日本の土壌と文化へのルーツ㊽ シルクロードと果実 ブドウ

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎 
 

“中央ユーラシア”とは?

 中央ユーラシアとは、「ユーラシア大陸の中央部の意味であり、東西は中国の旧満州西部からハンガリーあたりまで、南北はチベット高原からシベリア南部まで」5)に広がる乾燥地帯である。

 「中央ユーラシアは、大西洋・インド洋・太平洋・インド洋というユーラシアを取り巻く巨大な産みから遠く離れているため雲が届きくい、すなわち雨の少ない乾燥地帯であるという点である。」5)そこでは、降水量に応じ、草原または沙漠・オアシスが広がっている。

 中央ユーラシアの周辺には、東アジア、南アジア、西アジア、地中海という文明があり、これをつなぐ交易路の研究として、シルクロードという学術用語が用いられている。

 中央ユーラシアで生活を営む騎馬遊牧民がつくった最初の遊牧国家は匈奴とされている。

騎馬遊牧民は、主としてトルコ系、チベット系、モンゴル系、ツングース系に分けられる。これらのもともとの居住地は、モンゴル高原の西から東にかけて、この順に並んでいる。その中でトルコ系に属するウィグルは「元来はモンゴル高原にいたモンゴロイドで、トルコ系の言語を話した騎馬遊牧民」5)であった。そして、ウィグルはとは「主に7世紀から14世紀にかけて中央ユーラシア東部(パミール以東)で活躍したトルコ系民族集団」と「彼らが中核となった国家名」も指している。5)しかし、唐から元以降、ウィグルという名前は一旦消滅する。現在のウィグルという呼称は、古代のウィグルの末裔という意味だが、他の民族も含んでおり、宗教もマニ教から仏教そしてイスラム教へと変貌している。5)(本来のウィグルは)は20世紀に新たに名付けられた現代のイスラム教徒ウィグル族と部分的に重なるものの、決して同じではない。」5)

 唐代の長安は当時最大の国際都市であった。そこには、騎馬遊牧民のウィグルも集っていた。「唐の長安は、当時の世界で最も反映した都である。その都の人たちを魅了したダンサーは、現在のウィグル族などトルコ系の民族だった。」2)西北のイラン系やトルコ系の人を胡人と総称していたが、唐代の詩人である白居易は、新楽府其八胡旋女にて、胡旋つまり西域の舞踊について歌っている。

新疆における南北の違い

 現代のイスラム教徒ウィグル族の多くが居住している新疆ウィグル自治区は、中国の西北に位置する。疆の3つの一は、新疆ウィグル自治区にある三つの山脈を表しているとされる。それぞれは、北のモンゴルとの国境のアルタイ山脈、中央の天山山脈、南の崑崙山脈はチベット民族が多い青海省との境界となっている。

 天山山脈を境として、北疆、南疆とに分けられる。同じ、自治区内でも北疆、南疆では気候が異なる。降水量でみれば、北部の山地では、年間600㎜程度と草原が広がり、南部のタクラマカン砂漠では10-15㎜と砂漠が広がっている。

 「南疆はタクラマカン砂漠があり、ホータン(註:新疆の西南部に位置)に代表されるオアシス都市がある。北疆にもゴビや砂漠はあるが、ジュンガル盆地という大平原があり、天山やアルタイといった山脈もある。そこには万年雪の山もあるが、緑のすそ野が広がる。」2)

 南疆では砂漠周辺のオアシスを中心に都市が広がっている。

「天山山脈など三つの山脈に積もった雪が溶けてたくさんの川になり、その川が砂漠にさしかかり、水が地下に潜り始めている場所にオアシスは存在する。」1 )

 「オアシスの中は豊富な水を利用した大農業地帯が広がっている。小麦、トウモロコシ、棉花、大豆、じゃがいも、ブドウ、ナシが作られ、牛、豚、羊、鶏が飼われている。見渡す限りの水田が広がっていることもある。オアシスの町は単にシルクロードの中継点としてだけでなく、自己完結型の都市国家として存在していたのである。」

ウィグル伝統医学の砂浴療法

 ウィグルにも独自の伝統医学が残っている。天山山脈東側の北疆に位置するトルファンの砂浴療法を見てみよう。「ウィグル医学の長い歴史による豊かな治療経験をもっている。それは新疆という乾燥した土壌に生まれた治療法であるが、そこにはウィグル族が育てたウィグル医学の地域的特徴が感じられる。」2)

 「砂浴療法は日光浴と同時に、砂による温熱療法、発汗療法、マッサージなどが合併して行われる一種の治療法で、ウィグル族の民族医の指導のもとで行われている。新疆のトルファンやピチャンには、このような砂を利用した治療を専門に行う「砂の病院」がある。この砂はふつうの砂と異なり、非常にきめが細かくさらさらである。これも砂浴の特徴のひとつであろう。治療時期は六月から八月までで、その時期以外は砂の温度が不適当であるそうだ。砂山に深さ二十から三十センチ、長さ1.5~2メートルの穴を掘り、患者の身体を砂の中に埋め、ときどき砂を新しいものに取り替える。砂浴場には四、五人の砂堀り砂かけおばさんが待機している。」2)

 「砂浴療法は、関節炎や手、足、腰などの疼痛、坐骨神経痛、寒性胃腸炎、白帯下、高血圧、リウマチ、浮腫などの治療に効果をあげている。砂に埋まっている患者の皮膚温を上げ、脈管を膨張させて血行を良くし、新陳代謝機能を高めるためと考えられている。その他、温熱効果以外に砂に含まれる鉱物の成分(ミネラル効果)、遠赤外線効果、磁気の効果などもあるといわれているが、これらの方面の科学的実証はこれからであろう。」2)

ウィグル医学はギリシア医学の系譜の最東端

 ウィグル伝統医学の人体観は、ギリシア医学、そしてそれを継承したペルシア(現在のイラン)の伝統医学のユナニを継承している。

 「ウィグル医学の治療の哲学ないし理念は自然の法則にもとづいたものであり、四つの元素を基礎としている。すなわち、火、気(空)、水、土の四つの元素が、人間を含む万物を構成するという。これらの四つの元素のあいだには、相性、相克の関係があるとする点は、中国の伝統医学によく似ている。」2)

 伝統医学の東西の違いは非常にあいまいなものとなっている。漢字の使用の有無により、中国の伝統医学からの影響に違いが出てくる。日本、韓国は漢字の使用により、中国の伝統医学をそのまま理解することが出来た。

 「この四元素説が人体に反映したものが、いわゆる四体液説である。すなわち、血液(肝臓)、粘液(肺臓)、黄色胆汁(胆嚢)、黒色胆汁(脾臓)であり、四つの体液はカッコ内の内臓に対応しているという。この体液説は、いうまでもなく、ギリシア医学そのものである。ギリシア医学は、九世紀ごろ、アラビア世界に伝わり、現地化し、体系化されてユナニ医学となった。ユナニとは、アラビア語で、ギリシアの意味である。それから千年以上が経過しているが、ユナニ医学は現在、イスラム教文化圏の主要な伝統医学であり、インド医学のアーユルベーダ、中国の中医学とともに、世界の三大伝統医学となっている。」2)

 「イスラム教圏のユナニ医学がギリシア由来のものであることは、すでに述べた。中世のヨーロッパは「暗黒時代」であり、ギリシア以来の知的財産は、イスラム教世界によって継承されたのである。この「知的財産の避難」がなければ、ヨーロッパのルネッサンスも産業革命も、あるいはなかったであろう。」2)

 伝統医学では、東西の境界は非常にあいまいなものとなっている。ギリシア医学を西洋とすれば、イスラム圏でユナニとして継承された医学を継承しているウィグル医学はギリシア医学という“西洋的なもの”を持ち込んでいるといえる。

 中国伝統医学とその系統を継承する韓国や日本は東西で言えば東である。また、中国を取り囲むかつての騎馬遊牧民のモンゴル、チベットは仏教を基としてインドのアーユルベーダの系統を引き継いでいる。インドを起点とすれば東となる。

 東西の境界としてトルコのイスタンブールが挙げられることが多い。もともとは騎馬遊牧民で、中央ユーラシアを西へと移動してきた点、そして地政学的にもアジアとヨーロッパ側を隔てるボスポラス海峡に位置しているからである。また宗教的にもキリスト教圏とイスラム教圏の境界線となっている。

 しかし、古代のギリシア医学の系譜から見れば、中央ユーラシアの中東ペルシア、中央アジアにまで至っており、ギリシア医学の東端である、中でも新疆は最東端なのである。

温帯果樹の東西とその交流

 北半球の温帯果樹の栽培起源と原産地では、東部原産種には柑橘系、棗、杏、桃、梨、柿などがあり、棗、杏、桃は中国が原産地である。黄河文明の発症と果樹栽培が関係しており、棗、桃、梨、杏などの原産地は中国北部一帯に分布し、生育期の雨量が少なく日照に恵まれているために、果樹園芸上での一層に好都合である。

 西部原産種には、ヨーロッパブドウ、クルミ、ザクロ、イチジク、リンゴなどがあり、いずれも地中海沿岸東部からアジア西部一帯、一部イランにまで及んでいる。西部原産種が中央アジアから西アジアにわたって分布しているのは、メソポタミア、エジプト文明が果樹栽培の源流であるためである。この地域の風土の特徴は、夏に雨量が極端に少ないことである。雨量の少ないことは逆に晴天日数が多く、日照に恵まれていることで、灌水さえできれば植物体の乾物成長や花芽の形成と果実の品質は良好である。灌水しない限りほとんどの樹木が、盛夏には水分が不足し休眠状態に入る。8)

 また、温帯果樹に関しては東部原産種の西への伝播の方が、西部原産種の東への伝播の方が早かったようである。

 「漢の武帝の時代から本格的な西域(註:中央アジア)の経営が始まる。紀元前のことである。その結果として、それまで中国人が知らなかった文化や植物などが大量に中原に流入する。」2)漢の武帝の時代に張騫が西域に遣わされ、往路には桃、杏、絹織物、帰路にはブドウ、クルミ、ザクロなどを持ち帰ったとされる。果物における東西交流の始まりである。実際には、それ以前に桃とアンズは絹商人の手を経て、紀元前1,2世紀にはペルシア、紀元1世紀ころにはギリシア、ローマに伝播したとされる。8)

ブドウの産地 

ヨーロッパブドウ(Vitis vinifera)という名であるが、本種の原産はアジア西部であり、現在、世界のブドウ生産のほとんどを占めている基本品種である。

 「中央アジアのカスピ海地方原産。ブドウは古くからワインの製造のために栽培された。シルクロードを東進し、中国に伝播したのは紀元前二世紀、漢の武帝による西域の平定の時代である」。3)

 原産地でのカスピ海沿岸地方で改良された品種群、さらに南下してイラン・アフガニスタン・トルコ等で改良された品種群が、中国に伝わった東洋系といわれる品種である。9) 

ブドウの産地 トルファン

 特に新疆ウィグル自治区の天山山脈東部に位置するトルファンは、西部原産種であるブドウの栽培が盛んで、「ブドウ城」の別名をもつ。

 「中国において広く植栽があり、品種が大変多いが、乾燥した砂漠・沙地に植栽のものが最も甘い。新疆のトルファンの干しブドウは最も有名である。果実は生で食べ、酒を醸造し、干しブドウなどをつくり、また薬用になり熱をさまし、はしかをすっかり出させる効果がある。」6)

 薬用としての干しブドウは、現地での伝統的な使用法のようで、中国での伝統医学では用いられていない。また、トルファンは新疆で最も暑い場所で、火洲と言われてている。トルファンに位置する火焔山は、『西遊記』では、炎の上がる山として登場している。

 「ウルムチ(註:北疆に位置する新疆の最大の都市)の東南約200キロのところに世界で二番目に低い盆地、トルファン盆地がある。ここは中国大陸で最高気温を記録する所で、「火洲」と呼ばれている。気温40度以上の日が毎年40日以上もある。私たちが訪れた日は47度だった。この地区は古くからブドウの栽培が盛んである。雄大な天山山脈と比べてまるで赤ん坊のような赤い皺(註:炎を思わせる模様でもある。)を刻む火焔山が広がっている。火焔山の西方に全長約7,8キロの峡谷があるが、これが有名なブドウ溝である。ブドウ棚に数十センチの形の良いブドウ房がぶらさがっている光景が見られたが、これは周辺の砂礫だらけの一木一草も見えぬ大荒野と比べてまるで別天地である。ここで世界一甘いと認められたブドウが栽培されている。このブドウは糖分含量が22-24%、粒が小さく種なしで「緑の真珠」と呼ばれている。干しブドウに最高である。もぎたてのブドウ房をそのまま掛けておくと、40度の自然の乾熱空気で数日後にはもう完璧な干しブドウになる。」1)

 トルファンでは5月から9月で平均最高気温は30℃を超し、寒い季節は11月から2月までで氷点下となり、1月には平均気温は-10℃となる。また、気象台の観測では最高気温47℃が記録されており、火焔山の赤い砂の表面は、火焔の文字通りに60-70℃にもなる。一方、1月には最低気温-27℃を記録している。この暑い日差しがトルファンのブドウを糖度を高くしているようだ。

 冬季の寒さを乗り越えるための方法もあるようだ。「夏季には気温が相当高く欧州ブドウの果実の成熟積算温度を十分に満たしても、冬季には酷寒で地上に放っておくと枝梢とくに目がほとんど凍死する。そこで、それを防ぐために休眠期には枝梢を誘引している棚をはずして、地上部全体を土中に埋没するのである」。8)

 年間降水量は16㎜で、雨はほとんど降らない。そのため灌漑しなければ砂漠と化してしまう。かろうじてカレーズと呼ばれる掘り抜き井戸でつながれた地下水路を通って、天山山脈の雪解け水が来るために灌漑されている場所には植物が生育できる。

 「乾燥地で夏の昼間の気温は高温であるが、朝晩はかなり冷える。昼夜の温度差は平均10度以上もある。そして年平均日照時間は3500時間にもなる。日照時間が長いために光合成が盛んに行われて、夜間は低温となるため呼吸量が少なく、糖分を貯える果実には最高の気候といえる。かなり質のいい果物が出来るのだ。新疆は昔から果物の故郷といわれてきた。砂質土壌であるため排水がよく、乾燥しているので病害虫も少ないと考えられる。」1)

 過酷な気候のため虫の生育も困難であり、殺虫剤を散布する必要がないのである。特にヨーロッパブドウ(Vitis vinifera)は虫害抵抗性に弱く、耐寒性に弱い一方で、耐干性や耐石灰性に強い。そのため、土壌が痩せていて、乾燥の強い新疆にも利点があるのである。 

強く長い日照の利点 アントシアニン

 強い紫外線に対して、植物が自らを守るためにつくるのは、ポリフェノールの一種であるアントシアニンである。ブドウの青色はこの色素によるもので、特に紫外線を反射する力が強い。アントシアニンが関わっている果実は非常に多く、他にブドウ、イチゴ、スモモ、サクランボ、イチジク、ベリー類。クワの実、リンゴ、ザクロ、マンゴーなどがある。7)

 「アントシアニンの生成には光が必要で、290~320㎜の紫外線と650㎜付近の可視光線が有効とされており、光の刺激によりアントシアニンの生合成に関わる遺伝子や酵素が活性化される。」9)

 雨がほとんど降らず乾燥したトルファンではアントシアニン合成には十分すぎるくらいの日照時間が確保されている。

 「アントシアニンの前駆体のプロアントシアニジンは、果樹だけに含まれる特殊な成分であり、未熟化、幼果に含まれ、無色である。しかし、果実が熟するとアントシアニンに変化して、果実は色を呈する。これらの色素、特に青色は紫外線を反射する力が強い。アントシアニンはポリフェノールの一種で、青から赤までの色素の仲間である。ブドウ糖などの糖類と結合し、配糖体という形で水に溶けやすくなっており、細胞液に色を付ける。7)

 ポリフェノールは、現在の医療において薬という面の実際の利用はあまりないが、自然界が作り出す薬用物質の一つである。

 「品種改良と育成技術が進歩したお陰で、収穫量は多くなり、その上、大きく、美しく、美味しくなっている。」「反面、こうした改良種や栽培種たちは、自分の力で種を残し、外敵から身を守る必要がないので、花からは香りがなくなり、野菜、果物からはビタミン、ミネラルそしてポリフェノールなどのせ活性成分が減っていることに気づいてほしい。」7)

 「その点、原種や野生の植物たちはきびしい自然界のなかを生き抜き、さらに変化する環境に順応しながら、その種を残し増やすために必要なものを体内でつくり蓄えていく。」7)

 多くの薬用物質は、2次代謝系によって合成されている。解糖系、クエン酸回路などの1時代謝系と異なり、2次代謝系はある環境に対して活性化する。そのある環境とは、ブドウのアントシアニンの場合は、強すぎる日差しである。過酷な環境こそが生み出す物質が他の生物にとって薬用となりうるのである。

結語

 中央ユーラシアの遊牧騎馬民族という視点から、ウィグルを挙げ、新疆についての気候の特性について述べた。ウィグル伝統医学は、ギリシア医学からのユナニ医学を継承していること、砂浴療法という乾燥地帯の気候を生かした伝統がある。温帯果樹の東西の交流と西部原産種であるブドウを取り上げ、新疆の最も暑い場所とされるトルファンでの栽培の様子を紹介した。ブドウの青色はアントシアニンによるものだが、日照時間の長い過酷な乾燥地帯でのブドウ栽培は、アントシアニンの合成にとっては非常に適した環境である。

Abstact

From the perspective of the horse-riding nomads of Central Eurasia, we cited the Uyghur people and described the climatic characteristics of Xinjiang in north-western China. Uyghurs’ traditional medicine inherits the Yunani medicine from Greek medicine and takes advantage of the arid climate in their adaptation of sand bath therapy. We have also described the history of the east-west exchange of tropical fruit trees in the cultivation of grapes - native to the west - in Turfan, the hottest place in Xinjiang. The blue color of the grapes is due to anthocyanins. Viticulture in harsh arid areas with long daylight hours is a very suitable environment for anthocyanin synthesis.

参考文献

  1. 大石惇,森誠:中国少数民族 農と食の知恵,2002
  2. 難波恒雄、池上正治:天山山脈薬草紀行,平凡社,2001
  3. 川内浩司:さあ行こう、シルクロードへ ユーラシア大陸横断記,文芸社,2014
  4. サマルカンドの金の桃
  5. 森安孝夫:シルクロード世界史,講談社,2020
  6. 中国科学院蘭州沙漠研究所 編輯、徳岡正三訳:中国沙漠・沙地植物図鑑(木本編)、東方書店,2002
  7. 梅田達也:植物のくれた宝物 ポリフェノールのふしぎな力,形成社,2001
  8. 小林章:文化と部だもの 果樹園芸の源流を探る,養賢堂,1990
  9. 間荢谷徹:果樹園芸博物学,養賢堂,2005

投稿者:田中耕一郎

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