日本の土壌と文化へのルーツ53 ベトナム料理

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎 
 

心に残る料理

 人生で最も心に残った料理とは何であろう!?料理の思い出はその味以外に、それにまつわる当時の思い入れも一緒に交わった“味わい”となっている。そこで、私の医学生時代の思い出に残る一品を紹介したい。海外協力に興味をもっていた先輩に触発され、夏季休暇には東南アジアを中心とした日本の医療活動に参加していた。医療活動自体からの学びも多かったが、現地での人々や異文化との出会いは興味の尽きないものであった。

 中でも、学内の寄生虫の講座のつながりで滞在したフィリピンのパラワン島での生活は忘れられない思い出の一つである。パラワン島は、マニラが位置するルソン島よりも南西部に位置し、フィリピンでは5番目に大きな島である。ルソン島のマニラを出発し、パラワン島の最大の都市、プエルト・プリンセサへと渡った。野原のような空港に降り立って心細い中、JICA(Japan International Cooperation Agency)のマラリア対策事業で赴任されている寄生虫の専門家の先生が出迎えて下さり、現地の研究所で数日間を過ごすこととなった。医学生といっても全く戦力にはならず、実際には先生の手を煩わせただけであったと思う。また、大変ご迷惑をかけたという申し訳ない気持ちがまだ残っている。それでも、私にとっては貴重な毎日で、ここで学んだことが今でも記憶に残っている。熱帯の高温多湿の気候の中、日差しの強い昼間は研究所内でマラリア原虫の検体を顕微鏡で確認しながら、先生についてあちこちへと連れて行って頂いた。パラワン島で多いのは熱帯熱マラリア原虫(P. falciparum)であるが、検鏡を繰り返している中で、流石の私でも区別がつくようになった。「現地ではハマダラ蚊に刺されなかったが、帰りの飛行機の中にいた一匹のハマダラ蚊で感染した」とか、「我々寄生虫の専門家にとって、蚊は怖くないが、ハエが来ると必死に逃げる。(註:ツェッツェッバエのこと。アフリカ睡眠病のベクターとなる。)」など、現地での先生の武勇伝は今でも懐かしい思い出である。

 ところで、2名の同伴者(医学生、看護学生)がいた。私を含めて3人ともパラワン島に至るまでの学生会議(AMSA:Asian Medical Students’ Conferenceアジア医学生会議)で疲労困憊しきっていた。それを察した先生が、気分転換にと熱帯雨林を抜けて、島の人にしか知られていない砂浜に連れて行ってくれた。そこで強い日差しと澄んだ青色の海に浸り、で泳ぎ、疲れをいやした。

 その後で、「飯に行こう!」と先生に声をかけられた。「どこへ行かれますか?」「ベトナム難民キャンプだ。」「難民キャンプで食事ですか?」「そうそう。」

 先生の本来の意図がつかめないまま、ジープに乗り込んで、難民キャンプへと向かった。そこにある食堂に入ると、ビーフシチューヌードルを頼むように言われた。「ビーフシチューヌードルですか?」「そうそう。うまいから」 先生の勧めにも関わらず、私の舌は麵とビーフシチューのミスマッチを感じて、躊躇したのを覚えている。また、出てきたビーフシチューヌードルには、ビーフシチューにヌードルが入っており、予想していた通りの見た目であった。

  しかし、一口味わってみると、確かにビーフシチューにヌードルが入っているのだが、ビーフシチューが今まで口にしたものと異なっている。その微妙な風味の違いがビーフシチューヌードルを引き立てていた。思わず、「これは、本当に美味しいです!」と声を上げてしまった。全く人に勧めるに値する、期待を裏切る美味であった。どのような調味料が入っていたのかは再現できない。ただ、本当にまたあの環境で味わってみたいと感じる思い出の味である。

 今回は、このビーフシチューヌードルを思い出にベトナム料理について触れてみたい。

ベトナム料理における麺

ベトナムで麺と言えば、米製である。あの思い出のビーフシチューヌードルはおそらくフォーであったと思われる。

「ハノイやフエ、ホーチミンのような都市では、朝は麵から始まる。外食など縁遠い農村部などでは、朝からご飯なり、お粥なりということになるが、都市部の住民は、朝起き出すと、仕事や学校の前に、行きつけの、あるいは美味しいと評判の麵の屋台や食堂に赴く。そこから、一日が始まるのである。」1)

 ただ、麵という食文化は、中国の北部で生まれ、南部の稲作地帯へと伝わったものである。そのため、ビーフシチューヌードルもまた中国的な食文化を含んでいる。
「この麺食というのも、もとをただせば中国のものである。それも小麦が中心であった北部の地域で生まれ、南部の稲作地帯に伝わったところで、米の粉からも同様の工夫がされ、ビーフンのようなものが生まれ、育った。その流れが、ベトナムまで伝わり、現在のような麺食がある。」1)

 麺の米へと変化したのは中国南部であり、東南アジアでそれが定着したのは、米が食文化の中心になっているからである。
「その中でも、ベトナムは米の食べ方のバリエーションが、特に豊富なところだと思われる。すでに日本でも有名になってしまった生春巻き、ゴイオクンと揚げ春巻き、チャ—ゾーの皮も米であるし、それ以外にも米粉を水で溶いたものを蒸し器の上に布を張り、そこで蒸したての皮に具を包む点心のようなものであったり、とにかく種類が豊富なのである。それだけ、米の食べ方に執心している民族といえるだろう。」1)

 中国からの米製の麺の伝承から、ベトナムでは独自にライスペーパーをもちいた様々なバリエーションが発達した。

麵の種類 北中南部における国内での差異

 米製の麺も多少の違いがある。日本でよく知られているのは、ベトナム北部で盛んなフォーである。

「ベトナムでは北部の中心、ハノイの麵、中部の古都、フエの麵、そして南部の中心、ホーチミン(旧サイゴン)の麵と明らかに違いがある。どちらかというと、北にブン(註:ベトナム中部フエの米粉から作った押し出し麺)やフォー(註:米粉から作った切り麺)が目立ち、南にはそれもあるが、フーティエウ(註:米粉から作られた細くて白い乾麺)という他の麺が目立つ。」1)

味付けの違いには、ベトナム北部は塩辛く、中部は辛く、南部は甘いとされている。そのため、麺の種類だけではなく、同じフォーであってもスープの味わいが違う。「南部の方が添える生野菜もたっぷりで種類も豊富であるし、スープを取るときに、鶏のガラだけでなく、スパイスなど余計に加えたりもするようで、そのあたりの味わいに違いを感じるのだ。」1)

「たとえば、フエの麵は他の地域と比べて、すぐそれと分かるくらいスパイシーであったり、フエからさほどの距離ではない、日本町があったことで知られるホイアンには、うどんのような太さのカオラオという名物の麵があったりする。」1)

 また、ベトナムでもよく食べられる春雨(ベトナムではミエンと呼ぶ)は、緑豆と熱帯に多く分布するキャッサバから作られている。

ベトナムのフォー

ベトナムの中で差異をもたらす食文化

それでは、ベトナム国内で食文化の違いをもたらしているものは何であろうか。それには、主には気候に加え、歴史・民族の違いが反映されているようだ。

ベトナムは南北1200㎞と細長く広がっており、同じ時期でも地域によって気候は大きく異なる。ベトナム北部は亜熱帯性気候で四季があり、南部は熱帯モンスーン気候で乾季と雨季に分かれている。特に冬(11~3月)の違いを見てみると、北部では朝晩に12-15℃と冷え、さらに山岳地帯では氷点下になる程寒いが、南部では日中30℃を超える日が続く。

ベトナムは全体として、高温多湿であるため、小麦より米の栽培が盛んであり、温帯で四季のある東アジアで好まれる味噌、醤油などの大豆の発酵食品の温度調節は難しく、魚醤など水産物を用いた発酵食品が盛んとなっている。米と保存食としての水産加工品のセットは、“水田漁業”と呼ばれ、高温多湿に適した食文化であり、東南アジア的要素の一つである。

歴史、文化の観点からは、中国的、インド的、東南アジア的要素が混合した食文化になっている。現在、多数派を占めるベトナム人はキン族と呼ばれ、もともと中国南部に居住していた少数民族である。麺の食文化が北部のハノイで盛んなのはこのためである。ベトナムの歴史はこのキン族の南進とみることもできる。中から南部にかけてはチャム族が居住しており、ヒンズー教と接点がある。中部に位置する都市のフエの食文化がスパイシーである理由に、スパイス、ハーブを多用するインドの食文化の影響という説がある。南部はカンボジアに多いクメール族が居住し、東南アジア的要素が最も強い。その代表が、“水田漁業”である。「一時期に大量に捕れる魚を保存する術として、塩辛の類が生まれ、米と塩辛類を基本とした食文化が形成されていった。」1)また、ココナッツミルクを用いた甘さも南部の東南アジア的要素である。南部のホーチミンの代表的な料理にバインセオがある。バインセオとは、「米粉をココナッツミルク、卵、ターメリック等と一緒に溶いたものを焼き、中にモヤシ、豚肉、海老などを炒めたものを挟んだものである。」1)これを、ハーブ、生野菜をふんだんに用い、ヌオックマムというベトナムの魚醤をつけて食べるのである。

魚醤 ヌオックマム ベトナムのアイデンティティ

 ベトナムの魚醤と言えば、ヌオックマムである。開高健は『ベトナム戦記』の冒頭に以下のように記している。

「どの国の都にも忘れられない匂いというものがある。私が覚えているのはパリなら冬の夜の焼栗屋の火の匂いである。初夏の北京はたそがれどきの合歓木(ねむのき)の匂いでおぼえている。ワルシャワはすれちがった男のウォトカの匂いで覚えている。ジャカルタの道には椰子油の匂いがしみこんでいた。」2)
 そして、当時の南ベトナムの様子についてヌオックマムを交えて記載している。

「ベン・ハイ河からカマウ岬まで(註:当時の南ベトナムの北端である軍事境界線とインドシナ半島の最南端を指す)、どの町、どの村にいっても、“ニョク・マㇺ”に匂いがしみこんでいる。サイゴン(現在のホーチミン)の舗道にもしみこんでいるし、カマウの『亜洲大陸店』の暗い湿った壁にもしみこんでいた。石、木、川、草、新聞紙、ライプライター、すべてのものにしみこんでいる。この国の匂いだといってもよい。全土にわたってくまなく、おそらく地下何メートルの深さにまでしみこんでいるのだとしか想像しようのない匂いである。日本人にはなじみの深い匂いである。しょっつるにくさやをまぜたものと思えば、まず、まちがいない。製法もよく似ている。魚を塩汁につけて石でおさえ、しみでる汁の上澄みをとるのである。古いのになると何十年と貯えたのがある。黄濁したのは若い安物で、きれいに澄んだものほど老いて高価である。匂いはひどいが小蝦(えび)を漬けたニャチャン産(註:ベトナム南部の東海岸)のものが最高とされている。」2)

 ヌオックマムはベトナム的なものの典型とも言える。
「米と言えば、東南アジアでは魚醤である。水田、灌漑用水路で捕れる小魚を塩漬けにして発酵させた魚醤が米とセットである。ベトナムにも有名なヌオックマムを初めとする多様な魚醤があり、それは麵の味付けにも用いられる。」1)
「ビーフンなど米の麺は、中国、特に南部では珍しいものではない。しかし、魚醤とセットになったところが東南アジアであり、ベトナムなのである。」1)

 ヌオックマムは、イワシ、ムロアジの仲間などを用いた魚の発酵食品の総称である。実際に現在のような形になったのは、200~300年前の18世紀後半とされている。

 フィリピンのベトナム難民キャンプで味わったビーフシチューヌードルにも、ヌオックマムが入っていたのかもしれない。

生野菜とハーブ

 ヌオックマム以外に特徴的なのが、生野菜、生のハーブを多く摂取するとことである。これも中国の食文化の麺が東南アジア的変容と遂げた一つである。

「フォーなどの麵の食べ方で特徴的なのが、生のモヤシやハーブの類など、たっぷりと添えてあることだ。それを好みでスープの中に入れて、麵と一緒に食べるのである。さらにライムの汁を搾ったり、生のトウガラシを加えて、好みの味にして食べる。」1)

「周知のように、中国では生の野菜を食べる習慣はほとんどない。生野菜を食べるということは、ベトナムを含めた東南アジアに特徴的なことで、特にベトナムは大量に食べるし、また、ハーブの類がそこに目立つ。麺食という、中国伝来の文化も、そのように、この国では変容しているということである。」1)

結語

 食文化は気候、民族とその歴史と密接に結びついている。南北に延びるベトナムは、北部の四季のある亜熱帯気候と南部の熱帯湿潤気候の違いがあり、民族とその歴史的観点からは、北部の中国的、中部のインド的、南部の東南アジア的要素の違いがある。各地域ではこれらの特徴を残しつつ、融合して、さらに変容して現在のベトナムの食文化が出来上がった。開高健『ベトナム戦記』冒頭のヌオックマムの匂いに象徴されるように、過去の記憶は食と強く結びついている。それは私のフィリピンでの出来事が、ベトナム難民キャンプでのビーフシチューヌードルとともに思い出されるのと同様である。

 現在では、食文化は商業的要素にも強く影響を受け、変容していっている。また、多くの国家という単位はすでに単一の民族ではなくなっている。全てが標準化の方向に進むのではなく、一定の個性を残した魅力的な食文化が各地で残っていくことも、人生の味わいの中には必要ではないかと考えている。

Abstact

Food culture is inextricably linked to climate, ethnicity and its history. The difference in Vietnam geographically extends from the subtropical climate with four seasons in the north to the tropical humid climate in the south. Regarding Vietnamese’s food culture related to its ethnicity and history, Chinese element culture in the north, Indian element in the center, and Southeast Asian element e in the south are all fused and transformed while retaining their characteristics in each region.Today, food culture is being transformed, strongly influenced by commercial factors. I think that it is necessary for the taste of life to have an attractive food culture that retains a certain individuality in each region, rather than everything going in the direction of standardization.

参考文献

  1. 森枝卓士:世界の食文化4 ベトナム・カンボジア・ラオス・ミャンマー,農文協,2005
  2. 開高健:ベトナム戦記、朝日新聞出版,2021

投稿者:田中耕一郎

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