伝統的な実践理論に基づいた、世界水準の東洋医学を目指します

なぜ漢方、東洋医学という二つの言い方があるのですか?

ある時は漢方、ある時は東洋医学。まるで怪人二十面相みたいで、確かに混乱してしまいます。共に、日本で古くからおこなわれている民族伝統医学という意味ですが、言葉が生み出された時代と背景が異なるのです。
漢方医学 (東洋医学)は、今から1500年以上前の紀元5から6世紀の奈良時代に、中国でおこなわれている医学が導入されたものです。そして江戸時代前期までの日本の医学といえば、この医学だけでした。ところが、江戸時代以降に、オランダ医学が日本でおこなわれるようになりました。長崎の出島に来たオランダ人の医師からオランダ医学を教わるようになったのです。そこで、オランダ医学と区別するために、漢方医学という名称が使用されるようになりました。ただこの時代、主流はあくまで漢方医学でした。
漢方の漢とは、中国漢王朝の漢ではなく、中国の主要な民族つまり漢民族の意味です。漢方とは漢民族の国、つまり中国から入ってきた医学という意味なのです。一方オランダ医学ですが、その漢字表記である阿蘭陀から、蘭の字を取り蘭方と言われるようになりました。
では蘭方医学が入ってくるまでの名称は? これは単に医学でした。医学は一種類しかなかったので、区別する必要がなかった訳です。お酒といえば日本酒、お茶といえば日本茶というようなものです。
では東洋医学とは? 明治になると政府は、外国に学び富国強兵政策をとりました。欧州人や米国からの侵略を防ぐためにはやむを得ない政策だったのでしょう。医学もまたこの政策の犠牲となったのです。明治16年時の政府は、西洋医学を勉強した者のみを医師とするという法律を施行しました。これは漢方医学の存在を否定するに等しい法律でした。こうして漢方医学は衰退していったのです。
だが漢方医学は、果たして西洋医学より劣った役に立たない医学なのだろうか?西洋医学のごく一部の医師に、このような疑問が芽生えていったのです。その一人和田啓十朗は、医界之鉄槌(いかいのてっつい)という書物を著し、漢方医学の重要性を訴えました。明治43年の事です。この書物に啓発され、漢方医学を学ぶ医師が本当にごく少数ですが現れ始めました。こうして、漢方医学はまた復活していくのです。
東洋医学は、明治後期頃から使われ始められた言葉と言われます。つまり西洋医学に対する言葉として生まれたのです。東洋医学という言葉には、西洋医学にはない素晴らしいものが、東洋の医学にはあるのだという思いから生まれたといえます。東洋とは、日本を含めたアジアという意味が込められ、西洋文明に対するアジア文明という意味が込められているように思われます。
ちなみに、この東洋という言葉、中国語では日本という意味になります。東の海(洋)の国という意味なのです。ここより、東洋医学は日本人が創った言葉とわかります。東洋医学とは、日本の医学つまり古くからおこなわれている伝統的な民族医学という意味にもなる訳です。
漢方は単にオランダ医学と区別する目的で、東洋医学は西洋医学を意識し日本古来の医学を見直そうという気持ちが込められた言葉といえます。東邦大学において東洋医学科としている理由は、ここにあるのです。
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