日本の土壌と文化へのルーツ63 心の食べ物

緒言

 聖書には、いわゆる物質的な食物とは異なる意味で、食物という言葉が用いられている。「人はパンのみにて生きるにあらず。」ということばが良く知られているかもしれない。その箇所を引用してみよう。
「さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来て言った。『あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。』イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」1)
「イエスは彼らに言われた。『わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。』」「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがありません。」1)
 ここでの食物とは『新約聖書』における神のことばである。人々は生きていく中で、様々な困難に直面する。人は食物に対する飢え、渇き以外に、精神的にも飢え、渇きを感じる。そして、それらを乗り越えるために、ことばを必要とする。これは日々外来で会う患者にとっても同様であろう。
 神のことばにはもちろん、人によって紡がれることばにも、人々のこころの飢えや渇きを癒すものがある。日々の葛藤の中で生きていくための支えとなるものは、一体何であろうか。
 現在、私自身は利き腕の肘を脱臼し、診療も執筆もままならない。ささいなことであっても人の助けが実に必要である。日常の当たり前であったことが、ぎこちなく進まないのは非常にもどかしく、一つひとつの行為に尋常でない気力体力を必要とする。このような時にも、根気、忍耐を維持し、研鑽し続けるには、やはり、こころの支えが必要である。今の私のこころもまた乾いているといえるかもしれない。
 今回は、二人の芸術家の生きざまに重ねて人間の生きざまとその支柱となる、こころの食べ物、つまり、ことばについてみてみたい。

芸術家と表現

 生きることはまさに表現である。人々は感情を表現し、身体を使って表現する。中でも芸術家はその表現を洞察し、深化させることに一生をかける人々である。
 冨嶽三十六景で知られる葛飾北斎(1760年10月31日? - 1849年5月10日)は、75歳の時点で以下のようなことばを残している。
「私は六歳から物の形を写す癖があって、五〇歳のころからしばしば画図を描いて世に出してきたが、七〇歳以前に描いたのは、実に取るに足らないのである。」2)
 このことばは、『富嶽百景』の巻末に初めて書かれた自跋(じばつ:編著者が自ら執筆した後書)に残されているものである。これまでの人生とこれからの決意を表明した数少ない北斎のことばである。この決意の通り、90歳で他界するまで、多彩な作風を開拓していく。
 まだまだ至らないとう思いは、表現を磨き続ける芸術家にとっては常のことであり、常人から見れば十分に前を行っているようであっても、まだ長い道程の道半ばにも達していない心境なのである。
 北斎の70歳時と同じような心境を画家、絵本作家のいわさきちひろさんも有していたようだ。母がいわさきちひろさんの作品を好んでいた。実家の部屋の掃除をする中で、母が若いころ、熱心に絵画に打ち込んでいたことも分かってきた。子供たちにはあまり見せなかった個人的な一面である。今、母は認知症となり、私のことを弟と勘違いすることはままあるが、いわさきちひろさんのことは忘れていない。いわさきちひろさんの作品は母の若い時分の人生への思いと強く関係しているのだろう。
 その、いわさきちひろさんの53歳の時の文章である。
「なんでも単純に考え、簡単に処理し、人に失礼しても気づかず、なにごとにも付和雷同をしていました。思えばなさけなくあさはかな若き日々でありました。・・・あのころよりはましになっていると思っています。そのまだましになったというようになるまで、私は二十年以上も地味な努力をしたのです。失敗をかさね、冷汗をかいて、少しずつ、少しずつものがわかりかけてきているのです。なんで昔に戻れましょう。」3)
 使い古された“成長”ということば、真の成長の実感とはこのようなものを指すのであろう。

表現に磨きをかける

 創作活動の中で、芸術家は様々な壁にぶち当たる。
「私は今まで私の仕事がいやで、長いこと悩んで自信をなくしておりました。新しい、生き生きした仕事がほんとうにしたいと思っておりました。」3)
 その葛藤の中、編集者の武市八十雄氏のことばが紹介されている。「なにか気になるという本を作りましょう。傑作なんか作る必要はありませんよ」3)
気張らず、自分にしかできないものを表現しつづける。これは、芸術家にとどまらず、私たち自身の毎日にあてはまることであろう。
 日々表現に磨きをかけ、芸術へと進化させていく。この過程には数えきれない反復練習が必要である。
 『北斎漫画』というスケッチ画集がある。ここでの漫画とは、葛飾北斎が述べているように、「事物をとりとめもなく気の向くまま漫ろ(そぞろ)に描いた画」という意味である。このスケッチ画集には、江戸の市井で人々の暮らしぶり、姿、身のこなし、瞬間瞬間の動き、風俗、建物、日常用具などが描かれており、「人物絵鑑」「日常茶飯」「動態活写」「道具百科」の4つのカテゴリーから構成されている。全15編にもなる絵の手本書で、もともとは弟子の絵の指導のために書かれたとされる。実際には、絵を賄いとする職人以外に、一般の人々にも人気を博し、当時の一大ベストセラーとなっていった。『北斎漫画』からは、北斎が日頃よりスケッチを非常に大切にし、日々怠らず観察を通じて、表現に磨きをかけていったことがうかがえる。
 いわさきちひろさんも、日々表現に磨きをかけ、芸術へと進化させていくという信念と、そのためのスケッチに怠りはなかったようである。
「子どもが、その幼い頭に知恵をいっぱいふくらませて、どんなに眺めまわしたってあきないで、お話が山ほど出てくる絵。これを立派な芸術にたかめることだ。」3)
「たとえこくめいにかいてあってもなお、わたしがかきよいものに、アンデルセンの童話の中のいくつかがある。『マッチ売りの少女』とか、いろいろなおひめさま、また魔女たちに、わたしは、それぞれのイメージをつくり、それを少しずつ発展させながら、なんかいかいたことだろう。」3) 
当時のソビエトや西欧への旅でも、いわさきちひろさんは、多くのスケッチを残している。
「『なにからなにまで見なければ描けないなんてことはないけれど、じかにこの目で見、ふれることのできる感動がどんなにわたくしを力強く仕事に向かっていけるようにするか・・・・・・』とちひろが語っているが、旅先の画家(註:いわさきちひろさん)は精力的にスケッチには励み、風景や暮らしぶり、何よりその地の空気をとらえることに熱中した。それらは有形無形に後の作品に息づいている。」3)

核となる信念

 日々表現に磨きをかけ、芸術へと進化させていくためには、自身に核となる強い思いがある。
「私は私の絵本のなかで、いまの日本から失われたやさしさや、美しさを描こうと思っています。それをこどもたちに送るのが私の生きがいです。」3)
「そのやさしい絵本を見たこどもが、
 大きくなってもわすれずに
 こころのどこかにとどめておいてくれて、
 何か人生のかなしいときや、
 絶望的になったときに、
 その絵本のやさしい世界を
 ちょっとでも思い出して
 心をなごませてくれたらと思う。」3)
 このように、未来へ願いを込めて祈り、表現されたものは、作品の中に宿る。
時を経てアニメーション映画監督の高畑勲氏は以下のように述べている。「ちひろさんは、一瞬の愛らしさではなく、子どもがしっかりと内面をもって懸命に生きている自立した存在であることを私たちに気づかせ、見事に子供の「尊厳」をとらえた稀有な画家でした。」3)

神の力ではどうにもならない不幸

 一人ひとりの生は自分事であればこそ非常に切実である。その中にあって、どうにも避けられない運命というのはあるのかもしれない。
「アンデルセンは神を信じていた人ですが、神の力ではどうにもならない不幸をリアルにえがきだしているところも面白いと思います。」3)
「百年もの年代の差をこえて、
わたしのこころに、
かわらないうつくしさを
なげかけてくれる
アンデルセン—」3)
 芸術家の思いは、時代を超え、伝え続けられている。いわさきちひろさん自身も、アンデルセンに共鳴しながら、自分なりの表現を重ねて作品を綴っていったといえるかもしれない。

苦労を経て

「人はパンのみにて生きるにあらず。」1)とある。一方で、神の力ではどうにもならない不幸も存在する。それでは、人生を全うするとはどういうことなのであろうか。
 いわさきちひろさんのことばからは、「大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから愛していける人間になることなんだと思います。」3)が挙げられる。
「若い苦しみに満ちた人たちよ。その若い魂と体でどうかがんばっていただきたい。若いうちに苦しいことがたくさんあったとうことは、同じような苦しみに堪える人々に、どんなにか胸せまる愛情がもてることだろう。」3)
「どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、夢を持った美しい子どもに、みえてしまうのです。」3)
 子供への愛情にあふれている様子が、このことばからも、残された絵画からもうかがうことができる。

死と対峙しながら

 誰もが死を避けることができない。半生を過ぎれば、追い立てられるようだ。外来の多くの患者もその不安を抱えながら日々生き続けている。
「七三歳になってやや鳥・獣・虫・魚などの骨格や草木の生態を知ることを得た。だから、八六歳になればますます画技が進み、九〇歳ではさらにその奥義を極め、一〇〇歳ではまさに神業の域に達しているであろうか。一一〇になれば描いた一つひとつの点や線がまるで」生きているように見えるだろう。長生きをする君子よ、願わくば私の言うことが嘘偽りではないことを見てください 画狂老人卍述」2)
 北斎は90歳にて、いわさきちひろさんは55歳で旅立った。
「この“絵本のしあわせ”が、みんなの心にとどくように、もし私が死ぬまでこういて絵本をかきつづけていたとしたら、それは本当にしあわせなことです。」3)
「癒ったら今度こそ無欲な絵を描きたい・・・・・・」3)

結語 旅立ちの前に

 今回は、日々の葛藤の中で生きていくための支えとなるものは、一体何であろうかという問いで始まった。生きることはまさに表現である。人々は感情を表現し、身体を使って表現する。一人ひとりにとって生涯とは、かけがえのない一作品といえるかもしれない。
神の力ではどうにもならない不幸にも遭いながらも、核となる信念をもとに、自分なりの表現を磨き続ける、それが日常である。苦労を通じて見えてくるものは、人それぞれ異なるかもしれない。ただ、死と対峙する際に、やりきったという思いがあれば、非常に有難いことである。

 いわさきちひろさんは病床にて手帳に以下のことばを残している。
「朝、東の空がしらむころ、かならずこじけいの特徴あるなきごえとすずめのチュッチュッというこえがきこえてくる。ねむれなくて2時半から3時ごろに眼をさまして、私のように、まさに夜明けがうれしくてないているという感じです。私はいま、千駄ヶ谷の病院で、胃のぐあいがわるくて入院しているのですけれど、あけがたこのねむれない時間にいろいろなことを考えます。」3)

 毎日多くの方が旅立って行っている。
 世の中の声にならない声の数々 合掌

Abstact

We started with the question, what is it that supports us in our daily struggles? Living is truly an expression. People express their emotions and use their bodies to express them. It may be said that each person's life is an irreplaceable piece of work.
Even though we encounter misfortunes that are beyond the power of God, we continue to refine our own expressions based on our core beliefs, which is what we do every day. The things that come to light through hardship may differ from person to person. However, when facing death, it would be extremely helpful if you had the feeling that you have accomplished something.

参考文献

  1. 新約聖書 新改訳,新改訳聖書刊行会,1970
  2. 大久保純一:千変万化に描く 北斎の冨卾三十六景,小学館,2005
  3. 竹迫祐子・ちひろ美術館 編著:ちひろダイアリー Chihiro Diary 1918-1974

投稿者:田中耕一郎

トップページに戻る

Top