がんゲノム医療と臨床検査技師の関わり

最近、とあるがん患者さんの治療方法として、遺伝子の変異に合わせた薬剤が用いられ、その結果驚くべき効果を示したというニュースを耳にしませんでしたか?これが「がんゲノム医療」の力です。今回のコラムではこの革新的な医療手法と、その背後で働く臨床検査技師の重要性について深掘りしてみました。
がんゲノム医療は、患者さんのがん細胞に生じる遺伝子の変異を詳細に調査し、それに応じた最適な治療を行うというものです。日本では、2019年6月よりがん遺伝子パネル検査が保険適用され、保険診療のもとでがんゲノム医療が受けられるようになりました。がん遺伝子パネル検査は、がんの組織などについて数百の遺伝子を同時に調べることができます。遺伝子の変化が見つかった場合、担当医を含めたチームがその遺伝子の変化に対して効果が期待できる薬剤や治験・臨床試験をデータベースなどで調べ、最適と考える治療を患者さんに提案します。その時に実施中の治験などの研究段階の医療に参加できることもあります。どこで暮らしていてもがんゲノム医療を受けられるような体制を目指しており、がんゲノム医療を受けられる施設は国内248医療施設となっています(2023年7月1日現在)。
では、なぜがんは発生するのでしょうか。その答えを理解するためには、「ゲノム」の基本から探る必要があります。「ゲノム(genome)」とは「gene(遺伝子)」と集合をあらわす「-ome」を組み合わせた造語で、生物のもつ遺伝情報の全体を指します。この情報が細胞の分裂や機能をコントロールしています。ところが、分裂の際に遺伝情報のコピーに誤りが生じると、突然変異という現象が起きます。変異を起こした細胞は多くの場合死に至りますが、ある遺伝子に突然変異が起こると、細胞は死ぬことができなくなり、分裂を繰り返し続けることになります。この細胞が、「がん細胞」です。すでに治療薬がある遺伝子変異が見つかれば、担当医チームはその遺伝子変異に対する治療を患者さんに提案します。
ヒトを対象とした遺伝子検査(正式には遺伝子関連検査と言います)には主に二つのタイプがあり、体細胞遺伝子検査と遺伝学的検査に分けられます。表1に両者の特徴をまとめてみました。体細胞遺伝子検査は、がん細胞に起きている遺伝子変異を調べる検査で、がん細胞を含んだ組織や体液、血液を検査材料として用います。主にがんの種類や確定診断、治療方針の決定に役立てられます。ちなみにがんゲノム医療は体細胞遺伝子検査となります。一方、遺伝学的検査は、生涯変化しない遺伝情報を調べる検査で、遺伝性の疾患の有無や、薬に対する副作用の起こりやすさを調べます。最近では、がんや生活習慣病へのかかりやすさなど、予防医学を前提としたものにまで役割を拡大してきています。検査材料は医療施設においては主に血液を用いています。遺伝学的検査は自分だけでなく家族が同じ変異を持っている可能性を発見してしまうことがありますので、医療施設では検査前に十分な遺伝カウンセリングを行うことが必要とされています。

がん細胞の遺伝子変異を調べる検査はがんゲノム医療ができる前からも行われていました。その時の検査では1回の検査で500-700 bp(ベースペアー:塩基対の数の単位を表します)の塩基配列を解読して、せいぜい数箇所の遺伝子変異を確認することが精一杯でした。しかし、がん遺伝子パネル検査では最新の技術「次世代シークエンサー」と呼ばれる装置を使うことで、1回の検査で10億から1000億 bpの塩基配列を解析できるようになり、数百箇所の遺伝子変異を確認することができるようになりました。
臨床検査技師はがんゲノム医療の検査を中心に関わっています。がんゲノム医療における検査は手術や生検で得られた組織を分析し、遺伝子の変異を特定します。この情報をもとに、担当医は最も効果的と考える治療法を選択します。このような重要な役割を果たす検査は、非常に高い精度が求められます。時として、わずかな組織サンプルからでも精密な操作を行い、遺伝子変異の有無を判定します。検査過程は複雑でありますが、各ステップでの品質チェックや手順の正確性が求められるため、臨床検査技師の役割は極めて大切です。次世代シークエンサーは10億から1000億 bpの塩基配列を解析できるため、膨大な検査データを出力します。医師と協議しながら出てきたデータの中からがんに関連する遺伝子変異を様々なデータベースを照合しながらレポートにまとめます。このレポートに基づいて、担当医や病理医、腫瘍内科医など複数の診療科による専門家会議エキスパートパネルが開催され、1 人 1 人の患者さんごとに「個別」の治療方針等が検討されます。検体検査の精度管理に関する専門知識を有する臨床検査技師もエキスパートパネルに参画し、がんゲノム医療を推進する役割を担うことが望ましいとされています。
臨床検査技師には専門分野の学会や団体が認める認定資格制度があります。この遺伝子検査領域では、日本臨床検査同学院の「遺伝子分析科学認定士」や日本遺伝子診療学会の「ジェネティックエキスパート」があり、当院検査部では「遺伝子分析科学認定士」が1名在籍しています。さらに、臨床検査技師は「ゲノム医療コーディネーター」としても活躍の場を広げています。患者さんへのゲノム医療の説明補助や、遺伝カウンセリングへの橋渡しといった役割を担っており、患者さんとのコミュニケーションにも深く関与しています。
しかし、がんゲノム医療には明るい面だけではありません。がんゲノム医療を保険診療で受けられる人は条件があります。例えば、標準治療がないまたは標準治療が終了となった固形がんの患者さん(終了が見込まれる方を含みます)である必要があります。どの段階で標準治療が終了(もしくは終了見込み)なのか、患者さんの全身状態が検査を受けられる状態かなどを担当医が見極めた上で、がん遺伝子パネル検査を受けられるかどうか判断します。標準治療実施前の場合や血液がんの場合、全身状態が思わしくない場合は検査を受けることができません。がんゲノム医療は保険診療で受けることができます。検査費用は56万円 (56,000点)ですが、健康保険が適用される場合、自己負担額はその1~3割となります。
しかし、現状ではがん遺伝子パネル検査の結果が治療に結びつく可能性は、10~20%程度と報告されています。例えば、遺伝子に変化が見つからない場合、薬剤を投与する基準に当てはまらない場合、治験・臨床試験の参加条件に合わない場合など、がんの治療に役立つ情報が得られない可能性もあります。
最後に、がんゲノム医療は特に稀ながんの治療に新しい可能性をもたらすかもしれません。その背景として、稀ながんの患者さんは少ないため、臨床研究が進まず、最適な治療方針が決まっていないことが多いためです。がんゲノム医療は、次世代シークエンサーを活用したことでこれまで見えてこなかった遺伝子変異が明らかになってきました。今後、継続的にデータが蓄積されることで、過去にわかっていなかったがんと遺伝子変異の関係性が明らかになり、そこから稀ながんに対する新たな治療が生まれる可能性が期待されます。それを支えるためには精度の高い検査が必要であり、高度な知識を持った臨床検査技師が必要不可欠です。このコラムを通じて、がんゲノム医療と臨床検査技師の重要性について、より多くの人に知ってもらえればと思います。

Vol.119, 2023.11
微生物検査室 荻原真二

参考文献

  1. 国立がんセンター がんゲノム情報管理センター
    https://for-patients.c-cat.ncc.go.jp/knowledge/cancer_genomic_medicine/efficacy.html
  2. がんゲノム医療コーディネーター養成
    http://www.jsmocgt.jp/coordinator.html
  3. 国立国際医療研究センター病院 ゲノム医療とは
    https://www.hosp.ncgm.go.jp/s038/genomicmedicine/index.htm

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