日本の土壌と文化へのルーツ54 ロシア文学とウォッカ

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎 
 

“翻訳”における“非言語化”過程

「カトー氏(註:カトー・ロンブ:私の外国語学習法,創樹社参照)は、何語かで表現される前にどの言語にも依存しないような一種の概念(彼女は「思想」という語をもちいているが)の存在を認めている。」1)

 ある言語からある言語に変換するための過程には、“非言語化”過程が存在するようだ。言語とは、歴史文化的背景とした多様な価値観を含有しており、そのニュアンスを他の言語体系に翻訳するのは非常に困難を伴う。そのため、“非言語化”プロセスを通して、翻訳にあたる人がそれを媒介することになる。そして、この“非言語化”過程には人類にとってある種の普遍的なものが含まれているのかもしれない。翻訳された文学作品を自国語の感性でも、十分に受け止めることができるのはこのためなのではないだろうか。

高邁な精神と天上のパン

 ロシアの文豪、ドフトエフスキーが最後の力を振り絞って執筆に当たった『カラマーゾフの兄弟』、その連載は1879年1月から始まった。「父殺しのテーマを中心に、カラマーゾフ家三兄弟と料理人、そして二人の女性、父フョードルが織りなす凄まじい精神的葛藤を描いた作品だが、いっぽうでは壮大なスケールをもった哲学的・宗教的テーマが傍流をなしている。『大審問官』の物語はそのひとつで、『人はパンのみにて生きるにあらず』という福音書の言葉をめぐり、天上のパンか、地上のパンをめぐって激烈な議論がかわされる。」2)

 『カラマーゾフの兄弟』の他の箇所にも、このテーマは描かれている。それは、ひどく貧しい親子のエピソードで、理不尽な暴力を受けながらもそれに抵抗しなかった父親と、その場に居合わせて父親を必死に守ろうとし、それをきっかけに凄惨ないじめに遭う息子についての話である。当事者の父親がアリョーシャ(カラマーゾフ家の三男)にその息子について語る場面がある。

「要するにあの事件以来、学校の生徒全員、学校の生徒全員が、あの子のことを『あかすり』とからかうようになりましてね。学校の子どもというのはじつに無慈悲な連中ですので、ばらばらでいるときは天使でも、これがひとかたまりになると、とくに学校なんかですと、往々にして無慈悲になるもんでして。
『やあい、あかすり、おまえのお父さん、あかすりつかまれ、飲み屋から引きずり出された。なのにおまえ、そばでおたおた走りまわって、へいこらあやまって』などと囃したてたんだそうで。
 そうやってみんながからかいだしたもんですから、イリューシャ(註:父を守ろうとした息子)のなかで、なにかきっと高邁な精神が、かっと目ざめたんですね。これがごく普通の子ども、意気地のない息子でしたら、おとなしくしたまま、自分の父親を恥ずかしく思うところでしょうが、この子は、この子は全員を敵にまわし、たった一人で父親のために立ち上がったわけですよ。父親のため、正義のため、真実のためでございます。なにせ、あなたのお兄さま(註:父に暴力を振ったカラマーゾフ家の長男)の腕にキスをして、『パパを許してやってよう。パパを許してやってよう』と叫んでいたときに、あの子がどんな苦しい思いに耐えていたか。それを知っているときのは、神さまとわたくしだけでございますから。

つまり、あなた方の子どもではなく、わたくしの子どもですよ。ないがしろにされながらも、高潔な心をもつ貧乏人の子どもというのは、生まれてまだ九つというのに、この地上の真理を知るもんなんですよ。」3)

「無口で誇り高い子供というのは、ながいこと涙をこらえていても、大きな悲しみにおそわれていったん堰が切れるとなれば、それこそ涙が流れるというなんてもんじゃない。滝みたいにほとばしるんですよ。ほとばしり出るあったかい涙で、わたくしの顔があっという間にぐしょ濡れになりました。まるでひきつけでも起こしたみたいに泣きじゃくり、体をふるわせ、石にすわっているわたくしをぎゅっと抱きよせながら叫ぶんです。『パパ、パパ、大好きなパパ、あいつ、パパになんてひどい恥かかせたんだ!』

 わたくしもたまらずに泣き出してしまいました。二人して石にすわり、ひしと抱き合ったまま震えておりました。『パパ、パパ』とあの子は言い、こっちも『イリューシャ、イリューシャ』と答えるだけです。そのとき、わたくしたちを見ている人はございませんでした。神さまだけはごらんになって、きっと勤務評定の書類に書きとめてくださったでしょう。」3)

ドフトエフスキーはこの場面をとても大切にしていたようで、イリューシャがこの騒ぎの後しばらくして、熱病で天に召された際、アリョーシャにイリューシャの友人たちに向かって以下のように語らせている。

「何かよい思い出、とくに子ども時代の、両親といっしょに暮した時代の思い出ほど、その後の人生にとって大切で、力強くて、健全で、有益なものはないのです。きみたちは、きみたちの教育についていろんな話を聞かされているはずですけど、子どものときから大事にしてきたすばらしい神聖な思い出、もしかするとそれこそが、いちばんよい教育なのかもしれません。
 自分たちが生きていく中で、そうした思い出をたくさんあつめれば、人は一生、救われるのです。もしも、自分たちの心に、たとえひとつでもよい思い出が残っていれば、いつかはそれがぼくらを救ってくれるのです。」3)

 心にとっての食べ物は、このようなものかもしれない。東洋には『論語』の中に、「小人窮すれば斯(ここ)に濫(らん)す」(徳のない品性の卑しい人は、困窮すると自暴自棄になり悪事を行なう)という言葉がある。しかし、貧しさの中にあっても、高邁な精神は存在しうるのである。

 また、ドフトエフスキーを含む「十九世紀文学の薫陶を受けてきたロシア人は、優雅な美意識を心に抱きながら不条理な現実に甘んじなければならないという巨大な落差を常に抱えて生きてきた。それがロシア人の矛盾に満ちた不思議な魅力にもなり、弱点にもなってきた。」ようである。1)
『人はパンのみにて生きるにあらず』。ドフトエフスキーの作品群は、長編にもかかわらず、食べ物についての描写が極端に少ない。その分、詳細な心理描写が多くを占めている。

 しかし、ドフトエフスキーには、食事に非常なこだわりがあったようである。

ロシア料理とは?

ロシアはユーラシアの北部を東西に広がっているが、狭義にはロシア料理という場合にはウラル山脈以西の食文化を指し、西に接するウクライナ、ベラルーシとは食文化を共有している。例えば、ロシア料理の代表とされるボルシチはもともとウクライナの民族料理である。

「ウクライナやカザフスタンなど他民族料理を除いたら、独自のロシア料理はシチー(キャベツのスープ)しか残らないなどと揶揄される。もっとも1991年にソ連が崩壊し、それまでの中央計画経済から市場経済に移行する過程で、タダ同然で公営企業を手に入れたにわか成金のオリガルビ(新興財閥)はいざ知らず、常に大多数のロシア人は貧しい庶民だった。だからロシア料理の基本は、飾らない家庭料理と言えそうだ。」4)

 そのロシア料理のベースとなっているのは農民料理で、スープ、黒パン(ライ麦を使用し酸味がある)、粥である。一方、当時のドフトエフスキーが好んだ料理は、モスクワ風ソリャンカ(細かく刻んだソーセージ、キャベツ、ピクルスを加えた脂っこいブイヨンのスープ)、子牛肉のエスカロープ(パン粉をまぶして焼いた子牛のヒレ肉)、ラステガイ(上から穴を開け、いろいろな詰め物をして焼いたパイ)、炉底で焼いたピロシキ(豆、蕪、塩漬けきのこ他を入れた精進用パイ)などだが、帝政ロシアの支配階級の料理も含んでいる。5)

気付けに朝食にウォッカ

 ドストエフスキーは、朝食時に、黒パンにウォッカ(19世紀に一般的だった、小麦を発酵させて作った自家製ウォッカ)を飲んでいた。ウォッカは、今では大麦、小麦、ライ麦、ジャガイモなど穀物を原材料とし、蒸留後、白樺の炭で濾過して作られたものである。ウォッカはロシア以外にも、ウクライナ、ベラルーシ、エストニアなどの東欧圏、スウェーデン、ノルウェイなどの北欧圏、ポーランド、スロバキアなどの中欧圏と幅広く飲まれている。一方で、ドイツ、チェコは隣国ながら、ビール文化圏である。朝のウォッカは、ドストエフスキーの創作意欲を鼓舞し、発想を豊かにしたに違いない。

 ロシアでは、ウォッカについては数々の逸話も多く残されている。例えば、元素の周期律表を考案したロシアの科学者メンデレーエフは、真偽は定かではないが、アルコール濃度40%のウォッカが最適な味わいを生み出すと発表していたようである。6)

ウォッカ

ウォッカの飲用ではない実用性

 ウォッカは寒冷地において飲用以外に不可欠な用途もある。

「真冬のヤクート(現サハ共和国)を旅したときのこと、マイナス50度の街中をジープに乗って移動するのだが、運転手の足元にウォトカの瓶があるではないか。この寒さだもの、ウォトカでも飲まなければ飲まなきゃやっていられないのだろう。それでも気がかりで尋ねてみた。
『その瓶、ウォトカが入っているんですか』
 酒飲み運転を危惧したわたしたちの気持ちを察したらしく、運転手は左手に瓶を、右手に布切れを持って、窓をぬぐうしぐさをした。
『窓をふくのに、水なんか使ったらたちまち一面水がはってしまう。だからこうしてウォトカに浸しておくんだよ。』
『でもときどき誘惑にかられませんか?』
『まあね』
そう言って、運転手は片目をつぶった。」1)

ウォッカの薬用としての使用

 民間療法で、ウォッカは薬用としても用いられていた。

 感冒、咽頭痛に対してウォッカを浸して温めたガーゼによる温湿布を、“ツボ”と考えられる咽と背中の付け根辺りのくぼみに貼り付けるなどの例がある。1)東洋医学でも中国系の漢方と、インド系のアーユルベーダがあるが、どちらも“ツボ”という身体の反応点を認識していた。アーユルベーダの影響を受けたチベット医学はモンゴルでも盛んであり、ユーラシアの寒冷地帯においてもその影響があるのかもしれない。

 私自身もモンゴル国の北方のロシアとの国境地帯に行った際に“薬用ウォッカ”を経験したことがある。ウランバートルから北へ向かうと、ツングース系の民族が多いセレンゲ県へとたどり着く。首都のウランバートルよりも降水量が多く、高原ステップが広がっている。セレンゲ県を流れるセレンゲ川を下って、国境を越えると、河口はバイカル湖へとつながっている。国境地帯の免税店では、ウォッカが大量に売られている。ロシアのブランドは酒豪で知られる元大統領のエルツィン、モンゴルのブランドは建国の父、チンギスハンである。
この国境地帯では、日中に太陽が照り輝くと、シャツ一枚でも汗ばむほどだが、降雨の日は、気候が一転して肌寒くなる。その環境変化で体調を崩したらしい。強い悪寒、発熱と鼻汁の症状が現れた。漢方薬で言えば、麻黄湯(まおうとう)、麻黄附子細辛湯(まおうぶしさいしんとう)という身体を温め、軽度発汗させる処方が有効である。麻黄の一大産地はモンゴルや中国の砂漠地帯であるが、そもそも希少な植物であり、都市部を離れるとそれらを採取したり、入手したりする時間はない。

 そこで同行していた寡黙なモンゴルの医師から差し出されたのが、ウォッカに熱湯を注ぎ、さらに胡椒を入れたコップであった。「風邪を引いているのに、ウォッカなのか?」と怪訝に思ったが、他に手段もなく、ちびちび飲み始めた。数分もしないうちに身体の悪寒が取れ、温かくなり、多少汗ばんだあとには、解熱し、鼻水もすっかり止まっていた。身体を温め、軽度発汗させるという治療方針からは、身近にあるウォッカと胡椒が十分に力となることを思い知った経験である。

大統領の気付け薬としてのウォッカ

 ドフトエフスキーの朝の気付け薬でもあったウォッカは、ロシアのエルツィン元大統領の気付け薬としても作用したようだ。コルジャコフ元大統領警備局長が、エルツィン元大統領の身体にウォトカを擦り込んだエピソードを紹介している。

 休日にモスクワ郊外の橋の上から突き落とされたというエルツィンが地元の警察に保護されているところにコルジャコフが迎えに行く。

「わたしはすぐさま自家製ウォトカをコップに注いだ。(註:エルツィンの)頭を少し持ち上げて、コップの中味を口の中に注ぎ込んだ。ボリス・ニコラエビッチ(エルツィン)は凍えきっていたため、飲み物の強さを自覚できないようだった。つまみ代わりにりんごをかじると、またベンチに横たわり微動だにしなくなってしまった。わたしはマントをはぎ取り、ビショビショのパンツを脱がすと、ボスの身体に自家製ウォトカを擦り込みはじめた。足をマッサージし終えると、分厚い羊毛のソックスをはかせた。それから、胸や背中が真っ赤になるまでゴシゴシこすってからセーターを着せた。」7)

 ウォッカは飲用することで身体を温めるが、また、外用として皮膚に刷り込むことによって、燃えたぎるようにヒリヒリと熱くなるようだ。

 東洋医学でも温めるというのは、身体が脆弱になった場合には重要なアプローチである。寒冷地帯でのウォッカは、嗜好品としてだけではなく、実用性を有しているのである。

結語

 東洋哲学と西洋哲学の方向性の違いとして、東洋では自然と一体の方向、地上の生を相対化し、西洋では、地上で地に足つけて生きていく。その中で神の存在が人々を支えてきたと思われる。ドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』における貧しい中での高邁な精神はその生きざまを描いたものである。そして、そのエピソードを他言語への翻訳を通じて感じ取ることができるのも、非言語化され、どの言語にも依存しないような一種の概念を人類が共有していることによるのかもしれない。

 ドフトエフスキーは朝食にウォッカを愛用していた。ウォッカはロシアの代名詞のような存在だが、飲料としての嗜み以外に、寒冷地帯において、薬用や他の実用でも利用されてきた。ウォッカは”命の水“との別名もある。

 優雅な美意識を心に抱きながら不条理な現実に直面することは、非常に辛いことである。文学はそのような時に、そばにいてくれるように思われる。

Abstact

The difference between the directions of Eastern philosophy and Western philosophy is that in the East, the direction of oneness with nature, the life on the earth is relativized, and in the West, we live on the ground. It seems that the existence of God has supported people in it. The noble spirit in poverty in Doftevsky's The Brothers Karamazov depicts its life. And the fact that the episode can be felt through translation into other languages may be due to the fact that human beings share a kind of concept that is deverbalized and does not depend on any language.
Doftevsky used vodka for breakfast. Vodka is synonymous with Russia, but it has been used for medicinal purposes and other practical purposes in cold regions as well as for its taste as a beverage.
It is very painful to face an absurd reality while holding an elegant sense of beauty in your heart. Literature seems to be with me at such times.

参考文献

  1. 米原万里:ロシアは今日も荒れ模様,講談社,2001
  2. ドフトエフスキー,亀山郁夫訳:カラマーゾフの兄弟5,エピローグ別巻,光文社,2007
  3. ドフトエフスキー,亀山郁夫訳:カラマーゾフの兄弟4,第4編錯乱,光文社,2006
  4. 片野優、須貝典子:料理でわかるヨーロッパ各国気質,実務教育出版,2016
  5. ドストエフスキー風な食卓,https://jp.rbth.com/arts/2015/12/20/552521
  6. 沼野充義、沼野恭子:世界の食文化19 ロシア,農文協,2011
  7. A.コルジャコフ:ボリス・エルツィン、日の出から日没まで、インテルブック社,1997

投稿者:田中耕一郎

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