日本の土壌と文化へのルーツ56 インドの菜食主義と宗教的世界観

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎 
 

菜食の日々を経て

 バングラデッシュの山岳地帯の奥深く、ちょうど森の中につくられた現地のキリスト教徒の村がある。私が学生時代のときに訪れた場所である。そこには欧米系のキリスト教徒のNGO組織が滞在し、現地のサポートをしていた。バングラデッシュの国の人口の大半を占めるイスラーム教徒も、数パーセントにあたるキリスト教徒も完全な菜食主義ではない。しかし、そこでは野菜中心のカレーが日常的に食べられていて、私もそれに倣い、生活していた。「カレーという食事がある」というのは、日本人の思い込みかもしれない。そこでの「カレー」とは、野菜に香辛料を加えたルーが米にかかった日常食であった。毎日の食材は、米に日替わりの野菜がルーの中に入っていて、手を小川で丁寧に洗った後に素手で食べる。素手で食べるのに慣れてしまうと一層、食事が美味しいと感じるようになる。後に文明都市に戻っても、しばらくは箸で食べることに違和感があった。

 森の中での毎日の食事には満足していた。自然の中で与えられたものを有難く頂く。そういう気持ちもあった。森の中には商店もなく、そこで育てられた食材による自給自足の生活があるだけである。

 とは言え、当時の私の身体にはまだ不足があったのかもしれない。そこでの生活が終わり、欧米のスタッフの事務所に招かれて、肉、魚などをふんだんに使った料理の山を目の前にしたとき、しばらく眠っていた本能は目覚めてしまったようだ。衝動的に感情はうごめき、貪るように皿の上の食を頬張った。敬虔な宗教者からみれば、何と不浄な人間と思われるかもしれない。しかし、これが当時の私の偽りのない感情であった。地球規模、または宗教的な世界観によってしか、食欲という生きるための本能、中でも肉食への嗜好はは一旦沁みついてしまうと制御することは出来ないものであろうか。

インドにおける菜食主義者とヒンズー教

 インドでは、人口の2~4割程度の2~4億人(註:出典によりばらつきがあり、正確な人数は不明)が菜食主義者とされる。1)世界で菜食主義者が最も多い国で得ある。菜食主義は、人口の8割弱を占めるヒンズー教と関係している。ヒンズー教では、供犠のための肉食は容認しているが無害の生き物を殺すことを否定している。2)このような背景から、近代化による食文化の変容の影響(その代表が西欧資本のファーストフードである)を受けつつも、一定程度の菜食主義者が存在する。

 ヒンズー教徒では、「ヒンドゥー教とは、「ウェイ・オブ・ライフ」、すなわち生活全般にわたる生き方そのものであるという。それはその観念や世界観が神々への信仰だけにとどまらず、衣食住を初めとする日々の生活のすべての面に浸透し影響を及ぼしているからである。」2)そのため、インドで、「あなたは菜食主義者であるのか、肉食主義者であるのか」という問いは、個人的な料理の嗜好を尋ねているのではなく、「そもそも冷静に直訳するならば、自分の立場や主義に関する質問であるのは明らかなはずであった。」2)

バラモン教から現在のヒンズー教への変容

 インドにはカースト制度が存在する。それは、「四つのヴァルナ(種姓。もとは「色」の意味)と、それぞれの階級に属する職能・内婚集団であるジャーティ(ザート、ギャート。「生まれ」の意)から構成される。四つのヴァルナとは、バラモン(僧侶・司祭)・クシャトリヤ(王侯・武士)・ヴァイシャ(商人)、シュードラ(農民・牧畜民・手工業者など生産に従事する人々。)を指す」2)

「インドにおける菜食主義は紀元前5-6世紀にさかのぼる。当時インド北部を支配していたアーリア人は半農耕・半牧畜の民族で、日常的に肉食をしていた。また彼らの宗教であるバラモン教は、司祭階級であるバラモンが神に対し動物や、時に人間の「犠牲」をささげる祭祀(動物供儀)を行っていた。当時都市の商人などに広まった仏教やジャイナ教は、動物供儀を否定しバラモンを批判した。この後バラモンは積極的に不殺生・菜食主義に移行してゆき、バラモン教もさまざまな外部要素を取り入れて現在のヒンドゥー教へと変貌して行った。ヒンドゥー教徒の生活規範を示したマヌ法典は紀元前2世紀から後2世紀にかけて編纂されたもので、供儀のための肉食は容認しているが無害の生き物を殺すことを否定している。」3)

 こうした階層区分は、ヒンズー教における「浄性・不浄性の度合い」2)によって形成されてきた。

バラモン(司祭・僧侶)がより菜食主義者である背景 浄性の維持

 ヒンズー教における浄性が最も高い集団であるバラモンは、自らの浄性を保つために、食生活も、宗教的規範に忠実であろうとする。

「バラモン的な基本概念によれば植物性の食材を使う菜食は浄性が高く、動物性食材の肉食は不浄性が高い。また菜食主義とは不殺生を信条とすることでもあるため屠殺そのものがタブー視されているだけでなく、肉を体内に取り込むことは自分がその動物の獣性(註:牛を除く)を帯びてしまうという考えに基づいている。さらに輪廻転生の思想に基づき、「動物は先祖の生まれ変わりかもしれない。なぜ食べることができようか。」と説く。それは恐れに近い感情かもしれない。菜食主義を頑なに守る背景には、こうした理由が根強くある。」2)

「肉食は少なくともヒンドゥー教の基本理念にしたがうならば、心身を不浄にする要因にほかならないからである。バラモンは基本的に菜食主義であるが故に自らの清浄さを保っている。しかし逆に肉食主義者である主に低位のカーストの人々は、生得的に不浄というだけでなく、肉を口にするがゆえにバラモンから穢れているとみなされる。」2)

 食生活も、宗教的規範に忠実であろうとする態度はあってもその許容範囲はバラモンの間でも異なる。

「菜食主義者の多くが浄性の高いバラモンというイメージが強いが、これはかならずしも正しくない。沿岸地方に暮らすバラモンであれば、伝統的に魚を食べている場合がある。またたとえばガーリー女神を祀る寺院などでは、バラモンたち自身によって女神への供物として捧げられた山羊をお下がりとしてバラモンら僧侶らとともに食べているという。女神崇拝を重んじるシャークタ派のように魚、山羊、水牛を女神への供物として捧げることが励行され、これらを食べたり酒を飲んだりすることが認められている。これに対し、ヴィシュヌ神やその化身であるクシュナ神やラーマ神などを崇拝するヴィシュヌ派の信徒であれば、バラモンだけでなく信徒全員が菜食主義を遵守している。このように菜食主義、肉食主義はカースト制度上の階級との関係よりも、むしろそれぞれの宗派の教えに基づいて守っていると考えた方が現実に即している。」2)

 バラモンの間でも宗派による浄性に対する許容範囲の違いがあり、さらにその土地の食文化によって影響を受けている。

 また、インドにおいては、肉食主義者とは、必ずしも肉を日常的に摂取しているという意味ではない。むしろ、肉食主義者といっても、毎日肉食という訳ではなく、肉食も許容しているという意味合いであり、多くのヒンズー教徒は、日常は菜食が主である。

「一方の肉食主義者にしてもとくにヒンドゥー教徒であれば毎日のように肉食料理を口にしているわけではなく、一週間に一度、あるいはそれ以下ということがむしろ多い。」2)「肉食主義者であっても、世界的に一人当たりの肉の消費量がもっとも低い部類に入るという報告もある。またバラモン的立場からすれば肉食主義は不浄視されカースト制度上低く位置づけられる傾向が強いため、肉を食べていることを隠すことも少なくないという」2)

 このように、ヒンズー教の浄性の観点から、全面的な肉食主義が避けられる傾向にある。しかし、ヒンズー教の間でも菜食、肉食の許容範囲については違いが見られる。

菜食主義者と肉食主義者の境界

 菜食主義と肉食主義は定義によって、許容範囲が異なってくる。ただ、ヒンズー教にとってどのような場合においても例外は牛である。牛はヒンズー教徒によって神の使いであり、神聖不可侵な存在である。

「牛は今日のヒンズー教徒にとってシヴァ神の使いであるとともに、とくに牝牛は人々に乳をもたらす神聖で清浄な動物にほかならない。」2)
 小磯ら2)に基づいて、菜食主義と肉食主義の定義をまとめてみよう。

 一般的な菜食主義の定義は、A(穀類・葉菜類・花菜類)、B(牛の5つの賜物:乳、ヨーグルト、精製バター、尿、糞)、C(水牛の乳)、D(山羊の乳)、E(豆類)、F(果物・果菜類)、G(根菜類)の範囲内である。ただ、一部の僧侶、修行僧など厳格な菜食主義者、または断食期間であれば、Aのみ口にする。

 B-Dにあたる動物の乳、乳製品は大多数の菜食主義者にとっては許容される食材である。菜食主義といっても乳製品が許容されていることから、栄養的には遜色ない。ただ、一般的には菜食の範囲と考えられるE、F、Gも、ヒンズー教の厳格な菜食主義者は嫌う。それはどのような理由によるものであろうか。

厳格な菜食主義者が豆類、果物・果菜類を好まない理由

 「E(豆類)、F(果物・果菜類)については、厳格な菜食主義者はやはりその実が視覚的にも植物の生命の力が凝集した印象が強いため食べることを嫌う。」2)

 豆類における果実は生命力の凝集した次世代への子種には違いない。ただ、「大多数の菜食主義者はこうした見解を気にすることなく、(A)~(F)までを可食としている。」2)

 さらに「インドは世界でも有数な豆類の産地で、ヒヨコマメ、レンズマメ、リョクトウ、エンドウ、ラッカセイなど多種多様な豆がある。これらはいわゆるカレーと称される各種料理やダールと称される豆スープ(ご飯とダールのセットが最低不可欠な食事で、日本の味噌汁に相当する)の具材として食され、乳とともに貴重なタンパク源となっているのである。」2)

 E(豆類)は可食としても、一部の人々はF(果物・果菜類)、特に実の大きい果物、果菜類を敬遠する。対象となるのがオレンジやマンゴー、外来種のトマトが挙げられる。

根菜類と球根類の生命観 特にニンニク、玉ねぎの“生臭さ”

 生臭い食べ物として、日本でも仏教の精進料理では避けるものとされている主にネギ属の植物であるネギ、ラッキョウ、ニンニク、タマネギ、ニラなど「葷」(くん)と呼ばれる臭いの強い野菜類が知られている。ヒンズー教においては、同様の理由に加え、宗教的世界観から避けられる場合がある。

「根菜類はやや位置づけが異なる。これは三つの点をあげることができるという。一つは果実などと同様に、その栄養分の塊が植物の生命力が凝集した部分という印象を強く与えること、二つ目は、これらはいずれも地面を掘り起こして収穫する作物であるが、その際に地面の中にいる昆虫やミミズなどを殺している可能性があること。虫たちの死に直接触れているのであれば、それは不浄視の対象となる、この傾向はヒンドゥー教徒のみならず、ジャイナ教徒(註:インドにおける宗教の一つ。より厳格な不殺生を実践する。)にも見られる。」2)

 3つ目は、日本における仏教の精進料理と同様の理由である。

「三つ目の点はとくにニンニクとタマネギに関するもので、これらはその匂いと味の刺激が非常に強いことから体内に取り入れると人間の獣性が高まってしまうと考えられている。そのために避けねばならない。」2)

「卵」「魚肉」を食べる菜食主義者

 A-Gが一般的な菜食主義者の許容範囲だとすると、次に続くのが卵、魚である。沿岸地方に暮らすバラモンであれば、伝統的に魚を食べている場合がある。卵、魚を食べる場合は、菜食主義者であろうか、肉食主義者であろうか。小磯ら2)は、卵、肉を含む場合、“「肉」を食べる菜食主義者”としている。卵は、H(無精卵)、I(有精卵)、魚は、J(海洋性)、K(淡水性)の順に浄性が低くなっていく。

「正統派(?)菜食主義者にとって卵や魚は肉にほかならない。そもそも『マヌ法典』(註:バラモン教、ヒンズー教の教義の支柱となっている。)ではすべての魚がタブーとなっている。しかしこれらを菜食の一部とみなす自称菜食主義者たちがいる。こうした人々は肉食主義者たちが好む鶏や羊・山羊こそが真の肉であるとみなし、これらを食べないことは厳守するエッグ・ベジタリアン(エガタリアン)、フィッシュ・ヴェジタリアンとも呼ばれる人々である。ここでは卵の方が浄性が高いと解釈したが、さらに卵は無精卵と有精卵、魚も海洋性と淡水性で浄性の度合いが異なる。」2)

 ただし、「ベンガル地方など沿岸部に暮らし、「伝統的に」海の魚を食べることが当たり前の生活を送っている人の中で、カースト制度上もっとも浄性が高く必然的に菜食主義が前提であるはずのバラモンが建前上「菜食」とみなしていることに発端があるという。」2)

 魚を「菜食」の一部として許容する場合には地域性が関係している。ただ、淡水魚については扱いが異なる。淡水魚が禁じられる理由は、「火葬場が川岸に設置されていることと関係している。大多数のヒンドゥー教徒は墓というものを持たず火葬後の遺灰は川に流すが、薪が充分に購入できない場合のほか、事故や自殺など不自然な死に方をした遺体はそのまま川に流してしまうことがある。こうしたことから川魚は遺灰や遺体をついばんでいるとみなされ、そうした魚を人間が食べることに抵抗を感じるわけである。これに対し海の魚はそうした危険性が少ないという。このため海で獲れた魚は食べても、淡水性の川魚を口にしない立場を守る場合が多い。」2)

 インドでは、魚、卵までが“「肉」を食べる菜食主義者”と定義されている。

インドにおける肉食主義

 インドにおいても肉食主義と考えられるのは、牛を神聖不可侵の例外として、羊・山羊、鶏、豚が該当する。これらは、それぞれに扱いが異なり、浄性の高い順にL(羊・山羊)、M(鶏)、N(豚)となり、豚が最も不浄な動物とされている。鶏、豚がより不浄なものと位置づけられる理由として、豚、鶏が人間の排泄物を啄むことがあるためとされている。2)「豚はヒンドゥー教徒、イスラーム教徒の双方から、もっとも不浄な動物とされ、基本的に食べることはない。」2)

「欧米系のファースト・フードの店でももちろん豚は神聖な牛とともにご法度で、その肉・脂が一切使用されない。ハンバーグといえば魚と羊、そして鶏である。」2)

変容するインドとアイデンティティ

「インドもまた都市化が進みその食文化のみならずライフスタイル全体が変容しつつあるなかで、少数派とはいえ浄・不浄の観念に基づいた菜食主義を理想とする伝統が今もなお根強い。それを厳格に実践している人々がいることこそが、ヒンドゥー教社会の特質ともいえる。そして、菜食であろうと肉食であろうと、それぞれがヒンドゥー教徒各自のアイデンティティの拠り所であることだけは確かである。」2)

「ヒンドゥー教徒にとっての食は単に体を維持するものではなく、健康と精神的ゴールつまり究極の解脱を追求する手段の一つである。」2)
「究極の目的に至るために、特定の食べ物を「食べない」、ひいては肉体と精神を浄化することを目的とするのだ、食はインドの深い哲学と切っても切れない関係にあるといっても過言ではない。」2)

 現代社会では、美味しさを魅力的にアピールすることで、人々の欲望を刺激する仕組みが出来上がっており、人の本能である食欲を律することは難しい状況にある。そのような中にあって、インドでは、ヒンズー教の世界観である浄・不浄によって、食に対する一定の制限が機能している。その方向性が菜食主義につながることで、結果的に地球環境にも優しい仕組みがつくられている。

ヒンズー教における人間の欲望の扱い方

 ヒンズー教の二大叙事詩の一つである『マハバラータ』には、次のような表現が繰り返しなされている。

「意(こころ)にあるすべての欲望を捨て、自ら(アートマン)においてのみ満足する時、その人は智慧が確立したと言われる。」4)

 また、人の欲望について、次のようなに対話している。

「人間は何に命じられて悪を行うのか。望みもしないのに。まるで力ずくで駆り立てられたように。」4)
「それは欲望(カーマ)である。激質(ラジャス)という要素(グナ)から生じたものである。それは大食で非常に邪悪である。この世で、それが敵であると知れ。」4)

現代的な菜食主義は、科学的な世界観によって理性的に形成されつつあるものである。それが単なる知識レベルではなく、より“浄性の高い”世界観に昇華することが、欲望を律する宗教的世界観に取って代わる哲学となりうるのかもしれない。

結語

 インドにおける菜食主義、肉食主義とその境界、段階的な定義について述べた。インドでは、人口の8割弱を占めるヒンズー教が占めている。ヒンズー教では、供犠のための肉食は容認しているが無害の生き物を殺すことを否定していることから、世界的にも最も菜食主義者の多い国であり、人口の2~4割程度が菜食主義者とされる。菜食主義といっても、乳製品は許容されている。一方、豆類、果物・果菜類は厳格な菜食主義者には敬遠されている。卵、魚を摂取する場合には、“「肉」を食べる菜食主義者”として考えられている。羊、山羊、鶏は肉食と考えられているが、摂取量は世界的にみて少ないとされ、欧米の一般的な肉食主義者とは様相は異なっている様である。そうしてインドも現代化の波にさらされつつある。

Abstact

In India, Hinduism accounts for nearly 80% of the population. Hinduism permits the consumption of meat for sacrifice, but denies the killing of harmless creatures, making it the country with the largest number of vegetarians in the world. About 20-40% of the population in India is considered vegetarian. Although dairy products are allowed to eat by vegetarian, legumes, fruits and vegetables are avoided by strict vegetarians. If they eat eggs or fish, they are considered a "meat-eating vegetarian". Sheep, goats, and chickens are considered meat, but their intake is said to be low in the world. However, vegetarians in India is also being exposed to the wave of modernization.

参考文献

  1. 森元達雄:ヒンドゥー教-インドの聖と俗,中央公論新社,2005年
  2. 小磯千尋、小磯学:世界の食文化,農文協,2006
  3. インドの菜食主義
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E8%8F%9C%E9%A3%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9
  4. 上村勝彦:バガヴァッド・ギーターの世界,筑摩書房, 2007

投稿者:田中耕一郎

トップページに戻る

Top