日本の土壌と文化へのルーツ㊻ 中華料理からみる漢方薬

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎 

東洋医学における医と食の境界

 医と食の境界とはどこから始まるのであろうか?この問いに対して、東洋医学から適切に答えるのは難しい。何故なら、医と食は混然一体化としている部分があるからである。例えば、医療用でしか用いない附子(ぶし)(Aconitum Japonicum:トリカブトの塊根)、麻黄(まおう)(Ephedra sinica:マオウの地上茎)、細辛(Asiasarum sieboldii:ウスバサイシンの根)などの生薬がある一方で、多くの漢方生薬は医療用としてだけではなく、食材としても用いられている。今回は、中華料理を通じて、東洋医学を東洋医学足らしめている部分を眺めてみたい。

消化を助ける消食薬

 日本の料理では昆布、鰹節など脂質をほとんど含まない出汁を用いるため、あっさりしている。一方、中華料理では肉を用いた出汁、油によって炒められた濃厚な味わいがある。この両者の違いは、東洋医学的な観点からは、“日本人は中国人に比べて胃腸が弱いため脂質を控えめとした料理が発達していった”と説明されることが多い。しかしながら、油の多い食事に対応して中国では消食薬という消化吸収を促進する生薬群を用意している。山査子(さんざし)は肉の消化、穀芽(発芽玄米)は米、麦芽(発芽大麦)は麦などの炭水化物の消化を助ける。もう一つ重要な生薬に神麹(しんきく)という小麦粉、米麩、小豆粉、杏仁泥(杏の種子を粉砕したもの)、蒼耳子(そうじし:オナモミの種子)、青蒿(セイコウ:カワラニンジン)などと混ぜて発酵させて団子状にした “消化酵素薬”がある。食後の消化促進に用いられている。日本では、あっさりした料理が多いため、神麹の使用頻度は低く、ほとんど知られていない。

中国の硬水と日本の軟水

 東洋医学的な“胃腸の消化活動の強弱” という体質以外に、中国の硬水と日本の軟水という水の硬度の違いから、調理方法が決定されていったという学説もある。

 硬度とは、カルシウム、マグネシウムの含有量で、世界保健機関の基準では1L当たりの120㎎未満が軟水、120㎎以上が硬水とされている。硬水は口当たりが重く苦味を感じ、軟水の口当たりはまろやかでさっぱりしている。その口当たりと風味の違いが調理方法に関係しているというのである。

 軟水に恵まれる日本では、素材の良さをそのまま生かしやすい。

「良水に恵まれてきた日本では、その水で手早くだしをとり、調理はむしろ単純にして素材の原味(持ち味)を生かすことを重視する。」1)

「日本料理では、昆布やかつお節を用いて手早くさっととることが多い。つまり長く煮て余分な雑味や不要なにおいまで引き出してしまうのではなく、その素材のもっとも美味な部分と香りを短時間で引き出す。「さっとだしをとる」「だしを引く」という言葉がよく使われる。これは鉱物質を多く含まず、異味異臭のない「良い水」であってこそとれる上等のだしである。」1)

 一方、中国は硬水が多い。そのため、濃厚なスープや油、多種の香辛料などで硬水の口当たりや風味を打ち消そうというものである。

「フランスや中国のように、硬水の地域が多く、しかも美味の追求に熱意をもつ国の料理では、鶏や肉のうまみを徹底的に抽出するのが、基本的なスープのとり方だといってよい。」1)

「中国の場合には、うまさを可能な限り抽出したスープを用い、調理を重ねていく。しかもその工程中に油を使う例が実に多い。味もそれだけ複雑さを増していく。だが、これもただ複雑だというのではなく、多種の調味料や香辛料、香味野菜や油の香りや風味も含めて、一つの味がきわだつのではなく、全体が総合的にまとめられて、まろやかに、豊かな味わいになること、調和の取れた味であることが、評価されるのだ。」1)

硬水と軟水の違いによる抽出効率の違い

 漢方処方における生薬の使用量は、中国に比べて日本では少なく設定されている。その理由の一つに、生薬を煎じる際に用いる硬水、軟水による抽出効率が違いが挙げられる。2)麻黄を例にとれば北京の硬水で煎じた場合のアルカロイドの抽出率は、日本の新潟市の軟水で抽出した場合よりも2割減弱する。大棗(タイソウ)(Zizyphus jujuba var.inermis:ナツメの果実)を加えると、日本の軟水と中国の硬水との違いは消失する。つまり、大棗という生薬自体の薬効もあって加えられるが、“水軟化剤”として他の生薬との抽出効率を変化させる働きがある。そのため、附子(ぶし)(Aconitum Japonicum:トリカブトの塊根)など毒性の強い生薬を用いる場合は、軟水か硬水か、大棗のような“水軟化剤”を加えるかどうかで抽出効率が異なってくる。水質によっても、漢方薬による生薬の配合量、そして比率は注意深く定めれられて来たのである。

 料理の味においては、中国は硬水の口当たり、風味を克服しようと工夫を重ね、日本では軟水のため、素材を生かすことを重視して調理法を工夫していったが、漢方薬もまた軟水、硬水の違いにより調合されてきたのである。

中華料理における多彩な触感

 料理の触感については、中国の方が多彩であり、日本語の硬い、柔らかいにあたる表現が非常に細分化されている。味覚以外に、触感も中華料理を味わうための重要な要素である。例えば、糯(じゅ)とは、もっちりとした噛みごこち。粘り気のあるやわらかさを表すが、これは日本でも馴染みのある触感である。中華料理では、粘「粘り気がある状態をさす。」という用語もある。

 他に、歯ざわりに関係した中華料理の用語として、爤(らん)「肉をよく煮込んで、噛むとくずれていく、筋ばったり噛み切れないような抵抗の感じられないような柔らかさ」や酥(す)「歯ざわりが軽くあり、噛むとさくっとくだける質感」がある。脆「歯に当たって歯ざわり・歯ごたえがありながら、かりっと、あるいはサクッと、軽く噛み切れる状態」を表している。かりっと揚げたもの、パリパリとした歯触りの点心、春巻きの皮の触感がこれに当たる。1)触感に伴うパリパリとした音も聴覚も楽しませてくれる触感である。

 酥は、中華料理以外にも菓子などに用いられているため、知っておくとどのような触感なのかを予め知ることが出来る。

料理の触感と東洋医学の舌診

 中華料理の独特の食感に、嫩(どん)と老(ろう)がある。

 嫩(どん)とは、「もともと若いことを表す。鶏ならば若鶏で柔らかい肉の弾力を、葉菜ならその葉が若いためにみずみずしくしなやかな柔らかさを持っていること」1)、老とは、「古びていることからくる、かたさ、カサカサしたひからびた感じ。」1)を表現したものである。

 老と嫩は料理の中華料理の触感以外に東洋医学の中でも用いられている。東洋医学には、舌診という診察法があり、その所見の中に老と嫩という専門用語がある。舌は“体外に露出した筋肉”であり、筋繊維も豊富である。料理の用語を東洋医学の診断に用いているのは、“見た目から想定される触感”という感覚が中国語の中に浸透しているからである。

 日本人にとって、老も嫩も馴染みがないが、中華料理で用いる触感のニュアンスを知っていれば理解がしやすい。

 舌診における嫩舌とは、「舌の紋理が細く、舌体が柔らかい。舌の色は淡白、湿潤」3)という定義である。嫩は、料理では良いイメージであるが、舌診では舌の色は淡白とやや血色が悪く、舌の性質は湿気を多く含んでいることを意味している。嫩舌とは、身体は冷え、体液が停滞しているという診断につながる。紋理とは舌の表面にある模様やすじを表している。嫩舌のように紋理が細い場合は表面に皺や凹凸が少ないことをいう。嫩舌では湿気を含み、舌表面が潤っているため、皺が少なく滑らかなのである。逆に紋理が粗い場合は、舌が乾燥していることが多く、老舌はこれにあたる。

 老舌では、「舌の紋理が粗く、舌体が硬い。舌の色は紅絳舌、乾燥」3)している。紅絳とは深い赤い色を表していて、身体内に“熱”があることを意味している。料理の老にあるように、硬くカサカサした感じは、舌が潤いを失い、乾燥している様子を表している。
 舌診には、舌苔の観察も含まれる。舌苔とは、舌表面に存在する舌乳頭と呼ばれる細かい突起が密集した凹凸構造と、その上に白い苔状の付着物(粘膜上皮の剥がれたもの、食物残渣などが付着し細菌が繁殖して形成される。)により構成されている。

 舌苔の性状は、体液の過剰や不足、体内の余分な停滞物の有無を判断する目安となっている。そこに使われる用語が、滑、膩(じ)である。

 中華料理の滑とは、「なめらかな感触。とろみのある舌ざわり。クリーミィ—な感じ。」1)を表している。熱くとろりとした甘酢あんがこれにあたる。一方、舌診における滑舌とは、「舌苔の過量の水分で湿っている。」3)状態であり、体内の水分が過剰であることを示している。舌診の時は、口を軽く開け、舌を軽く出して観察するが、舌から水分がこぼれるように垂れてくることがある。これも滑舌の所見である。

 中華料理の膩とは、「脂っこくしつこいこと。肥は脂っこくともまろやかな豊かな味わい、膩はネトネトした脂が残るような不快さ」1)を表している。舌診における膩苔とは、「顆粒が密で舌面に貼り付く。舌の中央部で厚く、辺縁部では薄くなる。粘々して剥離しにくいい。」3)と舌苔の粘り気が非常に高く、べとべとしているのを表す。膩苔では、食生活の不摂生で消化不良が生じていると考えられ、げっぷ、胃もたれ、食欲不振などを自覚する場合が多い。膩苔の脂っぽいは脂質の未消化であり、肉、油を避けたあっさりした食事が勧められる。また、油の使用が避けられない中華料理では、肉の消化に消食薬の山査子(さんざし)、炭水化物の消化に麦芽(発芽大麦)、“総合消化酵素剤”の神麹(しんきく)を用いる。山査子、麦芽、神麹を合わせた漢方処方は、焦三仙と呼ばれている。中国では、宴席などの前後に焦三仙を内服し、明日の消化器の不調を未然に防ぐ習慣がある。

 中華料理においても、東洋医学の舌診においても、膩はあまり良い意味で用いられていない。中華料理で、脂っぽい中でもよい意味で用いられるのは肥である。肥とは、脂がのっているという意味で、触感そのものではないが、味や香りではなく、口ざわり全体に影響するものとして用いられる。1)

 東洋医学における舌診という視覚的な診察法に対し、料理で触感を表す用語が用いられている。老、嫩、滑、膩などの料理における触感の意味を知っておくと、舌診の理解も深まる。“触るとおそらくこのような触感があるだろう”という感じを見た目で判断しているのである。中国語では、視覚と触感の境界が淡くつながっているのである。

料理の触感と東洋医学の脈診

 視覚的な舌診以外に、脈診という触診の一つである特徴的な診断技法がある。現代医学の脈診とは、脈拍数、脈の左右差、不整脈の有無などに注目するが、東洋医学では、一人一人の脈の“個性”を微細に観察して、体調、気質に関係する所見を取り上げる。現在、一般的に行われているものは、現代医学と同様、手の橈骨動脈を通じた観察である。橈骨茎状突起の部分に中指、末梢側に示指、中枢側に薬指を触れて行う。また、腕が心臓と同じ高さにするよう、手掌を上に向けて肘から先をまっすぐに伸ばして触診する。

 東洋医学における正常な脈とは、「脈位(脈を最も触れる深さ)が浅くも深くもなく、脈拍は遅くも速くも遅くもなく(一呼吸につき4、5回の拍動で60-90/分)、規則的でゆったりと穏やかで、力強い。」3)というものである。

 脈診で見極めるのは、主には28種類の脈の状態である。脈診では、それらの脈状を視覚の関与しない触感で判断する。その中に、細、滑という脈状がある。

 中華料理の細とは、「きめの細やかな質感。それによって滑らかな感触ももたらしている。」1)を表している。脈診における細脈とは、「糸のように細いが、指に拍動ははっきり感じられる」3)という状態で、東洋医学においては気、血の不足した消耗状態を示唆する所見となる。細脈では脈の径の細さを主に表現したもので、あまり中華料理の質感は加わっていない。

 中華料理の滑とは、「なめらかな感触。とろみのある舌ざわり。クリーミィ—な感じ。」1)を表しているが、脈診における滑脈とは、「脈の拍動が、珠が盤上を転がるように滑らかで、脈の去来が速い」3)という状態で、東洋医学においては余分な代謝産物の蓄積や、消化不良、妊娠を示唆する所見となる。飲酒後に滑脈であれば、消化不良による焦三仙を使うよい機会となる。

中華料理の触感と東洋医学の治療法

 化というのは、東洋医学の重要な治療方針の一つであるが、中国語のニュアンスを知っておくと理解しやすい。中華料理では、化とは「とろける。すっととける。」という状態を表す。東洋医学の化は、“消滅させる”、“変化させて再利用する”というニュアンスを有している。東洋医学の病態として、熱、痰、湿などという病原(病邪)が想定されているが、それらを治療するために、化熱、化痰、化湿のように治療方針を立てる。中華料理における「とろける。すっととける。」ように病原が解消されてしまうと理解すればよいであろう。

 清もまた、東洋医学の治療方針で用いられ、主に“熱を冷ます”という意味で“清熱”、落ち着かない気持ちをすっきりさせるという意味で、“清心”のように用いられる。中華料理での清は、「清潔さ。すっきりとした、さっぱりした風味、また混じりけのない澄んだ状態や、濃厚な味つけやとろみづけをせず、素材の味そのまま生かした調理の形容」を表している。中華料理の清の方が東洋医学の清よりも、ニュアンスが豊富である。日本料理の味付けは、清のニュアンスに近いかもしれない。

中華料理の辛味の多彩さ

 中華料理の味には、甘、鹹(塩辛い)、酸、苦、辛の五味が一般的に使われている。この五味は東洋医学の生薬の組み合わせにも利用されている。ところが、四川料理では、五味に三味を加えた“四川の八味”というものがある。四川料理と言えば、辛さの代表でもある。その四川料理を美味しくする味覚は、五味に「麻」「香」「鮮」に三つをあわせた八味に形成されているというのである。

 辛は唐辛子のひりひりとした熱感を伴った辛味を、「麻」は山椒の口に入れるとじわーッとひろがるしびれ感、舌を麻痺させる刺激を表す。「鮮」はうま味に当たる味である。
「香」の意味するところはやや複雑で、香りがよい、という嗅覚上のことに限定せず、全体に風味がよい美味の表現にも用いられる。1)

「香味を形成する素材としては、各種の香料・香辛料は当然入れられるが、むしろ酒・葱・にんにく、生姜、山椒・唐辛子・ごま・ごま油・落花生・酒粕といったよく用いられる素材であって、旨味を高め、食欲を刺激し、なまぐさみや脂っこいしつこさを除去する。」1)

 日本との味付け方の違いが香味によく表れている。「出来上がった料理にパラパラと七味唐辛子をふりかけたり、刻み葱を散らしたり、ではなく、調理に最初から肉や魚に生姜や酒の下味をつけ、鍋に火をかければすぐ油の中に葱やにんにくの香りをうつす。その油で全体を炒める、といった、なんでもない調理の基本がすべての香りを重視している。」1)

「香りの素材をスパイスとしてふりかけるというより、酒をあわせたり、油にしみ出させたり、更にそれが加熱することによって効果的に生かさせることも、特徴だといえる。ジュクジュクと煮える中で、火と油の力の加わった香気が立つ。」1)
「合わせ調味料、あわせ味噌のように、何種類かの調味料や素材を混合した、辛味のきいた調味料は各地にあり、(例えば豆板醤、XO醤など)、これらを卓上に置いて料理につけながら食べるという場合ももちろんあるが、多くはこれも調理の段階で使われている。」1)

 中華料理では、香味はただ振りかけるのではなく、調理の過程で食材の中に多彩に織り込むものなのである。

中華料理における五感

 中華料理では、視覚と触感の融合以外に、味覚と嗅覚の融合も重要で、香味という言葉で表されている。「理屈としては、味と香りは別のはずだったとしても、「香りが加わらなくては味は完結しない」「よい香りがあってこそ美味が生まれる」という意識が、わざわざ言わなくても中国料理の基本的な部分に存在しているのだ。」1)

 食事は味覚のみでなく、視覚、触覚、嗅覚全てで楽しむものである。中華料理はそれらを表現する言葉が多彩であり、また表現するそれぞれの言葉を知ることは食事の食感を豊かしてくれる。そのようにして創意工夫された中華料理を五感を存分に使って味わってみたいものである。

結語

 油、肉の脂を生かした濃厚な中華料理は、口当たりが重く苦味を感じる硬水の性質を克服しようとしたのでないかという学説がある。中華料理には触感を表す多彩な用語がある。その用語は、東洋医学の診断法である視覚による舌診、触覚による脈診とも接点がある。また、四川料理を際立たせる味覚に「麻」「香」「鮮」がある。「香」は嗅覚上の香り以外に風味も表している。その「香」は複数の香料、調味料を調理の過程で食材の絡めることで生まれてくる。食事は味覚のみでなく、視覚、触覚、嗅覚、そして聴覚全てで楽しむものであるという中華料理の調理の創意工夫を教えてくれる。

Abstact

There is a theory that rich Chinese food that makes use of oil and meat fat may have tried to overcome the nature of hard water, which has a heavy and a bitter taste. Chinese food has a variety of terms that describe tactile sensation. The term also relates to the diagnostic methods of oriental medicine: tongue diagnosis and pulse diagnosis. In addition, there are "hemp," "scent" and "freshness" in the taste that makes Sichuan cuisine stand out. "Scent" also expresses olfactory sense and flavor. The "scent" is created by entwining multiple fragrances and seasonings in the process of cooking. It teaches us the ingenuity of the cooking process of Chinese food, that meals are enjoyed not only by taste but also by all senses: sight, tactile and smell.

参考文献

  1. 木村春子:食に見る日本と中国 火の料理、水の料理,農文協,2005
  2. 笛木 司ら:水質がマオウの煎液に及ぼす影響について─特に日本と中国の上水道水の比較─日本東洋医学雑誌,63, 5、313-321,2012
  3. 内山恵子:中医診断学ノート,東洋学術出版社,1988

投稿者:田中耕一郎

トップページに戻る

Top