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日本の土壌と文化へのルーツ㉑ モンゴルの食
東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎
因地、因時、因人制宜
東洋医学には、「因地、因時、因人制宜」という言葉があり、その土地の食材をその土地、季節、個人の体質に合わせて用いる工夫がなされている。そのため、日常での食生活に嗜好はもちろんのこと、自身の体調管理に役立っている。東洋医学でいう脾胃(消化管)の調子に応じて、摂取する食事内容を淡白なものに変更するのは「因人」「因時」である。これは日常生活では“あたりまえ”のこととして、あまり意識することなく、行われている。しかし、「因地」より生まれている日本の食事の特徴というものは、海外で食事をしてみてはじめて分かることがある。日本の味噌汁が飲みたくなるというのはその例で、身体が味噌という発酵食品を必要としていることの現れであり、日常生活で身体の健康を維持してきた食材なのである。食事は、身体、精神に沁みついている。
現在は、異国といえども、ツアーに参加して、洋食に慣れていれば、外国人用のホテルに宿泊し、日常生活とある程度変わらない食事を味わうことが出来る。
しかし、異国の都会を一歩出ると、またそこには現地の“本当”の食生活が待っている。
ここでは、モンゴルでの生活と絡めて両文化の特殊性を見ていきたい。
内モンゴルとモンゴル国
中華人民共和国の内モンゴル自治区は、中国からは内モンゴルと呼ばれ、モンゴル国からは南モンゴルと言われている。中国国内に住むモンゴル族(400万人以上)は、モンゴル共和国(300万人)よりも人口が多くなっている。
双方は同じモンゴル族でも、食文化が異なり、中国国内のモンゴル自治区では中華料理の影響が強い。ここではより、純粋な意味で遊牧民の食生活を残していると考えられるモンゴル国を見ていきたい。
大地の広がり
日本の国土の約3倍を有する大地に、300万人が住んでいるが、その半分は、海抜1300m程度にある首都のウランバートルに密集している。しかし、ウランバートルの都市部を一歩出て、北に向かえば広大な大地が続いている。モンゴル全体は東西に、海抜0m以下から2000m台にまで緩やかな傾斜の高原地帯が続いている。
6~8月であれば、寒冷で降水量の少ないモンゴルでも草原が緑に色づき、草原地帯が広がるようになる。広大な草原大地を移動していると、所々にゲルという移動式円形テントが数個固まって現れる。周辺には馬、羊など人間の数を数倍上回る数が放牧されている様子が見られる。大地を色づけている草原は主に動物たちの糧となっており、農耕としてはジャガイモ畑が見られる程度で、私たちが食卓で見るような野菜は非常に少なく、葉物などの緑黄色野菜の栽培は見られない。降水量が極端に少なく、土壌も肥沃でない大地は、栽培食物による負荷をかけると簡単に痩せていく。モンゴルのように小麦、米などの主食がない遊牧生活で主となるのは、乳製品である。
馬乳酒 “主食”のない世界
「歴史的には、アジア大陸の農耕地帯の北側に広がる中央アジアの乾燥地帯は、ウマ、ヒツジ、ヤギ、フタコブラクダを主要家畜とする遊牧民によって占められていた。」1)「多くの牧畜民にとって、重要な食料は肉ではなく乳製品である。殺して肉を食べていたら、家畜の群れはちいさくなるばかりである。それにたいして、家畜をふやして群れを大きくすればするほど、得られる乳の量はおおくなる。乳という完全食品を多量に食べることができれば、農産物はなくとも人間は生きれるのだ。」1)
「乳はそのままだと腐敗してしまう。しかし、チーズ、バター、ヨーグルトなどの乳製品に加工すれば、それは保存食品となる。牧畜民は、乳を飲むよりは食べているのである。モンゴルから中央アジアにかけて分布する遊牧民のあいだには、数十種類ものことなる乳製品に加工する技術が知られている。」1)
東アジア、東南アジア諸国のように、“主食”の米がない食文化では、米を食すように乳を食するのである。ガイドブックには紹介されている非常に有名な乳製品でありながら、最近のウランバートルやスーパーなどでは決して見かけることのないものが、馬乳酒である。ところが、ウランバートルを離れて草原地帯に入ると、村々でも販売されていて、家庭でも水代わりに摂取するのは、馬乳酒である。
ゲルを訪問
モンゴルの興味深い習慣を紹介してみよう。
生薬採集のため、辺り一面の草原地帯を走っていたところ、運転していたモンゴルの教授が急にゲルの集まる場所に向かい車を止めた。ゲルとは直径4-5mの移動式組み立て円形テントである。おもむろにゲルの中に入ると、家族数名がゲルの中でテレビを見たり、食事をしたり、授乳したりなどにぎやかである。教授はためらいなく腰を降ろし、私にも座るようにとすすめる。そのうちに、家族が馬の革袋の中で発酵させた馬乳酒を酌み出してくる。さらにホーショールという中国のマントウ(日本でいう饅頭の皮のようなものである。)に羊肉を詰めて油で揚げた“モンゴル式肉まん”が出てくる。「御馳走になってよいのだろうか?」と思いながらも、アイラグと呼ばれる馬乳酒を口にする。
モンゴルの馬の在来種は小型であるが、数十キロを走り続けることができ、耐寒性も非常に強い。1)
ルブルク『モンゴル旅行記』には、「クミスはモンゴル人はアジア遊牧民の飲み慣れた飲料である。その加工法は、馬皮でつくった桶をきれいに洗い、これに馬乳を入れる。そのなかに麹のかわりに発酵した馬乳を入れ、発酵してクミスになるまで木杵で攪拌するのである。」2)とある。
アルコール濃度はさほど高くない。極端に降水量が少なく、水が貴重なモンゴルでは、馬乳酒を水のように一日4Lあまりも飲むようである。モンゴル高原は緯度、標高とも高く、乾燥している。乾燥した実感がなくても、不完全蒸発が盛んである。1)馬乳酒のアルコール濃度はさして問題にならない。「馬乳酒は、複数の種類の乳酸菌、酵母を含み構成成分には難消化性多糖類を多く含んでいる。馬の乳の成分は他の畜種に比べて、乳糖量が多く、脂肪は極端に少ない。」1)甘くて味はとてもよいのだが、慣れないと、胃もたれ、食欲不振、下痢などの症状が現れる。日本人が日常生活で有している腸内細菌の種類では手に負えないのかもしれない。それも米など主食や野菜などがほとんどなく、食事の大半は乳製品と肉類である。多くの日本人にとって、乳酸菌製剤を持ち歩くか、日本を出発する前に乳製品をモンゴル人並みに摂取して腸内細菌叢を慣らしておく必要がある。
また、ホーショールに入っている羊肉だが、在来種は尻尾に座布団のように脂肪が蓄えられており、「脂肪羊」と呼ばれるくらい、脂質が多い。これをさらに油で軽く揚げるので脂っこく、以外に胃に重い。
馬乳酒とホーショールでお腹が落ち着いてきたころ、教授に「知合いですか?」と尋ねてみると、「初対面だ。」と答える。怪訝な表情で、もう一度「知合いですか?」と聞いてみると本当に初対面とのことである。非常に不思議な出会いの中であったが、時間とともに和んだ雰囲気の中で何となく、察するものがあった。そこで、こっそりと教授に「お金を払った方がよいですか?」と聞くと、笑顔で「そうそう。」と愉快そうである。幾分かを教授に渡すと、さっとゲルの中の仏壇に捧げるとブッダにお祈りをし、腰を上げて挨拶をして帰り支度に入った。モンゴルではチベット仏教が伝来して広がっている。ゲルの家族に払うのでなく、ブッダに捧げた方がお互いに気は楽である。
モンゴルのように大草原の人もまばらな地域では非常に有り難い習慣である。車で行けども行けども草原が広がっており、食事の備えがなければ、ゲルにお邪魔するのもわるくない。車に戻りながら、「なかなかいいでしょう?!」と教授は目くばせをした。
馬乳酒と薬効
東アジアの伝統医学の体系には主に少なくとも二系統が考えられる。
中国伝統医学を源流とした中医学、韓医学、日本漢方という一系統と、インドのアーユルベーダを源流としたチベット医学、モンゴル医学である。この二系統間で相互に交流は存在してきた。
インドーチベットーモンゴルの系統は今でもチベットにおいては、仏教が社会的通念の中に溶け込んでいるため、宗教と医学は一体となっており、医師は同時に仏教徒である。チベット医学の聖典であり、モンゴルでも用いられている『四部医典』はアーユルベーダを基礎としている。薬草などはチベット、モンゴルによって生息している植物が異なるために独自の発展を遂げている。モンゴル医学が、隣国の中国医学の影響をあまり受けていないのは興味深い点である。しかし、モンゴルを主産地とし、中国で頻用される麻黄、黄芩、黄耆といった生薬はモンゴルでも用いられている。
中国伝統医学の『黄帝内経』には、「北方は高原で非常に寒い。そこに住む人々は遊牧生活をし、乳製品を食糧としている。寒病が多く、それを治すのに灸療法を用いている。」というように北方の医学の特徴が記載されている。
モンゴルは冬季には-30度にもなる寒冷地である。モンゴルの灸は茴香と脂を混ぜたものを温めてフェルトで捲いて灸をする一種の温熱療法である。2)
また、モンゴル医学では、水代わりとして摂取されてきた馬乳酒を多用している。寒性で甘味であり、渇きを止め、解熱作用があり、栄養に富み、肺病を治す力があるとされる。
また、骨折した骨の癒合が悪いとき馬乳酒を布に浸してその上に当ててその癒合をうながす方法もある。
多様な乳製品
振り返ってみて、日本の食事
結語
参考文献
2)ソロングト・バ・ジグムド(著)、珠 栄〓、竹中 良二(共訳):モンゴル医学史,農文協(1991)
Abstract
Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol;20
Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine, 2016
Clinical & Functional Nutriology 2016; ()
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