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日本の土壌と文化へのルーツ⑳ キハダ
東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎
薬物の製造過程に加わる
“薬”というと、病院で処方されるもの、薬局で購入するものであり、錠剤、粉末といった剤形で手元へと渡る。薬物は、内服、外用して望むべき効果が得られれば一先ずはよいのだが、特に東洋医学では、その製造過程に関わることは、診療上も、健康上も非常に有意義な洞察を得ることが出来る。
まず、食物を例にとってみよう。都市部の多くの人々にとって、食材はスーパーで購入するものである。実際にはそれを栽培し、収穫し、流通に乗って運ばれてきたものである。それぞれの食材はどこの産地かによって、日照、降水、土壌の条件も異なっており、創意工夫によってよりよい食材が安定供給されている。プロフェッショナルとしての料理人が料理そのものの内容、調理法だけではなく、栽培地に出向いて、味を観、実際に顔の見える関係から食材を取引するのは何故だろうか?
食材の品質が料理の根幹に関わることはもちろんであるが、見落とせないのは、食材から調理して、お客様に召し上がっていただくまでの全工程を知ることで、自分の役割が見出せるところにある。食材とは自然界の賜物であり、それを丁寧に育て上げた人から受け取り、それを自分の技術をもってよりよいものへの完成させる。そしてそれを味わう人々もその味の違いに加え、心意気に思いを寄せるのである。食事はただの“摂取”ではなく、自然界の中から頂いているというような気持ちは、より健全な健康観を養うのに役立つと思われる。
薬物に対しても、錠剤、粉末から製造過程や生産者が想起されることはまれであろう。出来上がった結果だけを受け取った場合、その過程での多くの方々の苦労が想像するのは困難である。
もともと伝統医学では、医薬は分かれていなかった。医業を行うものは、自分自身で山に入り、患者に必要な生薬を選び取り、持ち帰って、適切に乾燥し、使いやすい形に切って、保存しておく。居住地周囲での裏山で完結するというのが、古来の形であった。
しかし、東洋医学の古典である『傷寒論』には、モンゴル、チベットの代表生薬である麻黄、南方の広東の肉桂など、中国の政治の中心地から見れば、遠方の希少な生薬がほとんどの処方に用いられている。中国漢代の当時の流通を考えても、地場産の少ない非常に贅沢な内容となっている。これらを大規模な感染症の蔓延に使うとすれば非常に高額である。大衆向けではなく、一部の高貴な方に対する処方であったのではないかとも考えられている。
キハダの製薬過程
ミカン科のキハダの樹皮は貴重な薬用資源であり、江戸時代には無断で伐採するのは禁じられていた。薬用の内樹皮が黄色い事から、黄柏という生薬名がついている。現代でも貴重なことに変わりはない。植えて成長し、薬物にするために20年程度の年月が必要である。若木は鹿によく狙われて、食べられてしまうために管理上の注意もある。
先日、キハダの伐採作業から関わる機会を得た。古来の医薬が分かれていない時代のように、自ら山野に入り、その全工程を追う事が出来たのである。
まず伐採である。どちらの方角に倒すかを見極めて、チェーンソーにて切り込みを入れ始める。枯れた木材は容易に切れるのだが、生きた木材は堅く、切り込みを入れるにも力が必要なようだ。林業に携わる方も加わり、専ら私は見ている立場であったが、予想通りの方向に倒れないこともよくあり、非常に危険な作業である。
切れ込みを両側に入れるうちに、ようやくキハダが傾き始め、音を立てて倒れる。その倒れ込む勢いと達成感と共に気分が高揚する。
倒れたキハダの幹を素早く横に複数に切断し、それぞれの樹皮に縦に切れ込みを入れる。これは、薬用となるキハダの樹皮を剥がすためである。そして、梅雨の後半が最もキハダの樹皮を取るのに最適な季節である。梅雨の降雨と多湿により、水分を多く吸収した樹皮は、浮腫んで剥がれやすくなっているからである。古来より夏の土用前後がよいとされている。2016年でいえば、7月19日~8月6日頃となる。
キハダの材は水分や湿気に強いという特徴はそのまま、民間では他の外用として生かされてきた。特に骨折した場合、副木固定の特に大きい皮を使用する。
樹皮は外側のコルク層と内側の内樹皮で出来ている。樹皮がやや湿った状態で両者は剥がれ易くなっているものの、なかなか円滑にはいかない。もんじゃ焼きを焼く際のヘラのような道具を用いて、少しずつはがしていく大変な重労働である。
重労働の中、励みになるのは、薬用となる内樹皮が非常に鮮やかで美しい黄色をしていることである。キハダの語源である黄肌そのものである。
剥がした一部を口に入れて苦みを、噛んで粘り気を確かめる。苦み、粘り気と鮮やかな黄色はそのまま、良品を見分けるための指標とされてきた。主要成分のベルべリンの含有量とも関係してくる。苦みは樹木ごとにも異なり、樹木の部位によっても異なる。幹の上部、枝よりも幹の根に近い部分がより強い苦みを有する。
煎じ薬にする場合は、内樹皮を平板上にして日干し乾燥させて、細かく切断する。
軟膏などの外用剤にするためには、内樹皮のみをはがして、煮るために手で細かくちぎって鍋の中に入れ、最後まで煮詰める必要がある。煮続けていると水分蒸発に伴い、キハダが濃縮されてきて、赤褐色の粘稠なものが鍋底に溜まって来る。これをワセリンなど油性の基剤と混ぜ合わせると完成である。
工程そのものは書いてしまえば非常に単純なものである。実際に身体を動かしてやってみると、天然薬物であることの実感と、その素材を自分の手で加工することによって、自分自身の生き物として、本来有している野生の強さを思い出されてくれる。また、その手間を知ることで、単なる粉や錠剤、軟膏ではなく、決して粗末に扱えない大切なものへとなる。
民間療法というと、正規の医療と対比して軽視されがちであるが、人々が身近にある植物を用いて、健康を維持し、病を治療する知恵をもっていた点が非常に重要である。人々は必要時に備えて、薬用植物を栽培したり、自生している場所を知っていたのである。このような知恵は、現代の生活の中での健康管理にも役立つ知識である。すべてを専門家が管理する方向ではなく、自律的な健康管理を進めていく上で、自然界へ足を踏み出しながら、古来からの自分たちの身の回りのもので健康を守るという知恵に触れ、生き物としての“野生性”を刺激するのもよいと考えられる。
薬用としてのキハダ
キハダは東洋医学の最古の生薬学書『神農本草経』(しんのうほんぞうきょう)に収載されているが、日本ではすでに縄文時代から使用されてきた。
縄文時代の遺跡から、栗、樫の実とともに、キハダの樹皮が薬用に保存されていたと思われる状態で発掘されている。1)
民間薬として歴史の長い、胃腸丸の陀羅尼助、ワカ末、複合ワカ末、百草丸、百万胃腸丸、練熊などはみなキハダの樹皮をおもな原料としたものである。苦みがあり、胃腸症状に頻用され、苦味健胃薬に分類されている。
主要成分のベルべリンは、抗菌・抗炎症・中枢抑制・血圧降下が報告されている。抗炎症効果はNF-κB遺伝子の不活性化等に基づくものとされている。
東洋医学では黄柏という生薬名で、清熱解毒薬に分類されている。清熱とは炎症という“火”を抑えるのみならず、発熱の有無に関わらず、熱感としての“見えない火”にも用いることができる。
黄柏は、抗炎症剤としても下半身によく作用するとされており、消化器としての大腸、腎、膀胱といった泌尿器、生殖器系、下肢の炎症に用いられる。
代表的な漢方処方として、黄連解毒湯がある。黄芩、黄連、黄柏、山梔子という四つの生薬の配合で、名前も解毒で、見た目も毒々しい黄色をしていて苦い。清熱薬の基本的な組み合わせで、これを応用して、他の漢方薬が出来上がっている。黄連解毒湯と乾燥肌に対しての四物湯を合わせたものを温清飲(うんせいいん)という。温清飲は、解毒証という現在でいうアレルギー体質に用いられている処方群の基本となっている。
解毒証とは、身体の毒を排出するかのように、日常的に皮膚炎、鼻炎、中耳炎、咽頭炎といった局所炎症を呈する体質のことである。今の見方でいえば、デトックスのようなものである。
染料・心材としての使用
黄柏はその黄色さから染料としてもとても重要である。黄色に染め上げる以外に赤や緑色の下染めにも利用されてきた。紅花を用いた染物の下染めに用いられるのが代表的で、紅花特有の鮮紅色を引き立てるのに用いられている。
家具の木材としても使用されることがある。心材が黄色を帯び、木目がはっきりしているのが特徴である。ただし軽量で、軟らかく、強い荷重がかかるものには不向きである。
また、黄柏には防虫作用があり,特に長期間保存する必要がある経典,戸籍帳,薬物書,『医心方』などの医方書の紙を染色するのに使用され,時を経た現在でも黄色に染まっている。
アイヌの美食 シケレぺラタシケプ
アイヌでは、キハダの果実(シケレペ)を食用と薬用に、樹皮は薬用に用いる。シケレペとは、ぬるぬるした・実という意味である。文化を越えて黄柏が広く薬用であることは、多くの医療体系が認めた薬効を有しているともいえる。さらに、アイヌは果実を多く用いる。 アイヌの代表的な料理の一つに、シケレペラタシケプ(ねばねばする煮物:シケレペや豆類、カボチャなどをいれて柔らかくなるまで煮た後、ツウレプを流して、とろみをつけた料理)という料理がある。シケレぺは、苦みと芳香を有し、その料理の中の香辛料としての役割がある。他のミカン科の果実と異なり、芳醇な甘みは有していない。
この料理は日常食のほか、儀礼には欠かせないご馳走であり、あの苦いシケレペの味を知ってしまうとまた食べたくなる、不思議な風味をもっているという。
結語
キハダは日本では縄文時代より薬用として用いられてきたとされている。アイヌ民族も樹皮を薬用、果実を食用としていたように北海道から広く用いられてきた。生薬はもともと自然界に生えている特殊な代謝系を有した植物の恩恵によって成り立っている。栽培、加工、流通など製薬過程が見えなくなってしまった現在、自然界に入り、採取し、薬に仕立て上げる過程を追うことは、本来、人々が自然とどう関わっていたかを実感することになり、また自分たちの身の回りのもので健康を守るといった民間の知恵を再考することにもつながると考えられる。
参考文献
2)菅洋:有用植物 (ものと人間の文化史),法政大学出版局 (2004)
Abstract
Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol;20
Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine, 2016
Clinical & Functional Nutriology 2016; ()
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