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日本の土壌と文化へのルーツ⑧ 檳榔子(びんろうし)東南アジアの嗜好品

 

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

熱帯と温帯の気候の違い

5月の日本と言えば、気温上昇にて夏日となる場合はあっても、木陰や夕方の風は清涼で過ごしやすく、新緑の伸びも落ちつきを示す季節である。まだ夏が到来していないという感覚をもって、5月に東南アジアを訪れれば、温帯と熱帯の気候の大きな違いを実感することになる。タイは、南北に長く、北はミャンマーやラオスと国境を有する山岳地帯、南は細長くマレー半島が続き、最南端は赤道直下にもなる。赤道とは、地球の中で、太陽光を最も垂直に受け止めている地域である。気象学の分野で言えば、赤道は、一年を通じて、太陽高度角が最大で、より多くのエネルギーを受け取ることが出来る。

5月のタイのバンコクに降り立つと、感じた皮膚の熱と湿、照りつく太陽の強すぎる輝きは、5月の東京とは全く違うものであった。すでに機内でのアナウンスでは気温摂氏36度との事である。タイでは、6月の雨季に入る前の通常の暑さであるが、温帯に住む日本人にとっては、酷暑である。

急激な気温上昇で、発汗、口渇、こもったような熱感を自覚する中、タイの人々に聞いてみると、「ちょうどいい。」「過ごしやすい。」などの答えが返ってくる。体感温度、快適さは、地域によって実に違うものである。

植物も同様で、この日差しこそ、生きていくのに不可欠だと感じるグループがある。第6回で紹介した香辛料、胡椒、生姜、丁子(クローブ)、肉桂(シナモン)などのスパイス群や、第7回の甘味が強く多汁質な熱帯果実、竜眼(リュウガン)、荔枝(ライチ)、ランブータンなどである。

冷凍技術や流通の発達した中、日本でも食することが可能となったが、もともとは東南アジアの貴重な食料であり、薬用資源である。現地の市場やスーパーでは代表果実として店頭に豊富に並んでいる。

タイの豊富な果実

バンコクの位置するメナム川流域のデルタ地帯の黒色がかった土壌を離れ、マレー半島を南下していくうちに、日差しは一層強く感じられる。赤道に近づくのである。雨が平均して降り注ぎ、季節による変動が少ない。熱帯雨林が広がるのもこの地域である。とはいえ、現在では開発が非常に進んでいる。

年中作物が育ち、厳しい寒さもない、湿潤熱帯特有の、鉄を多く含む赤褐色のラテライトの土地を馬に引かれながら旅をしていると、何か生きていく上での安心感が沸いてくる。それは、飢えることを感じさせないほど、作物の盛んな生長が随所で見受けられるからである。馬以外に、タイ中央部、北部の水沢地には水牛も多い。多くは水田を耕すのに貢献しているが、水牛の角は、非常に重要な生薬である。犀の角よりも効力は劣るものの、熱帯の感染症に対する強力な消炎、止血剤である。

郊外での市場では、食料や日用雑貨は何でも手に入る。中でも果実の豊富さは東南アジアの熱帯、特にタイならではである。バナナはもちろんのこと、ドリアン、ドラゴンフルーツ、ジャックフルーツ、マンゴー、マンゴスチン、ココナッツ、パパイヤ、バナナ、ランブータン、パイナップルなど熱帯の果実には事欠かない。タイは東南アジアでは果実の主要産出国である。少し道を入ると、マンゴスチン、マンゴーなどが栽培されている農家もある。まだ色づきも大きさも収穫の時期には早そうである。収穫時期は、マンゴスチン、ランブータン、ドリアン、荔枝(ライチ)が5、6月に7月には竜眼(リュウガン)が8月末まで出荷される。バナナとパパイヤ一年中姿を見かける。

強い陽気の中で、発汗しつづけると、日本にいるときよりも身体が甘味を欲する。また、日本であれば、強すぎる甘味もほどよい甘味に感じられるのである。東洋医学では、このような甘味の強い多汁の果実は、動悸、不安、不眠などの精神不安定を支え、身体に良質な滋養成分(東洋医学的には“血”と呼んでいる)や水分(東洋医学的には“津液”と呼んでいる)を補う作用がある。

南国の何かのんびりした心地よさ、熱気で育つ植物の生態が、人々の心にももたらされるのであろうか。

嗜好品であり、薬でもある

檳榔子

東南アジア、南アジアの熱帯の果実の中でも、果実の味を楽しむわけでなく、嗜好品として非常に有名で、かつ東洋医学の重要生薬でもある檳榔子を紹介したい。檳榔子はマレー半島原産のビンロウヤシの種子の乾燥品である。嗜好品としての檳榔子はタイに限らず、東南アジア、南アジアで広くみることが出来る。

梅棹忠夫の『東南アジア紀行』1)では、1959年頃のタイの様子を以下のように述べている。「熱帯アジアの例にもれず、もちろんビンロウをかむ。ビンロウというヤシの一種の実に、石灰をぬり、キンマという植物の葉でつつんで、口の中でかむのである。赤い汁が出て、口は真っ赤になる。日に焼けた顔に、くちびるだけが不気味になまなましく赤い。この風習は、インドから南シナまでゆきわたっているものであるが、さすがに大都会のバンコクではよほど少なくなっているようだ。しかし、ここまで(註:バンコク郊外)くればふつうである。縁日の泥舟の店で材料を売っている。」1)

この光景は現在でもタイの郊外に行けば、現在でも同様に見ることが出来る。

正確には、檳榔子の切片に石灰と阿仙薬を混ぜたものに、コショウ科のキンマ(Piper betle)を葉で包んで嗜好品とする。この3点セットを郊外の市場では売っている。

阿仙薬とは、マレー半島南部、ボルネオ、スマトラといった一年中湿気のある赤道直下に生息するアカネ科カギカズラ属ガンビールノキである。同じアカネ科カギカズラ属にカギカズラ(鈎藤)がある。節々から鉤を出してこれを他物に引っかけるようにして、他の植物に絡みつきながらはい上がって、林の陽光が最もあたる部分に顔を出す。他を踏み台にしてよじ登る熱帯の植物である。東洋医学では、カギカズラの鉤(鈎藤鉤)を鎮静、鎮痙作用として用いている。この鈎には、リンコフィリンというアルカロイドが含まれている。カギカズラのしたたかな攻撃性の性格とは裏腹に、鈎藤鉤の薬効は人の興奮性の感情や筋緊張を緩める力がある。

阿仙薬にも類似した鈎があるが、こちらは若枝、葉を用いる。製法は釜に入れて時々かき回しつつ煮沸し、約二時間くらいして取り出し、傾斜した板の上に投げ出して水洗いする。最初の洗水は釜の中に流れ込むが、その後のものは薄くなって居るから貯蔵用の瓶に保存し、次の煮沸の時に使用する。そして更に煮沸し、適当と思うまで煮詰めて小瓶に移して冷却し、或る種の作業を繰り返しているとして濃い汁となって凝結するのでそれを乾燥するのである。2)そうして得られた赤褐色の塊状のものを用いる。カテキンなどのタンニンを主成分とし、フラボノイド、アルカロイドなどが含まれ、口腔の清涼作用、胃腸における止瀉作用をもつ。3)口腔の清涼作用を利用して、声枯れに用いる響声破笛丸や龍角散、止瀉作用は正露丸、仁丹などに用いられてきた。嗜好品として、檳榔子と用いられるのは口腔の清涼作用のためである。

キンマも熱帯植物で、マレーシア、インド、インドネシア、スリランカと広範囲に生息している。キンマも薬用であり、嗜好品でもある。精油を含み、有効成分の多くはアリルベンゼン化合物、キンマの精油には分子量が小さく揮発性のモノテルペン類が含まれ、芳香も特徴である。アーユルベーダでは媚薬として用いられてきた。

市場にいくと、ビンロウシを刃物で切片にして、試してみないかと盛んに声がかかる。

どのような嗜好品かといえば、「噛んでいる間は渋みが広がり、大量に口中に溜まる唾はビンロウジの赤い色に変わる。飲み込まず頻繁に唾を吐き出すことでそれを処理する。ビンロウジには依存性があり、何回も用いると次第に手放し難くなる。また、使用することでアルコールに酔った様な興奮を催す。石灰を含んでいるため赤くなった唾液と共に歯にこびりつき、歯が色に変色する。」4)といったものだ。ただ吐き捨てたりするために、公共の場では檳榔を禁止する掲示も見られる。台湾のバスの中には今でのその掲示が掲げられていた。タバコと同様、檳榔も公共の場から徐々に遠ざけられる運命にあるようだ。

檳榔子の嗜好品としての成分

檳榔子

檳榔子が含むアレコリン(arecoline)とは、タバコなどと同様、ニコチン酸関連のアルカロイドである。アルカロイドとは、植物が動物に食べられないように自らを守るために産生するもので、毒性を持ち、薬として用いられることも多い。

アレコリンには、ピロカルピン類似の副交感神経興奮作用、中枢神経抑制作用、ニコチン様作用がある。したがって、眼の瞳孔縮小作用や腺の分泌増進作用があり、檳榔子をかむときは、汗、唾液、消化液の分泌が増進する。5)

『南方草木状』6)では「林邑国(註:現在のベトナム中部)に産出する。彼の地の人はこれを貴果とし、姻戚の客には必ず檳榔からすすめる。たまたま会った時、もし檳榔をすすめられないと、悪感情を抱きあうともいわれている。」と賓客をもてなすのにも用いられていた。賓客は数メートルに、そそり立つ一本の支柱の、天井に葉と果実をつける。

台湾の街には今は少なくなっているが、“檳榔西施”(西施は中国の歴史上の美女の一人)という女性がいて、停車した車、バスにも乗り込んで檳榔を売りにくる。その服装はやけにセクシーで、その分、檳榔の値段も高価となっている。これも“賓客”をもてなす風俗の名残なのだろうか。

檳榔子 ~南方の代表生薬~

檳榔子

東洋医学では、檳榔子は駆虫作用を主体に、腸管運動の促進や、下肢の浮腫の治療に道いられている。檳榔子は中国の、雲南省南部、海南島から東南アジア諸国で幅広く栽培されている。中国の雲南省のタイ族自治区の西双版納(シーサンパンナ)には、熱帯薬用植物園がある。そこでは、“檳榔園”と特別に独立したエリアで栽培されている。

南国の植物には、駆虫薬になるものが多い。南瓜子(カボチャの種)はその代表で、使君子(シクンシの果実)、苦楝皮(センダンの樹皮)も熱帯植物である。熱帯湿潤の気候では、虫類も一年中繁殖しやすく、熱帯に住む植物も自らを守る術として備えているのである。檳榔子の有するアレコリンには、腸内寄生虫の条虫、蟯虫、回虫を麻痺させる作用がある。また、マラリアにも伝統的に用いられていたようである。まさに病の発生地にはそれを治癒する植物があるのである。

また、“張ったような感じ”のする腹部症状に対し、腸管運動の促進し、腸管のガスを下方に降ろし、便秘を解除することから、“気を降ろす”作用があるとされてきた。

「樹幹の下部は太くならず、上部も細くならない。直立して高くそびえ(中略)」『南方草木状』という数メートルの樹幹を用いて、天上で、盛んに光合成しながら、大量のひげ根で、地下の水分を重力に抗して最上部まで汲み上げる。水を垂直に数メートル、自在に汲み上げ、葉からの酸素を下方の根に迅速に供給する力を、人体に用いると、重力に負け、浮腫しやすい下半身に停滞した水を処理する力として発揮されるのである。

現在でもよく用いられる九味檳榔湯という漢方薬に重要生薬として含まれている。

檳榔子の皮も薬 ~大腹皮~

檳榔は種子以外にも、果実を覆う皮も檳榔子と同様の作用がある。冬から春にかけて未熟な果実を採集し、茹でた後に乾燥し、縦に割って、果皮をはぎとる。こちらは駆虫作用も有するが、腸管運動の促進や、下肢の浮腫の効果がより強い生薬である。

結語

熱帯アジアには、豊富な果実がある。東洋医学は東アジアを中心とした伝統医学だが、交易網によって、熱帯の貴重な品々も入手され、食事や、漢方薬の中の生薬に組み入れられていった。檳榔は東南アジア、南アジアに広く用いられてきた嗜好品であるが、東洋医学では同時に駆虫、腸管運動の促進、下腿の浮腫に用いてきた。栽培地域の関係から、長江以南(湖南、広東、福建省など)で用いられることが多い。中国湖南省には、檳榔によじ登って、最初に檳榔の果実をとってきた男性とお付き合いをするという民謡がある。これは男性の力強さを象徴したもので、歴史的には、総じて檳榔は縁起の良いものである。現代では日常の嗜好品としては遠ざけられがちであるが、必要な場合に適切な範囲で用いれば、檳榔は非常に捨てがたい特異な薬効をもつ生薬と考えられる。

参考文献

1)梅棹忠夫:東南アジア紀行,68-9,中公文庫,1979
2)南方圏研究會:研究資料第三十四輯,阿仙薬と肉豆蔲の研究,昭和十九年十一月二十日
3)河野吉成:くらしの中の生薬,伝統と医療,20-2,62,2014
4)Wikipedia, キンマ,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%9E
5)船橋伸次:アルカロイド 毒と薬の宝庫,共立出版,1998
6)小林清市:中国博物学の世界—「南方草木状」「斉民要術」を中心に,農山漁村文化協会,2003

Abstract

Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol.8;

Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine 2014

Clinical & Functional Nutriology 2014;6 (4)196-198

The rich nature of tropical Asia produces a generous harvest of tropical fruits. Since first introduced through trading, tropical fruits have seeded and blossomed in the fields of Asian food and culture and have also been interwoven into traditional Eastern medicine (Kampo).

One such fruit is Areca (Areca catechu), known in South-East Asia as an ingredient of popular “betel quid”. Chewing betel quid heightens our alertness and salivation but can be addictive.

In Kampo practice, dried areca seed (Bing Lang) is used to expel parasites, accelerate intestinal movement, and relieve edema. The areca tree protects itself against the insects teeming in tropical nature and pumps and delivers water absorbed through the root into the high tree trunk and delivers energy converted in the leaves throughout. Bing Lang promotes Qi circulation and water excretion inside our body to dispel stagnancy. These survival mechanisms render areca its remedial properties.

Areca is not only food, but an integral part of Asian culture: it is given as a token of friendship, fortune, and love. Although areca is a target of social criticism as a quid, proper use in Kampo practice extracts valuable and irreplaceable healing powers cherished in the peace of the natural tropics.