受診された段階で、検査薬が陽性か陰性か、という判定ができました。
ただ、患者さんにとっては、診察室に入って初めて目の前で見せられる、妊娠検査薬の判定の結果は、気が気でなかったんだろうな、と思います。

妊娠検査薬がない時代

もっと時代をさかのぼって妊娠検査薬がない時代はどうしていたのでしょうか。
三十数年前に私が使っていた医学書には、「母体の妊娠後の徴候」という項目が細かく記載されていました。
無月経(生理が遅れること)は勿論ですが、外陰部や子宮口付近の色素沈着、顔面の雀卵斑、下腹部の膨隆、内診で触った子宮のピスカチェック(Piskacek)徴候といった項目がならんでいました。
妊娠して出てくるホルモンのヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)が測定できなく、超音波検査もできない時代は、女性が妊娠したあとに示す様々な症状や診察での体の変化をみて予想していたのでしょう。(hCGのことの詳しくは前回お話ししましたので、こちらを参考にして下さい)
1930年代、Maurice H. FriedmannとMaxwell E. Laphamという2人の医学者が、生物学的妊娠反応を開発しました。
現在市販されている妊娠検査薬は、hCGが陽性か否かをみる生化学的妊娠反応、つまり生化学反応で判定するものです。
当時、hCGというホルモンは発見されていません。ただ、「妊娠すると何らかの物質が妊婦さんの中に出ている」ということは予想されていました。
Friedmann達は、妊婦さんの尿をウサギに投与し、2日間経過するとウサギの卵巣に黄体という組織ができることを発見しました。
今では考えられないことですが、女性が妊娠したかも思って受診した場合、尿を取ってウサギに投与し2日後に解剖して卵巣の黄体を確認するということが行われていたのでしょうね。ウサギちゃんにとってはとんでもないことですよね。
他にも、マウスを使ったAscheim-Zondekテスト、カエルを使ったマイニニ反応といったものがありました。
それぞれの反応と動物の組み合わせが試験にでるぞ、という噂がしばしばたったものです。

 

動物たちの恩恵

今でも薬剤開発や手術手技の改良のため、動物実験が行われます。
動物たちの恩恵で私たちは健康を維持し疾病の治療が可能です。
当時、医学生として講義を聴いていたとき、印象的だったことがあります。
産科婦人科学の講義で、助教授(今で言う准教授)の先生が、生物学的妊娠反応について説明されました。
当時はすでに生化学的妊娠反応検査、つまりhCGの測定が研究室レベルで可能になっていた頃でした。
「今はいいよな。昔は何かあればカエルに尿を注射してたなあ。財力のある大学はウサギを使っていたけどね」
まことしやかに、講義室の外の池を指さされたので、思わず白衣姿の医師が大きなカエルを捕まえている情景を想像したものです。
実際には、実験動物センターで飼育されているのを使ったそうですが、生化学的妊娠反応が開発されてよかったと思っています。
ところで、この生物学的妊娠反応には、あまり知られていませんが、日本人が大きく寄与しました。そのことはまたどこかでお話ししたいと思います。

投稿者:教授

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