日本の土壌と文化へのルーツ66 桜

緒言

 桜の満開の美しさは、魔性の側面を有していて、時に人を狂わせるという。坂口安吾の『桜の森の満開の下』の出だしを見てみよう。
「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集まって酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいと思っても、絶景だなとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集まって酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと桜の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の下に人の姿がなければ怖ろしいばかりです。」1)

桜にみる野生種と園芸種

 坂口安吾の『桜の森の満開の下』に出てくる桜は、三重県鈴鹿峠の桜であり、野生の桜であるヤマザクラ(Cerasus jamasakura:ラテン語表記のため、ヤがjaとなっている。)のようである。ヤマザクラの花は白く、若葉は赤い。現在、花見をするソメイヨシノとは随分趣が違っている。
 狭義のサクラ属として、他の野生種には、オオシマザクラ、エドヒガンなどがある。
オオシマザクラは、文字通り山に生育していたヤマザクラが海岸地帯に生育できるように適応した種である。
「ヤマザクラといわれる野生種は、オオシマザクラのように枝が下がりません。これは森の中で他の樹木と競合しないよう、太陽光を求めて枝が上を向いて伸びるからです。ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラの樹形は、下枝が垂直の幹に対して45度くら斜めになっています。山で育つサクラは潮風に弱く、海辺に植えると塩害で枯れてしまいます。生え方にも特徴がありますう。自然林では適度な距離をあけて生きています。春、ヤマザクラが咲くと山肌に白い明りが点々と灯るように咲きます。まとめて咲いている場所は人が植えたところです。」2)
 樹形からも山由来なのか、海岸地帯に適応したものかが、見分けられる。観賞用の多くは後者である。
「オオシマザクラは、本州、四国、九州に分布するヤマザクラが、伊豆諸島での島の生育環境に適応するために進化した形態をしています。まず、樹形は海からの強い風に適応して、こんもりとした笠形になります。強い風に枝が折れないように先端が太くなります。葉は潮風の影響を低減するようにクチクラ層を発達させ、毛を少なくしています。島という狭い環境で送粉者を効率よく誘うために、花から香りを出します。島では海岸近くの平地は風の強さや海水の影響を受けやすいため、樹木が育ちにくい空間になります。その空間を生育のよさで活用したのがオオシマザクラです。風で枝が折れても、生長スピードの速さですぐに枝を再生してしまうのです。」2)
このようにオオシマザクラは、伊豆半島原産で海岸の潮風と強烈な紫外線に適応し、火山灰の地質を好む。この性質から分布域は狭い。
さらにオオシマザクラは日本での海岸地域の適応種であると同時に、変化しやすいという性質から雑種を作りやすく、園芸種の元としても用いられている。ソメイヨシノ、八重咲き、早咲き品種はその代表例である。
「早咲きで白い大型の花が2月初旬から4月中旬まで次々と咲き続けます。また、花の形に変化が大きく、他のサクラの種と容易に雑種を作り、多くの園芸品種の元になっています。」3)
「島という特殊な環境を生き延びるために獲得したさまざまな変化は、変わりやすいというオオシマザクラが持つ性質のたまものです。その結果、オオシマザクラ系のサクラから八重咲き品種が出現し、香りの強い品種、早咲きの品種など変異のあるサクラが誕生しています。これらのオオシマザクラに備わった特徴が、日本のサクラの美しさを世界に広めるために役に立った変異の多様性の源なのである。」2)
 こうしてみてみると、オオシマザクラの海岸地帯という一般のサクラにとって不利な環境に適応した柔軟性は、サクラ全体にとっても多様性を広げることになった。人にとっても、一旦不利な環境におかれたとしても、そこで得られた柔軟性は、その後の栄養となるのかもしれない。
 エドヒガンは、「花托筒(註:花の付け根辺りを指す)の下部が実験用フラスコのように膨らむのが特徴である。
 また、海外のサクラであるが、中国、台湾を原産とする寒緋桜(カンヒザクラ)は、冬または早春に先、濃桃色の花を咲かせる。沖縄で花見というとカンヒザクラを指す。
「日本にあるサクラの品種は800種類以上ともいわれます。その数は世界一ですが園芸品種が圧倒的に多く、野生種は少数です。」3)とあるように、園芸種は国内外の野生種を掛け合わせて作られている。
 例えば、後述のソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンの雑種と考えられている。
 伊豆半島の東南の河津川の並木で知られるカワツザクラは、オオシマザクラとカンヒザクラの自然雑種である。日本原産のオオシマザクラ、中国大陸と台湾に分布するカンヒザクラの両者の特徴が見事に融合されている。3)「生長のよさ、花付きのよさ、樹形などはオオシマザクラからの形質です。花が先に咲き、あとから葉が出てくる、花に微毛が生えるなどの特徴はエドヒガンから受け継いでいます。」2)
「‘河津桜’の原木は1950年代の民家の庭に移植され若木が育ったものである。原木は1966に初めて開花したが、開花時期が一月下旬ときわめて早く、その後一か月も咲き続けた。また、花色は、‘染井吉野’よりも濃い淡紅色で、花径も4-5センチメートルと大きい。」4)
 誰が植えたのか、大森にある東邦大学の本院前のバスの大通りには、毎年、早春の寒い時期に、陽光桜の開花がみられる。陽光桜はカワツザクラと同様、早咲きの栽培種であり、オオシマザクラ、エドヒガンにさらにカンヒザクラを加えた種間雑種である。今年は、2月3月が例年より寒かったたため、通常の時期に開花の兆候はみられなかった。3月末に至って、ようやく咲き始めた。陽光は春の訪れを告げる花としては、ソメイヨシノよりも早く、二月ごろには咲き始め、ソメイヨシノよりも長く咲き続ける。花が散る潔さ、儚さもよいが、長く、大きく咲き続ける美しさも、人々に安心感を与えてくれる。
果実で知られるサクランボは、バラ科の広義のサクラ属に属するオウトウ(桜桃)である。中国を原産地とするシナミザクラ、カスピ海東岸のコーカサス地方を原産地とするセイヨウミザクラなど、食用になる実がなるサクラの総称である。DNA分析によるサクラの系統図では、より細分化されて、梅、杏子、桃と同様にスモモ属(Prunus)に分類されている。食用となる果実をつける種が多く含まれている。
「サクランボは甘味の強い甘果オウトウと酸果オウトウがあります。」3)
「最近、暖地オウトウという名前で、シナミザクラのサクランボが鉢植えとして出回っています。新潟県では苦く強い塩味がするウワミズザクラの蕾の塩漬け(杏仁子)をご飯と食べると夏負けしないといいます。」3)

ルーツはもともと亜熱帯?

 日本の春を告げる花として知られるサクラであるが、もともとは大陸起源で、しかももともとは亜熱帯の植物であったとされている。
「約5000万年前にインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突してから、ユーラシア大陸の下に潜り込み続けています。その影響で北側はヒマラヤ山脈として隆起したのですが、ミャンマーより東側は南北に隆起しました。中国の雲南は南北に隆起した地域で、元々の環境が亜熱帯気候でしたが、標高が上がるにつれて平均気温が下がり、徐々に常春の気候に変動しました。その影響で、亜熱帯性の樹木に変化が見られ、新しい種が数多く誕生しました。その中に花のきれいなサクラがありました。」2)
 サクラの中でも、東へと分布を広げっていったグループが現在の日本でみるサクラにつながっている。
「西に分布を広げたのがヒマラヤザクラとなり、東に広がったのが、日本にまで分布を広げたサクラのグループになりました。亜熱帯の中国南部から台湾まで分布しているのがカンヒザクラ(註:陽光桜の野生種の一つ)です。カンヒザクラの分布が広がる前に、中国から陸続きだった日本に分布を広げたのが、エドヒガンやヤマザクラの仲間です。暖かくなって海面が上昇すると、日本に取り残されたサクラが、四方を海に囲まれた島国で独自の進化を繰り返し、9種の野生種になったと思われます。」2)

染井吉野の発祥

「江戸時代、樹木の品種を増やすことに大きな影響を与えたのは参勤交代制度です。各藩の藩主が国許(くにもと)から江戸にやってきます。戦乱の収まった時代、江戸の屋敷では国許の花木が集められ、藩主の楽しみの一つとして、園芸文化が盛んになりました。なかでも人気だったのはサクラです。珍品を好んだ徳川家光は各大名に珍しい品種を献上させました。」2)
 このように園芸文化が盛んであった時代背景を元に、オオシマザクラとエドヒガンの雑種としてソメイヨシノは生まれた。
「‘染井吉野’は、もともと日本列島に分布していた野生の植物ではなく、ごく近年に広まった栽培植物である。確実な記録は残されていないが、江戸時代末に江戸の染井村(註:現在の豊島区駒込)の植木屋から「吉野桜」として売り出されたと考えられている。」1)
「染井村は現在の東京都豊島区にあった村で、当時は江戸近郊の植木屋が集まる地区であった。大名屋敷などの庭園を管理するための植木職人が集まっており、庭園に用いる栽培植物を数多く生み出した江戸園芸に中心の一つであった。」4)
 かつての染井村は、駒込駅に隣接した染井吉野桜記念公園内に、ソメイヨシノ桜の発祥地染井・吉野櫻発祥の里記念碑が建てられて、今でも桜まつりが毎春開かれている。そして、東京都の花は桜である。また、染井村は桜以外にも、菊、ツツジの産地でもあった。
「染井村から売り出された「吉野桜」は、その花付きの良さと成長の早さなどから人気を呼び、明治時代になるとまたたく間に全国に広がることとなった。それまでの花見の桜の代表であったヤマザクラは、花が咲くときに赤い若葉も広がるため、木全体は赤っぽく見える。それに対して、‘染井吉野’は花が咲くときにはまだ葉が広がらない。花が散り出す頃には葉が広がる、いわゆる葉桜の状態になるが、咲きはじめの頃は淡い色をした花だけが目立つことになる。赤い葉が広がるヤマザクラも風情があるが、淡紅色の花だけが目立つ‘染井吉野’は花見の対象とっして理想的な形態といえるだろう。」4)
「また、成長の早さも、無視できない広まった理由の一つである。桜の名所と呼ばれる場所では、多くの桜が植栽されることになる。しかし、植えてから花見ができる大きさに育つためどうしても時間がかかる。樹高2-4メートル程度のサイズでは、ほとんど花がつかないことに加え、咲いても鑑賞に値するような姿にならない。遠くから、あるいは木の下から花を眺めるには、樹高10メートルぐらいのサイズが良い。ヤマザクラは鑑賞できるほど多くの花がつくようなサイズに成長するまで10年以上かかるが、‘染井吉野’は条件が良ければ五年ほどで見栄えがするサイズに成長する。」1)
 生長の速さは、オオシマザクラから受け継いだ性質である。

吉野桜と修験道 妖しい花から大衆化へ

 吉野は、修験道で知られるが桜の名所としても有名である。この両者は密接に関係している。
「奈良時代の初め、修験道の祖・役子角(えんのおづの)が桜の木で彫った蔵王権現を金峯山寺に納めた故事から、修験道と山桜を寄進する歴史が興ったと伝えられます。」3)
「南北朝時代(1336年)には、後醍醐天皇が京から逃れ吉野に南朝を開きました。吉野山を中心とする広い地域に、南朝を支える大きな経済と人的な基盤が蓄積されていきました。室町時代の吉野山は、修験道を中心とする信仰の町として発展したようです。その後、信長と秀吉が天下統一の道を猛進するさなか、大阪の豪商末吉勘兵衛が山桜1万本を献木したのは1579年のことでした。」3)
 江戸時代に入り、参勤交代が始まり、園芸文化が盛んとなる中、サクラの品種も多様化していった。「いままであうことのなかった各地のサクラが咲き競い、他花受粉のサクラに自然交雑のチャンスが広がったのです。」2)
「八代将軍吉宗は紀州藩主から将軍になったので、吉野山の様子を知っていました。」
そこで、「江戸城内のヤマザクラを接ぎ木苗にして育て、品川御殿場(註:東海道品川宿を見下ろす丘陵で将軍の館が建てられていた。)、墨田堤(註:当時、浅草付近に隅田川からの洪水を防ぐために作られた堤防)、飛鳥山(註:東京都北区王子)に植栽します。落語や講談で話のネタになる、庶民や農民の花見遊山の場所を提供したのです。大名から始まり庶民にまで広がった花見の楽しみ方が、サクラの美しさに磨きをかけていきました。」2)

食用としての利用 桜餅

 桜餅に使われる桜の葉は、サクラであれば何でもよいわけではなく、オオシマザクラでなくてはならない。オオシマザクラを塩漬けにした葉からは、桜餅独特の香りがする。これはクマリンという成分で、他の種類の桜の葉にはクマリンの香りはしない。「オオシマザクラの葉にはクマリンを合成する酵素があるため。桜餅に独特の香りがするのです。」2)
 この葉の香りは、他の野生種と交雑した品種では失われてしまう。
オオシマザクラにとってクマリンは、菌や虫に対する防御物質である。それを利用することで桜餅に巻くことは、衛生的な実用性もある。しかし、同時に、この香りを美味しく感じるとは、人間の味覚とは不思議なものである。
 桜餅を具体的に見てみよう。
「サクラの葉を利用した菓子に桜餅があります。桜餅はソメイヨシノの片親であるオオシマザクラの葉を塩漬けにして、餅を包みます。」3)
「二種類あって関東風と関西風があります。」3)関東風は、小麦粉の焼き皮で、関西風は干し飯であんこを包むという違いがある。
 まず、関東風の誕生を見てみよう。
「将軍徳川吉宗が享保2年(1717年)に江戸の隅田川沿いにサクラを植えさせました。その年、隅田川の左岸にある長命寺の長男山本新六が、落ち葉を醤油樽で塩漬けし、餅に巻いて売り出したのが関東風の始まりとされます、」3)「当初はどのようであったか定かではありませんが、小麦粉の焼き皮であんこを包みます。現在も向島で関東風のサクラ餅が販売されています。」3)
 関西風はどのようなものであろうか。
「関西風は、別名を道明寺といいますが、大阪南河内の尼寺である道明寺で作った干飯(ほしいい)が有名だったことに由来します。つまり道明寺とは、餅米を加工したものです。餅米を水に漬けた後に、水切りして蒸し上げ、それを天日干しして乾いたら、石臼で挽いて砕いたものです。蒸した道明寺であんこを包んで、桜葉を巻きます。」3)
「関西風は関東風を真似たことが始まりで、京都や大阪など関西と、日本海側の地域に広がりました。一方、関東風は関東一円や静岡県で見られます。」3)
 ソメイヨシノは鑑賞用で各地に見られるが、桜餅に用いるオオシマザクラの桜葉の生産は需要に追い付いていかないようである。
「現在では塩漬けの桜葉の生産が追いつかない状況なのです。しかも、これを生産しているのは伊豆半島の南西部の静岡県松崎町にある小泉商店他3社のみなのです。」3)
「明治時代に、国府津(現小田原市)の漬物屋の下請けとして南伊豆の子浦に桜葉の塩漬けが定着、松崎町へは昭和30年年代前半に伝わりました。」3)
「工場には、間口2m、高さ2mの大きな木製の30石樽が並んでいます。一つの樽に薬4万束、200万枚の桜を漬け込みます。」3)
「圃場で収穫された桜葉は「まるけ」と呼ぶ作業で50枚づつ茅で束ねられて樽に並べられ、その上から粗塩が掛けられます。塩分濃度は25%にもなります。炎天下での桜葉の収穫作業と葉の「まるけ」作業は根気のいる仕事です。」3)
「塩と共に樽に並べられた桜葉は、前に述べたように30石ぼ樽の場合200万枚にもなります。上に1トンの重石が乗せられ、半年間漬けられます。」3)
「その後、ベッコウ色になった桜葉は18%塩分濃度に調整されて出荷されます。」3)
 オオシマザクラを使う利点は、その香りである。香り成分であるクマリンは、香り以外に抗菌、抗酸化作用があるものの、肝毒性を有している。
「サクラの葉にはクマリンという成分があります。オオシマザクラの葉の塩漬けも八重桜系の花の塩漬けも、何れも生きている時には香りがありません。クマリンの成分は細胞の中の腋胞にあります。細胞が破壊されて腋胞の成分と外部の酵素が反応してクマリンが出来ます。C6H6O2から成り、天然の香り成分で抗酸化作用や抗菌作用もありますが、肝毒性もあり、日常継続的に大量摂取することは好ましくありません。」3)

桜皮 日本独自の漢方生薬

 漢方薬として、サクラの樹皮が用いられ、桜皮と呼ばれている。中国では用いられておらず、日本独自の生薬である。打撲、捻挫などの外傷に用いられ、内出血している場合、排膿作用を有することから、化膿性炎症を併発する場合にも良い適応である。現代医学では安静、冷却などが必要だが、桜皮を用いておくと、治癒の経過が良く、痛みなどの後遺症を残しにくいとされている。
 ただ、サクラの樹皮といっても今まで見てきたように多様である。樹皮としてはヤマザクラやソメイヨシノが用いられているようである。
「日本各地、朝鮮半島などに分布しているバラ科の落葉高木、ヤマザクラPrunus jamasakuraやソメイヨシノなどサクラ類の樹皮を用いる。桜皮というのは和名であり、中国にはない。サクラ類は日本に多く、数十種が知られているが、一般に植えられているのはソメイヨシノである。かつてサクラは日本特産という通説があったが、サクラの仲間は東アジアを中心に広く分類している。西洋のサクラ類はおもに西アジアを原産とするセイヨウミザクラP.aviumで、サクランボなど食用に栽培されている。ヤマザクラやソメイヨシノの果実は苦くて食用にはならない。」5)
「薬用にはおもにヤマザクラの樹皮を用いるが、主幹が20㎝以下の太くない木を利用する。桜皮の外観は赤褐色ないしは灰褐色で光沢があり、特有の匂いとかすかな渋味がある。樹皮にはフラボノイドのサクラニン、サクラチネン、グルコゲンカニン、ナリンゲニンなどが含まれ、葉にはクマリン配糖体が含まれる。クマリン配糖体が分解されると芳香物質が生じるが、これが桜餅独特の香りである。」5)
 今まで見てきたように、クマリンはオオシマザクラにのみ含まれる成分で、他種との交雑では失われてしまう。抗菌、抗酸化作用という意味では葉を用いれば外傷により良いと考えられる。ただ、クマリンの肝毒性から考えると、数グラムとは数日連用するのは難しい。また、東洋医学では桂皮に見るようにクマリン含有量の少ない種を選んできたと考えられる。桜皮の主の薬効成分としてクマリンは考えなくてよいと考えられる。
「江戸時代の民間療法として桜皮はさまざまに応用され、魚の中毒、蕁麻疹、腫れ物など皮膚科の治療、また解熱、止咳、収斂薬として知られていた。また日本の漢方家も解毒・排膿の効能があるとし、華岡青洲は桜皮を配合した十味敗毒湯を良く用いた。十味敗毒湯は荊防敗毒散の内容を加減したもので化膿傾向のある湿疹などに対する処方である。現在では桜皮のエキス製剤は鎮咳去痰薬ついて臨床に用いられている。」5)
 桜皮は、現在でも治打撲一方、十味敗毒湯といった外傷、皮疹の処方として用いられている。必ずしも桜皮でなくてもいけないわけではなく、桜皮または樸樕というクヌギの樹皮のどちらかを選択して処方とする。排膿作用を期待する場合は、桜皮がより良い。共に樹皮であるが、皮膚に治療に樹木の皮膚である樹皮を使うという方法は、日本に限らずヨーロッパでも伝統的に行われてきた。

木材として

 サクラの中でも海岸地帯に適応したオオシマザクラは木材としても用いられている。不利な条件に柔軟に適応することで、使用用途も広がるという一例である。人もこのように生きるべきか、一つのところで全うするか、どちらが良いのだろうか。荘子は後者の生き方を尊重しているようだ。
「(註:海岸での生育に適応したオオシマザクラは)風で枝が折れても、生長スピードの速さですぐに枝を再生してしまうのです。この生長スピードの速さが人間に利用されました。伊豆大島では、コナラやクヌギは海に近い場所に植えると塩害で枯れてしまいます。そこで日常使う薪はオオシマザクラを使ったのです。花見の対象ではなく、燃料にしたため、地元ではタキザクラと呼ばれています。」2)

結語

 書き終わるころには、陽光桜は満開、桜も五分咲きとなっている。春の陽気が職場の周囲に伝わってきている。今年は早咲きの陽光桜もソメイヨシノとほぼ同時の開花となった。ようやく春だろうか。
「そこには桜の森のちょうどまんなかのあたりでした。四方の涯は花にかくれておくが見えませんでした。日頃のような恐れや不安は消えていました。花の涯から吹きよせる冷たい風もありません。ただひっそりと、そしてひそひそと、花びらが散りつづけているばかりでした、彼は始めて桜の森の満開の下に座っていました。いつまでのそこに座っていることができます。彼はもう帰るところがないのですから。」1)
「桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。あるいは「孤独」というものであったかもしれません。なぜらな、男は孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自身が孤独自体でありました。」1) 
 坂口安吾の桜は、柔軟性に不利な環境に適応したオオシマザクラではなく、やはり山に咲くヤマザクラでなくてはならないのかもしれない。人里離れた山の中でふと出会う桜の森の満開の下は、確かに坂口安吾のいうように、人生の重大な局面とその後の試練、孤独をほのめかしているのかもしれない。

Abstact

Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol.66;

Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine

Cherry blossoms, which originally grew in the subtropics, were uplifted as the Indian subcontinent collided with the Eurasian continent and submerged, and as the altitude rose, they adapted to become plants that can grow in temperate zones. Furthermore, cherry blossoms were introduced to Japan during an era when Japan was connected to the continent by land. Nowadays, when it comes to cherry blossoms in Japan, the Somei Yoshino cherry tree is the most popular cherry blossom viewing tree. However, the Someiyoshino cherry tree is a garden variety that was created in the Edo period as a hybrid between the wild species Oshimazakura and Edohigan. The original Oshimazakura is a species of Yamazakura (Cerasus jamasakura) that grew in Japan's mountainous regions, but has adapted to the coastal environment. Oshimazakura, which has acquired adaptability to new environments, is often used to create garden varieties because of its ability to change easily. The unique aroma used in sakuramochi comes from coumarin, a substance with a unique aroma in the leaves, which is obtained by pickling Oshimazakura leaves in salt. In addition, the bark of the wild cherry tree, a representative wild species, has been used as a Chinese herbal medicine to treat injuries and skin eruptions.

参考文献

  1. 坂口安吾:桜の森の満開の下,岩波書店,2008
  2. 石井誠治:木を知る・木に学ぶ なぜ日本の桜葉美しいのか?,山と渓谷社,2015
  3. 近田文弘:桜の樹木学,技術評論社,2016
  4. 勝木敏雄:桜,岩波文庫,2015
  5. 米田該典:漢方のくすりの事典 生薬・ハーブ・民間薬,医歯薬出版,1994

投稿者:田中耕一郎

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