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日本の土壌と文化へのルーツ⑲ 生薬としての納豆
東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎
納豆が生薬
納豆が生薬であるというと意外だろうか?実は、起源は非常に古い。2000年前の感染症マニュアルである『傷寒論』(しょうかんろん)の中に梔子豉湯(しししとう)という漢方薬が掲載されている。梔子豉湯は山梔子(クチナシの果実)、淡豆豉(黒大豆:Glycine max)を煮て発酵させたもの)という二つの生薬を煎じたものである。
梔子豉湯は、前胸部の熱感を伴う胸苦しさなどに用いる処方だが、その適応を実際に見てみよう。現代医学が最新の論文を検索するのに対し、東洋医学ではそもそも何のために作られた薬なのかを踏まえることが重要で、2000年前の原典を当たることになる。
現代医学は、科学的検証を通じた思考力、分析力に優れている。東洋医学では、先人は現在のような科学的な思考力は有していなかったかもしれないが、観察力、直観力といったものは現代人よりかえって鋭い感覚を持っていたのではないかという敬意をもってその原典に当たる。この辺りは、両医学の有する体質的な違いである。
この梔子豉湯の『傷寒論』の条文には、以下のものがある。「発汗吐下の後、虚煩して眠るを得ず、若し劇しき者は必ず反覆顛倒、心中懊憹(おうのう)す、梔子豉湯を主る。」1)(太陽病中篇 第76条)
現代語に訳すと、「汗法、吐法、及び下法を用いた後、病人は虚煩が出現して安眠が出来なくなった。もし症状が激しくなり、必ず布団の上で何度も反復転倒して安眠が出来ず、心中は煩悶して耐え難くなる場合は、梔子豉湯を用いて治療するべきである。」2)となる。
東洋医学における感染症の治療は、『傷寒論』にあるように発汗させる汗法、嘔吐させる吐法、下痢をさせる下法が主体である。現代医学の抗菌剤で直接細菌のある部分をターゲットにして行う治療法からすれば、ナンセンスに見えるかもしれない。しかし、東洋医学では、感染源ではなく、生体がどのように反応したかに注目する。
東洋医学の『傷寒論』時代の感染症への考え方を、冬季の寒冷時に増殖力、感染性を特に有するインフルエンザを例にしてみよう。このような性質をもつ病原体を東洋医学では“風寒邪”という。風邪とは外から風に乗って襲来する病原であり、寒邪とは、寒冷刺激と伴って病邪として力を有するそれである。
風寒邪は、まず体表部に取り付き、徐々に内部へ侵入する。
実際には、インフルエンザウィルスは口、鼻というルートを使って侵入し、感染する。しかし、感染時の初期の症状に注目してみるとどうであろうか?悪寒がして、鳥肌が立ち、首や肩の筋肉が強張り、頭痛がしたり、という症状を見てみると、症状は体表部で感じ取っているのではないだろうか?東洋医学では、生体がどのように反応したかに注目し、それの治療法を組み立てる。その治療法が抗ウィルス作用も有しているということに結果的につながっていくという仕組みである。
東洋医学の理論的観点からすれば、汗法、吐法、下法はいずれも生体から“追い出す”という共通点を持っている。汗法は発汗して、吐法は吐く、下法は下痢させることで、病邪を体外に追い出すのと考えるのである。発汗することで、悪寒、発熱、身体疼痛が軽減されるのである。葛根湯は、汗法の代表的漢方薬である。そして、抗ウィルス作用も有している。汗法は風寒邪などの病原が“体表部に取りついた時期”、つまり感染症の初期、にしか使えない方法で、それより病期が進行すれば、吐法、下法であり、この三つではまった場合の救済法として和法(和解)もある。
梔子豉湯はその標準治療でうまく行かず、かえって前胸部の熱感を伴う胸苦しさが生じてしまったものを治療する。
別の条文をみてみよう。
「発汗、若しくは之を下し、煩熱して胸中塞する者は梔子豉湯之を主る。」(太陽病中篇 第77条)。
これも前述の条文と同様、汗法、下法を施行した事で、前胸部の熱感を伴う胸の閉塞感が生まれてしまったものを梔子豉湯治療するというものである。
淡豆豉は納豆?
梔子豉湯の中の淡豆豉とは黒大豆を煮て発酵させたものであれば、納豆といってよいのであろうか?
納豆の定義によるが、『納豆の起源』3)によれば、大豆を発酵させるために用いる菌で大きく分けると、納豆菌を用いた「糸引納豆」と麹菌(Aspergillus oryzae)を用いた「塩辛納豆」の二種類に分けられる。また、納豆菌を用いた後に麹菌と塩を混ぜて追加発酵させる「五斗納豆」というものもあり、山形県の米沢を中心とした置賜地方に伝承されてきた伝統食である。
日本で通常の食卓に上がる納豆は、「糸引納豆」である。茹でた大豆に塩を加えずに納豆菌で発酵させたものである。
淡豆豉は「塩辛納豆」に分類される。
塩辛納豆は、茹でたり蒸したりした大豆を麹菌で発酵させた後、塩水に浸してから乾燥させた食品である。日本では、この納豆菌を用いていない加塩発酵大豆食品にも、「納豆」という名称を付けている3)
中国では、大豆を微生物によって発酵させた調味食品を「豉」、「豆豉」と呼んでいる。中国では調味料として用いられ、無塩発酵の「淡豉」と加塩発酵の「鹹豉」(かんし)に分けられる。日本には、奈良時代に鑑真の来朝とともに、日本に鹹豉が中国より入ってきた。 塩辛納豆は各寺院に伝わり、後に禅寺で精進料理の一つとしてつくられるようになったことから寺納豆と呼ばれる。現在でも、京都市の大徳寺、京田辺市の一休寺などでは作られている。
淡豆豉は、納豆菌をつかっていないという点では、狭義には納豆ではないとも言えるが、塩辛納豆の範疇であり、日本では納豆と慣用で呼ぶことに無理はないと考えられる。
淡豆豉の薬効
淡豆豉は、香豉とも呼ばれ、マメ科のダイズの種子(黒大豆豆豉Glycine max)を蒸して2週間程度で自然発酵させたものを乾燥して用いる。東洋医学的な薬効分類では、味:苦 性:寒 帰経:肺・胃、効能:解表・除煩と記載がある。性が寒とは、身体の“熱”、つまりある種の炎症、または熱感を取り除く働きがある。そしてそういう性質のものには味が苦みをもつものが多い。この性、味は生薬の大きな性質の括りである。帰経(きけい)というのは、作用部位であり、淡豆豉は肺・胃の症状によい。効能とは薬効であり、解表とは“表を解き放つ”、つまり、病原が“体表に取りついた”時期に用いる発汗剤であり、“汗法”に用いられる。
除煩とは、梔子豉湯の使用目標である前胸部の熱感を伴う胸苦しさ、東洋医学では煩躁というが、それを取り除く作用がある。
葱白の効用 納豆と葱で風邪予防?
一般に食卓に上がる葱であるが、東洋医学では葱の白い部分を葱白として用いる。意外に重要な漢方薬に組み合わされている。『傷寒論』の白通湯とは、東洋医学的に身体の熱産生が大幅に減弱し、心肺機能、消化機能が破綻し、脈はほとんど触れず、下痢が止まらないような重篤な状態に用いられていた。現在のような静脈からの補液が可能ではなかった時代の数少ない救命法であった。白通湯の生薬構成は、乾姜(日干しした生姜)、附子(トリカブトの根)に、この葱白が加わったものである。特に生附子を大量に用いるのが強心作用として重要である。葱白もまた、刺激性のある味で、熱産生を高めこの重篤な状態からの救済に一役買っているのである。
葱白の性質は、辛味を有し、身体の代謝を盛んにする温という性質がある。これは汗法に用いられる発汗剤に多い性質である。
納豆、ここでは淡豆豉と葱白の組み合わせである葱豉湯(『肘後方』に掲載されている。)を挙げてみよう。非常に悪寒が強く、発汗しないような感冒様症状に用いられ、身体が温まって発汗するまで頓服で内服する。この処方は、妊婦の感冒治療にも非常に安全な組み合わせであるため、紫蘇葉(東洋医学では汗法に組み合わされ、かつ安胎といって胎児の状態も安定させる作用がある。)と合わされ、香蘇葱豉湯(こうそそうしとう『通俗傷寒論』としても用いられる。
他の発酵生薬 膠飴、神麹
他に発酵させた生薬として、膠飴(こうい)、神麹(しんきく)がある。糯米粉末を麦芽汁で発酵糖化させたものである。こちらは消化機能が低く、十分に消化が出来ないような状態に、消化機能を高めながら、同時に滋養する働きがある。
神麹とは、イネ科コムギの小麦粉、杏仁、赤小豆粉、青蒿、蒼耳子(果実+葉)、ヤナキタデを合わせて、稲藁あるいは麻袋をかけて(夏は2~3日、冬は4~5日)発酵させ、表面に黄色の菌糸が伸びだした頃に取り出して乾燥させ、サイコロ状に切ったものである。小麦粉、杏仁、赤小豆粉、青蒿、蒼耳子(果実+葉)、ヤナキタデをそれぞれ六神に割り当てて供えた後に混ぜ合わせてつくる。六神とは、白虎、青竜、朱雀、玄武、勾陳、騰蛇である。
神麹は、食物が十分に消化できず、未消化物が停滞している状態(食積)を除去するのに用いられている。
納豆の起源は?
納豆は非常にバリエーションが豊かであり、中尾佐助が提唱したその分布は照葉樹林文化と関係がある。4)
照葉樹林文化とは、中国雲南省から、中国南方に沿って日本に至る範囲を示し、常緑性のカシ類を主力とした東アジア独特の森林地帯に共通した文化を言う。茶と絹とウルシ、柑橘とシソ、それに酒などがその代表的文化遺産と考えられ、稲作が伝わる以前は粟を中心にヒエ、ソバの雑穀、大豆、小豆の豆類、サトイモなどの焼畑農耕が行われていた。
酒の製法でも麹という菌類の塊を用いるのもまた照葉樹林文化の特徴とされる。その発酵は神麹のように東洋医学の生薬にも反映されている。
そして、大豆の発酵食品も照葉樹林帯の食文化である。日本、ブータン、中国雲南省、タイ、ラオス、インドネシア、インド、ネパール、ブータンにまでも広がっている。
『納豆の起源』3)によれば、納豆の起源は中国雲南省辺りであり、民族の南下により東南アジア(タイ、ラオス、ミャンマー)へ、またチベットを経由して、ブータン、ヒマラヤに伝わったとしている。
剤形も粒状、ひき割り(刻みからペースト状まで)と幅広い。
ひき割りにした後は、塩に加えて、ニンニク、唐辛子、レモングラスなどが加えて、加工される。タイ、ラオスでは、それを調味料としてスープに使ったり、糯米と一緒に食べたりする。
タイ諸族は、中国南部から南下してきた人々で、乾燥させたせんべい状の納豆(ひき割りしたものを球状に丸め、それを叩いて平たく潰して天日干しとしたもの)が多くつくられている。ミャンマーの最北部では日本と類似した糸引き納豆がつくられているという。
粒状納豆をさらに塩水で漬け込み熟成させた納豆があり、カンボジアでしかみられないという。ヒマラヤでは味噌状納豆は二段階の発酵をさせるが、二段階目では竹の容器に入れ替えて行う。また、ネパールではカレーの中に入れて食する。
菌の供給源として、シダ植物、バナナの葉、チーク、シャクナゲ、食用カンナ、イチヂク属、ハマカズラ属があり、包んで発酵させるのである。
納豆文化を育んだ照葉樹林文化内においても、納豆は地域により多様化し、独自の発展を遂げているのである。
結語
日常の食卓には欠かせない納豆は、生薬である淡豆豉と似た大豆を発酵させたものである。また、納豆には葱を合わして食べたりもするが、淡豆豉と葱(葱白)を組み合わせた葱豉湯は2000年以上の歴史を有する感冒薬であり、妊婦にも安全に用いることが出来る。
大豆の発酵食品は、照葉樹林文化といわれる、ヒマラヤから中国雲南省、大陸東南アジア北部、日本に広がっている。歴史上の民族の移動も加わって、その発酵方法は非常に多彩なものとなっている。
東洋医学には、淡豆豉以外に、膠飴、神麹といった“発酵生薬”があり、食文化と医療がお互い影響し合っていたのが分かる。このような伝統医療の文化的側面も医と食の理解を深める重要な観点と考えられる。
参考文献
2)金子幸夫:傷寒論解説,たにぐち書店(1998)
3)横山智:納豆の起源,NHK出版(2014)
4)中尾佐助:料理の起源,吉川弘文館(2012)
Abstract
Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol;19
Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine, 2016
Clinical & Functional Nutriology 2016; ()
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