日本の土壌と文化へのルーツ74 弘法水

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎
 

奥大井の民話 弘法水

 静岡県の大井川に沿って北上していくと、寸又峡という峡谷に落ち着いた温泉街がある。そこで地元のお酒を嗜んでいると、(私が)よほど至福の表情をしていたのか、旅館の方が声をかけてくださった。このお酒は伏流水(註:河床や河川敷の下を流れる水で水質が良いとされる)で造られたものであること、さらに、有難いことにちょっとした冊子も持ってきて見せて紹介してくれた。確かに、お酒の風味には水は非常に重要な要素である。早速、冊子の中身を紹介してみよう。名水あるところに銘酒ありという話もある。皆さまのお酒の肴になりうるかもしれない。
 「奥大井民話シリーズ誕生秘話 旨し酒は佳き水から。銘醸地・静岡県の酒造りを支えるのは、奥大井の山々に源を発する豊富な伏流水。大井川上流部に広がるこの地は、正に静岡地酒の故郷なのです。『奥大井に古くから伝わる民話を、この地で醸した酒とで紹介したい』こうした地元の願いに複数の蔵元たちが応え、実現したのが「奥大井民話シリーズ」。故郷を想う心が醸した酒なのです」1)という前口上に始まり、今回の話は「弘法水」と表題がついたお話である。

 「ある夏の昼、奥泉(註:静岡県榛原郡川根本町。大井川に沿って上流に位置する。)の山の上の焼き畑でお婆さんがクワを振っていると、若い旅の僧が通りました。「水を一杯恵んでください」。坊さんにそう声をかけられたものの、畑の小屋ではちょうど水を切らしていました。
 『今冷たい水を汲んできます。』お婆さんは山道を降りていきました。待つことしばし。戻ってきたお婆さんが大茶碗になみなみと冷水を差し出すと、坊さんは一気に飲み干しました。礼を言って、僧は「弘法大師」と名乗りました。
 そして『水汲みは大変だ。泉を授けよう』と言い、近くの斜面を杖でトンと突きました。すると、そこから清水が湧き出したのです。お婆さんはこの水で長生きし、地元の人々は「弘法水」と呼んで、この湧水を大切に守っています。」1)
 この話の舞台である奥泉は今でも大井川鉄道の駅として残っていて、“鉄オタ”には熱い写真撮影スポットとなっているようだ。私は、たまたまトイレ休憩のため立ち寄っただけなのだが、カメラをぶら下げていたため、“鉄オタ”と間違えられ、写真撮影に関する注意に関する厳重な説明を受けることとなった。懐かしいエピソードである。
 実は、弘法水と呼ばれる話は、日本の各地に存在するが、いずれも地下水、河川水を非常に得にくい地域に分布している。弘法大師をもってしても、やはり簡単ではなかったであろう。弘法水としての話が伝承されるのは、それだけ、水の確保が、人々の生活にとって、非常に不可欠な要素であったことの証である。
 「弘法水の多くは丘陵地や山中の谷頭、地形の変換点、山頂、砂浜海岸などに多く分布し地下水や河川水の得にくい代表的な地域となっている。」2)
 弘法大師は一体、どのようにして弘法水を発見していったのだろうか。

  • 奥泉駅看板

    奥泉駅看板

  • 奥泉駅周辺

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弘法水伝説

 弘法水伝説は、日本全国各地に存在し、その数は少なくとも1563話にも上るとされる。2)ただ、河野氏が記録しているのは、大井川周辺でも、奥泉よりも下流の島田市金谷に位置する弘法井戸である。おそらく、まだ調べ切れていない弘法水伝説が、日本各地に残っている可能性が考えられる。また、内容についても様々なバリエーションがあり、柳田国男は、弘法水伝説を10種類に分類している。3)さらに、弘法水伝説にも史実であると考えられるもの、そうでないものがある。史実であるためには、少なくとも、弘法大師(774-835)が生きた平安時代から湧出しているものでなくてはならない。
 弘法水伝説は、地下水の掘り当てるのが容易な平野部ではなく、多くが比較的地下水を得にくい山地や丘陵地に存在している。2)どのようにして発見されたのか、科学的な解明はなされていないが、以下のような記載がある。
 「弘法大師は実際に留学生として渡唐している。当時ダウジング(註:金属棒によって地下水脈を探し出す手法)の技術が中東からシルクロードを経由して唐に伝わっていたことから、弘法大師が技術を習得し、日本各地で地下水を掘り当てたという説もある」2)、「弘法大師が中国で会得した地下水に関する知識(ダウジングなど)を布教の手段として使用したことは否めない」4)などの論述がみられる。弘法大師は、何らかの技術的背景を用いて探索いていたことが考えられる。
 世界的に最も有名な湧水伝説として、紀元前13世紀頃とされる『旧約聖書』出エジプト記の記載が挙げられる。そこでは、エジプトを出て、シナイ半島に向かったイスラエルの民が乾燥地帯での渇きに苦しみながら、三日後に、やっと現在「モーゼの泉」と呼ばれる湧水を発見するまでの様子が書かれている。5)この水は、『旧約聖書』には、マラ(註:苦いという意味)の水として書かれている。「モーセはイスラエルを、葦の海から旅立たせた。彼らはシュルの荒れ野に向かって、荒れ野を三日の間進んだが、水を得なかった。マラに着いたが、そこの水は苦くて飲むことができなかった。こういうわけで、そこの名はマラ(苦い)と呼ばれた。民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。モーセが主に向かって叫ぶと、主は彼に一本の木を示された。その木を水に投げ込むと、水は甘くなった。」 (出エジプト記15章22-23節)6)
 マラの水は、カルシウム、マグネシウムを多く含み、苦みを有する。飲んだイスラエルの民の中には、下痢を起こしたものもいたであろう。
 ここからさらに内陸に入ると、フェイランのオアシスという場所があり、モーゼが杖を打って水を湧き出させた場所として知られている。「主はモーセに言われた。 『イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。あなたはその岩を打て。そこから水が出て、民は飲むことができる。』 モーセは、イスラエルの長老たちの目の前でそのとおりにした。」(出エジプト記17章5-6節)6)
 「地元の専門家によると、この場所は地下水位が比較的高い(註:地表に近い)うえに割れ目の多い岩石があるため、多くの割れ目水が存在する。実は古代の人々はこの水の存在を知っていて、岩をうがって水を得る技術は当時すでにあり、今日も南部シナイ半島帯の人々に継承されている。」6)
 モーセや弘法大師の時代から、現在に至って、地下水の探し方はどのように変わったのであろうか。「大きく分けて文献調査、現場の概要を調べる現地踏査、物理探索やボーリング調査などの現地調査、試掘の順に行われる。」5)
 経験のある専門家であれば、今でも地形からも湧水の場所が予想できるという。
 「文献調査において、とくに重要なのは地質図や地形図だ。火山の山麓や扇状地、河川の周囲などは地下水が豊富で地下水位が高いことが知られている。経験を積んだ人ならば、地質図や地形図を見ながら、過去に井戸を採掘したときの資料、周辺にある湧水や温泉の分布などを総合して、地下の帯水層や不透水層の状況を評価し、地下水開発の候補地を絞り込むことができる。」5)
 弘法大師は、山岳密教の修行していた折には鉱山資源の専門家集団との接点もあったとされ、水銀を含む山岳地帯の鉱山資源にも詳しかった。その頭の中には、水源探索のノウハウも含まれていたに違いない。
 現在では、科学技術の進歩により、物理探索では地面の電流、電磁波、さらに空中からの電磁波探査も行われるようになってきている。

名水あるところに銘酒あり

 「旨し酒は佳き水から」と言われるのはなぜだろうか。
 「市民の視点から地下水の保全と持続的な利用のあり方を追求した「水みち研究会」によると『井戸と水みち』という本には、全国の銘酒と名水の関係がくわしく述べられている。西宮の「宮水」(注:兵庫県西宮市の水。灘と呼ばれ、酒の名産地として知られる)については、『宮水の特徴はリン酸とカリウムが多いことと鉄分が少ないことである。リン酸は麹菌や酵母の繁殖を助長し、カリウムは酵母の養分となる。宮水は清酒酵母の生育、増殖を確実にし、しかも着実に醪(もろみ)(註:酒や醤油、味噌などの醸造工程において複数の原料が発酵してできる、柔らかい固形物など)の発酵を行わせることから、「強い水」といわれ、しっかりとした味とこくのある辛味の男性的な酒が醸される』としている。これとは対照的に「伏見の御香水」の水は軟水で甘口の酒ができるという。「御香水」は高度が40程度の軟水だが、「宮水」は150程度とかなり高い。硬度の高い水で酒を造ると発酵が進み、辛口のキレのよい酒に、高度の低い水で造ると、発酵がゆっくりと進むために、甘口でソフトな酒になるという。」5)
 この傾向は日本酒に限らず、ビールも同様で、「一般的に軟水から造られたビールは色が淡く、味もさっぱりとしたものとなり、硬水で造られたビールは色が濃く、苦味の多いものになるという。」5)
 あるお酒が長く美味しく飲めるというのは、その水も自分の身体が欲しているためかもしれない。

薬としての水 弘法水

 弘法水の中には、生活上の飲用以外にも、特異な水質を有し、薬用に関係したものがある。これらは、水中のイオンを量る際の電気伝導率が300μS/cm以上(水道水100μS/cm、純水1μS/cm)を超える値を示す弘法水が24か所でみられている。「一般的な湧水や地下水の場合、(電気伝導率が)このように大きな値を示すことは、平野の井戸や人為的な汚染以外には滅多に見られない」2)というほど、非典型的である。これらの地下水はある目的をもって敢えて採掘されたと考えられる。
 また、これらの弘法水には、アルカリ性、酸性に傾いたものが多い。「本来pHの高い低い水は火山活動の見られる地域の湧水で散見されるが、今回(註:文献2で調査した)の弘法水の中にはそのような地域はほとんどない。逆にpHの高い代表的な地域は石灰岩地域であるが、今回対象とした弘法水の中では、岡山県の「大師ガワ」と「大師の泉」、広島県の「一杯水」と四国の湧水の一部がカルスト地域にある。人為的汚染を受けている場合もアルカリ性に傾くことがあるが、非石灰岩地域で人為的汚染の考えられない地域であっても、pHが高く、カルシウム濃度が高い弘法水が見られた。」2)
 他の水質測定指標として、酸化還元電位(水溶液中の電子の移動度合いを示す指標。単位はmVで示され、値が高いほど酸化力が強く、還元力が弱いことを意味)がある。「一般的な湧水の酸化還元電位は100~300mVであるが、100mV以下の低い弘法水ほとんどが、皮膚病に良いと言われる温泉水であることは注目に値する。」2)、これらの皮膚病に効く水には、塩水が多いことも特徴である。」2)
 「古来塩水は経験的に消毒作用のあることが知られており、不衛生な原因による皮膚病などは塩水の弘法水を利用するだけで治ったものと推定される。」9)
 疣に効果上がるとされる弘法水には、大分県臼杵市の湧水の水質分析結果から硝酸イオン濃度が高いなどの傾向が報告されている。10)
 「弘法水の中でも最も典型的な効能は眼病であるが、その中には硝酸イオン濃度の高い湧水があり、胃腸病にある弘法水には、硫酸イオン濃度の高い湧水があった。また、硬度の高い、医学的に硬水を飲用する地域の人々が長生きすることが知られている。」2)
 「従来、弘法水の効能は信仰心に基づくプラシーボ効果という心理学的な影響と考えられてきたが、今回の研究結果から、弘法水は実際に病気などの有効な水質を持ち合わせていることが推察される。」2)
 弘法水の掘り当て技術だけではなく、水質の違いによる医学的な効用も知られていたとすれば、当時の深い見識に驚くばかりである。

薬としての水 中国編

 東洋医学では水を細かく使い分けて用いている。中国の明代の医師、李時珍(1518-1593年)が著した『本草綱目』という百科全書的存在の書物がある。薬物としての水は、水部という章立ての中に含まれ、まず、天水、地水とに二別される。
 天水とは、雨水、雹(ひょう)など降り注ぐ水であるが、採取時期、場所によって分類され、さらに甘露、甘露蜜など伝説と思われる水も記載されている。雨水には、気を補う力があり、妊娠にもよく、立春の雨水が最良とされている。この点は、科学的というよりは、天からの水が万物を生み出すという東洋思想の影響が大きい。潦(りょう)水(すい)(長雨により地表に溜まった水は胃腸を整え、体内の熱感と浮腫をとる作用があるとされる。その効果を期待して、麻黄連軺(まおうれんしょう)赤(せき)小豆(しょうず)湯(とう)という漢方薬を煎じる際には、この潦水を用いるとの指示がある。中国の地表水は日本よりも比較的硬度が高く、軟水である雨水は貴重であった。
 露水(秋の夜にお盆を置いておいて朝方に付いた露を用いる)は、乾性咳嗽、疥癬、蟲癩(ハンセン氏病)の薬の調整に用いると良いとされている。また、李時珍は、露水でお酒を造ると極めて清冽(清く澄んで冷たい)ものになると述べている。冬霜(冬に採取した霜)は皮膚の発赤、臘雪(師走に採取した雪)は飲酒、黄疸(アルコール性の肝硬変であろうか)に用いられていた。また、竹の中を切って滴下してとった水(竹瀝(ちくれき)と呼ばれ、中国では今でも用いられている)は、解熱、去痰、鎮静効果があるとされる。
 地水とは、地表近くで得られる水である。主に河川から得られる流水、井戸からくみ上げる井泉水がある。流水は、流れている水でなくてはならず、湖水ではいけない。体液を補うのに最も適しているとされ、流水を高いところから器に注いで泡立てた状態で、薬を煎じると良いとされる。空気を含むことで、口当たりが柔らかくなる。さらに、井泉水は新たに汲み上げた水を飲むのが良く、土地によって質の良し悪しがあり、疾患の発生や寿命にも関係があることが具体的に述べられている。
 節季水は季節に応じて採取した水を指す。例えば、立春、清明に貯えた水は神水と呼ばれ、胃腸の機能低下に対する薬を浸して内服すると良いとされる。
 乳穴水(鍾乳洞の付近から流出する水)は、長く服用することで、消化を改善し、肉付きが良く、健康になるとされる。炭酸カルシウムを含んだ乳穴水がカルシウムの定期的な摂取につながり、骨粗鬆などの予防にはつながったかもしれない。
 碧海水(塩水)煮て入浴すれば、蕁麻疹、疥癬に良いとされる。現在のような駆虫薬や抗ヒスタミン薬がない中では一定の効果があったのかもしれない。
 ユニークなものとして、地漿という水がある。黄土の地帯で得られる水を、少し時間を置いた後に得られる上澄み液であり、食中毒などに良いとされる。中国の黄河は見た目からも確かに黄色い。これは、黄河や周辺の黄土地帯には、黄土という砂よりも小さいシルト(日本語では沈泥)という堆積物が多く含まれ、炭酸塩や鉄、マンガンの酸化物の働きで黄色に変色するためとされている。7)シルトにキレートやある種の静菌作用を期待したのだろうか。

温泉としての水

 『本草綱目』の温泉の記載は非常に短い。中国では、日本ほど温泉入浴の習慣がないと言えるかもしれない。内容も硫黄泉に関してのみの記述で、脳血管障害後の麻痺のリハビリ、皮膚疾患、神経痛が適応となっており、今でもさほど変わらない。
 今回の舞台となった寸又峡温泉は、硫化水素系・単純硫黄泉で、かすかな硫黄臭とPH8.9のぬるっとした触感のあるお湯となっている。こちらの泉質は温泉に浸かってくつろぐために、弘法水としての水はお酒の風味として飲んで味わう。これらは、寸又峡温泉という俗世間にあっても、いずれも身体を通して俗世間でしか味わえないささやかな楽しみである。

結語

 今ほど、当たり前に手に入らなかった水について、弘法水からみる水の確保とそのノウハウ、水によるお酒の風味の違い、伝統医療における弘法水と中国における水の分類と薬効、そして温泉の効能について紹介した。名水あるところに銘酒あり、薬水あり、温泉あり。水の確保の歴史を振り返りながら、それを日常生活だけではなく、お酒、薬にまで押し上げた先人の知恵に乾杯したい。

Abstract

Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol.74;

Water was not as readily available as it is today, and this article covers water procurement and know-how from the perspective of Kobo-sui, the differences in the flavor of alcohol depending on the water, Kobo-sui in traditional medicine and the classification and medicinal effects of water in China, and the efficacy of hot springs. Where there is famous water, there is also famous sake, medicinal water, and hot springs. Looking back on the history of water procurement, let's raise a toast to the wisdom of our ancestors who used water not only in everyday life but also in alcohol and medicine.

参考文献

  1. 奥大井民話シリーズ「弘法水」:寸又峡美女づくりの湯 観光事業協同組合、企画・制作
  2. 河野忠:弘法水の事典 日本各地に伝わる空海ゆかりの水,朝倉書店,2021
  3. 柳田国男:日本伝説名彙,日本放送出版協会,1971
  4. 村下敏夫:水井戸のはなし,ラテイス,1966
  5. 日本地下水学会、井田徹治:見えない巨大水脈 地下水の科学,講談社2009
  6. https://www.bible.com/bible/1819/EXO.15.%25E6%2596%25B0%25E5%2585%25B1%25E5%2590%258C%25E8%25A8%25B3
  7. 新註校訂 図説本草綱目,春陽堂書店,1974
  8. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%9C%9F%E9%AB%98%E5%8E%9F
  9. 田村:塩と日本人,雄山閣,1999
  10. 河野忠,永田美智子:大分県臼杵市の名水 ~その現状と水文学的特徴~,日本文理大学環境科学研究会報告,53:21-28,1999

投稿者:田中耕一郎

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