#22 医大通りの桜

桜について

春になると桜が満開となるのはいつなんだろうか、とわくわくするの人が大半ではないでしょうか。
東邦医大通りにも少し濃いピンク色の桜が満開となっています。
ということで少し桜について調べてみました。

平安時代の桜はヤマザクラ

日本で、桜が観賞用として愛でられるようになったのは平安時代らしいです。それ以前の奈良時代では、花といえば梅だったようですが、平安時代になると野生に自生するヤマザクラの美しさに人々の心が奪われたのでしょう。
平安時代の代表的な歌人のひとりである紀友則の
“ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花ぞ散るらむ”
は中学生や高校生の頃に耳にした方も多いのではないでしょうか。
私は、西行法師が詠んだ
“願はくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月のころ”
という歌が好きですが、この望月は旧暦なので今の丁度春先になると思います。
ちなみに西行法師が吉野山の桜を愛でたために彼の地が有名になったと言われています。

染井吉野

ソメイヨシノを漢字で書くと↑のようになりますが、なんとなくカタカナのほうが馴染みやすいでしょうか。
日本全国の桜(といってもソメイヨシノ)の開花予想ができるのは、一つの種類の桜だからということではなく、その大半がクローンだからです。
このことについては、
DNA fingerprinting study on the intraspecific variation and the origin of Prunus yedoensis (Someiyoshino)
という1995年に論文でその研究成果が公表されています。
そして詳しい解析から
エドヒガンとオオシマザクラという違う分類学上の種が交わった種間雑種のサクラ
だということがわかっています。
なんとなく「雑種」というとエッと思ってしまいますが、もともと私たちが観賞用や食用にしている植物は、野生の自生種を交配して改良したものですから、雑種というのは納得できます。
ちなみに、ソメイヨシノは江戸時代後期(幕末)に開発されたものらしく、そんなに古い桜ではありません。
ですので、全国各地にある天然記念物の桜は、シダレザクラ、ヤマザクラ、ヒガンザクラなどでソメイヨシノではないですよね。
ちなみに、染井村の職人が吉野山にあやかってヨシノという名前を入れたらしく、吉野桜とは無関係なようです。
いずれにしても、花の美しさ、花の多さなど色んな意味で日本人に好まれて全国に拡がりました。

東邦医大通りの桜は?

 東邦医大通りの桜は、私の記憶ではソメイヨシノよりも少し早く咲き始めて、色も鮮やかです。
毎年、新人を迎える頃に咲き誇っていましたが、今年はすでに満開だと思います。
この桜、詳しく調べてみると、
陽光(ようこう)
という品種でした。
桜図鑑からの引用になりますが、
愛媛県東温市の高岡正明により、天城吉野に寒緋桜を交配して作出された品種で、1981年に種苗法に基づいて品種登録がされた
とのことです。

東京新聞の記事によると、高岡さんは戦時中、「お国のために戦ってこい。このサクラの木の下でまた会おう」と教え子たちを送り出したという。しかし半数以上は故郷に戻らぬまま。
「わしが死なせてしもうた」と悔やまれていた高岡さんは、供養とともに自責の念に駆られるなかで、その花を見たら争う気持ちがなくなるような、これまでにないサクラを作ることに没頭されました。
その桜が咲いているのだと思うと、眺めるたびに色んな感情がわいてきます。
ちなみに高岡正明さんは「伯方の塩」で知られる伯方塩業の初代社長を務められました。
 

  • 陽光

世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
と詠んだのは、在原業平ですが、桜がなければどんな思いで世の中を過ごしているのか、いや、それほど桜があるのは素敵なことですね。 

  • 東邦医大通り

投稿者:教授

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