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日本の土壌と文化へのルーツ㉛ 種苗管理と野生種、救荒植物

 

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

国産の野菜

 人類は、約20万年前アフリカにて存在し、約10万年前にはアフリカの他、西アジアへ、約5万年前にはアジア、オーストラリアに到達し、約4万年前にはヨーロッパにも進出し、以後、全世界へと広がっていったとされる。1)植物もまた、気候変化で移動、淘汰され、商業取引という人の手を借りて、全地球を渡り歩いている。食材としての植物である野菜もまた例外ではない。
「わが国で市場に出回っている野菜の種類は約100種で、地方的なものを入れると140種程度といわれている。この中で日本原産の種類はウド、フキ、ミツバなど数えるほどで、日本の野菜の大部分、とくに生産の多い重要な種類はみな外国から渡来したものである。これら渡来野菜の中には、縄文、弥生時代のような古い時代に渡来し、永年わが国で作り続けられ、日本の風土に順化した種類がある一方、明治以降に渡来し、今でも西洋野菜として珍しがられる種類、あるいは渡来後、あるいは渡来後約100年の間にすっかり日本の野菜になりきったタマネギのような野菜もある。」2)
 日本古来の野菜というのは、現在の和食の中でもさほど多くはない。和食は伝統とはいえ、比較的新しい食材も含んでいるのである。
 また、現在では日本国内のどこで野菜を買っても同じようなものが手に入る。これはどうしてであろうか?それは、現在では、種苗によって品種が管理されているからである。
「種苗会社とは、農作物の種子を産生し、農家に供給する企業のことである。現在、日本国内で消費されている種子は、そのほとんどが種苗会社の管理のもと、海外で採種が行われ、国内での採種はわずか一~二割ほどとされる。この数値は、日本の食料自給率(カロリーベースで四割)よりもずっと低い。つまり、「国産」と表示されている野菜も、種子の産地はほとんどが「外国産」なのである。」3)
 地産地消が見直される時代にあっても、種子は外国産という場合が往々にして起こり得る。栽培した品種から種子をとって、地域ごとに管理すればよいのだが、これは非常に難しい。一つは量の問題、もう一つは質の問題である。

農家が種子を買う理由

 まず、量の側面から見てみよう。人口増加に伴い、都市が形成されると、流通網が整備され、市場規模が大きくなる。市場に野菜を供給する場合、農家としては同じものを大量に作る方が効率良い。しかし、栽培のための大量の種子を農家自前で用意するのは非常に難しい。そのため、種苗を扱う業者から大量の種子を買う必要があるのである。
 次に質についてみてみよう。市場では一定の規格化された食材が扱いやすい。野菜を規格化するということはどういうことだろうか。主に日本では二段階考えられている。一段階目は固定種、2段階目はF1品種というものである。現在、全国各地で同じように売られている基本となる品種はF1品種、各地域で特産としている品種が固定種である。
 日本での種苗の3つの転換点に触れ、固定種、F1品種をみていきたい。

固定種、F1品種とは

 在来種と固定種は自家採種が可能な点では共通しているが、遺伝的特徴はまったく異なる。在来種とは、遺伝的に雑駁で粗雑な品種であるため、その株から種子を採っても形や大きさが不揃いで、親と同じ形質には育たない場合が多い。これに対して固定種は、形質が変わらないように固定された品種であるため、その株から種子を採ると、親品種と同じ形質に育つことが特徴である。固定種では、大きさや形が不揃いなもの、病害虫にかかったものを除外し、品種の特性を維持するために必要な優良個体を厳選する「母本選抜」を何年か繰り返ことにとって品種特性を固定化したものである。3)
 F1品種(final generation)とは、異なる二種類の親品種を掛け合わせてつくり出した品種で、掛け合わせた親品種に比べて、生育や耐病性が優れ、形質や品質も揃い、収量も高くなる。この現象を雑種強勢という。しかし、雑種強勢が現れるのは一代限りで、F1から種子を採ろうとすると、F2では草勢も急速に減退し、形質にもばらつきが出てしまう。つまり、F1品種は自家採種が不可能であり、毎年購入しなければならないという点で、他の二品種と比べて特殊な育種技術といえる。3)

伝統野菜と固定種

 野菜は全世界を渡りあるいてもきた。一方で、それらはいろいろな地域で独自に定着もしてきた。現在、地域の伝統野菜と言われているものは、固定種である。
 近年、「伝統野菜」が注目を集めている。芦沢は「伝統野菜」について「渡来した野菜が日本各地に伝播・順化され、それぞれの地域でそこの気候・土壌・食生活・地域的行事などに対応するように選抜・固定が繰り返されることによって成立した品種」と定義している。
在来種から固定種、F1種への誕生には、野菜生産の三つの過渡期と関係している。第一の過渡期は在来種、第二期は固定種、第三期ではF1種の取引が盛んとなった。
「日本における野菜生産の発展には、大きく三つの画期があった。第一の画期は、京・大坂・江戸の三大都市周縁での商品野菜が開始された江戸時代中後期、第二の画期は、各地の都市人口の増加を背景とした野菜需要の拡大、輸送園芸の発達や青果市場の整備にともない野菜生産が進展した明治中後期から昭和戦前期、第三の画期は、昭和四十一年に成立した野菜指定産地制度にもとづく大産地が形成された高度経済成長期以降である。」3)
 第二の画期に、各地に野菜の市場が成立すると、出荷する野菜の均質性が求められるようになり、野菜の育種にも新たな対応が迫られるようになった。形や大きさが不揃いで在来種から、形や大きさの揃った品種を選抜・固定する技術が体系化され、作り出された品種が固定種である。

第三の画期とF1品種

 野菜指定産地制度はとは、指定された野菜の出荷する義務を負う代わりに、出荷品目の価格が一定以下に下落した場合に、野菜供給安定基金を通じて生産者補給金が交付される制度である。そこで、F1品種が普及するようになる。
「このため、一種類の野菜の大産地化が進むとともに、「F1品種」の普及も急速に進んだ。F1品種は従来の固定種に比べて格段につくりやすく、収量性も優れ、形状や品質も均一になる。市場流通機構が整備され、単品・大量生産・大量供給がさらに求められるようになると、栽培が容易で収量が多く、生産面や流通市場でも取り扱いやすいF1品種が広く重宝された。この過程で、地域に根づき、独特の形や風味をもった固定種野菜の多くが失われていくことになった。」3)
 F1種の品種と普及と品種の単純化は、これまで継承されてきた固定種野菜の品種育成や採種技術を衰退させていった。
「農家が使用する種子は、高度経済成長期を境に一変した。昭和四十一年(一九六六)年、野菜生産出荷安定法のもとで指定産地制度ができ、一つの品目に力を入れる産地が各地に形成された。安定供給を求める時代の流れのなかで、大手種苗会社が育成する均質で収量の多いF1品種が普及し、各地に古くから伝わる伝統的な野菜が次々と姿を消していった。それらは本書のキーワードでもある「固定種」と呼ばれる種子で栽培された野菜であり、固定種野菜の消失は、固定種種子の消滅を意味し、しかも一度消滅すると、その野菜を二度と復元することはできない。」3)

漢方薬と野菜

 江戸時代の野菜として食べられてきたものの中には現在、漢方薬として使われるものも含まれている。クズの根、ハスの実、ユリの根、イタドリ(虎杖)、馬歯莧(馬莧、ウマビユ、スベリヒユ)、オニバス(芡実:けんじつ)、川骨(コウホネ)は救荒植物でもあったが、いずれも漢方生薬でもある。クズの根は葛根湯の中の一生薬である葛根である。葛根は感冒に発汗剤として使用されるが、百合根もまた漢方薬で止咳、鎮静作用がある。当時も多くは栽培ではなく野生品を用いている。

虎杖(唐杖、イタドリ)

 イタドリ(Polygonum cuspidatum)はタデ科の多年草で全国各地の山野に生育する。東洋医学では、虎杖の根は抗炎症、末梢循環不全、止痛、黄疸の治療などの効果があり、外傷、月経不順、関節痛などに用いられている。
 一方、「根は太く、虎杖根と呼び、利尿剤、健胃剤などにする。」2)と記載があり、日本の民間薬としての使用法とは異なっている。イタドリの野菜としての記述を見てみる。
「江戸初期の農書の『親民鑑月集』には、三月にとって食べる野菜の一つにイタドリが記されているが、植付けの月の記載はない。おそらくは採取品を利用したものであろう。江戸中期の諸国産物調べの資料をみると、米沢、佐渡、伊豆七島などでイタドリを菜の一つにあげている。」2)
 野生で盛んに繁茂するイタドリは、飢饉の際に貴重な食材でもあった。
「救荒植物に関する書物では大抵とりあげ、茎葉は茹で、水に浸し和え、麦或いは米に炊き込みかて物にす、などと記されている。近年芽が山菜の一つとして市販されている。」2)
「順調に生育したものは、茎が太くて柔らかく、生でも食べられる。茎葉には酸味があり、煮食し、また漬物にして貯蔵し、野菜の不足する時期に利用する。」2)
 イタドリは現在でも、地場野菜として若芽を煮物などとして食されている。

馬歯莧(バシケン、馬莧、ウマビユ、スベリヒユ)

 スベリヒユ(Portulaca oleracea)はヒマラヤ西部の原産といわれるスベリヒユ科の一年草で、陸稲などに随伴にして渡来した史前帰化植物の一つと考えられている。生活力が強く、現在は人里雑草として全世界の温帯から熱帯にかけて、耕地や路傍などの陽地に広く野生している。
 東洋医学では馬歯莧の全草を抗炎症、止痢作用として用いる。
 食材として本種はゆでで浸しや和え物にし、また乾燥して貯蔵したものは水でもどし、各種料理に用いられる。独特の酸味とぬめりがあり、珍味とされている。
 歴史は古く、すでに平安時代には食されていた。「平安時代の『和妙升』では、野菜類の条で莧のつぎに馬莧をあげ、「別有一種地而生葉至細微俗呼為馬歯莧 宇萬比由(ウマヒユ)」と記している。この馬歯莧は『重修本草綱目啓蒙』で、ウマビユ、スベリヒユ、スベリヒャウ(佐渡)」2)と記しているように、現在のスベリヒユで、これによると平安時代にはスベリヒユは野生していて、人々はそれを採取して菜としていたことがわかる。
 また江戸時代にも野菜として流通していた。
「江戸中期の諸国産物調べの資料をみると米沢、佐渡、紀伊など約半数の藩でスベリヒユまたはヒョウを菜の一つとしてあげている。ただしこれらの多くは、野生品を採取して菜としたものと思われる。」2)
 また馬歯莧は救荒植物であった。一定の繁殖力を有するために、野生品で食材としても供給を満たすことができ、飢饉の菜にはそれを飢えをしのぐために用いることができる。
 『救荒野譜』に、「紅白二種あり、夏に入り茎葉を採り沸騰にくぐらせ、日乾し冬用ゆ。」とあるなど、救荒食物関係の書物に記され、現在もスベリヒユは山菜の書物に大抵記されている。」2)
 馬歯莧もまた野菜であり、生薬でもあった。栽培品ではなく、野生品で、救荒植物であったことも、虎杖と非常に似ている。

川骨(荊骨、川骨、コオホネ) 日本独自の生薬かつ食材

 川骨はスイレン科の水生多年草であり、北海道西南部以南の温暖帯の小川や池沼に野生する。
 中国と日本で共通して用いている生薬は多いが、川骨は日本独自に重用している生薬で、中国ではあまり用いられない。しかも、現在でも現役の生薬で、治打撲一方という漢方処方に含まれている。文字通り打撲の治療薬であり、川骨は末梢循環不全を改善し、浮腫を取る作用がある。
 奈良時代から根茎、若芽を野菜として食されていたようである。室町時代には粥に青苔、牛蒡に川骨を添えたという記述がある。2)
 江戸時代の『大和本草』では「本種は性よく血を収めるので、外科と女医(註:産婦人科)が好んで用いる」と書かれており、薬用としても貴重な国産種であった。
 飢饉のときには、根茎をハスの根茎のように粮(かて)にしたという。薬用としては現在も用いられているが、明治以降は食用にした記録はない。

オニバス(芡実:ケンジツ、ミズブキ)

 平安時代から塩漬け野菜として利用されていた。『大和本草』では凶飢を助けるとしており、救荒植物であった。東洋医学ではオニバスの成熟種子は、芡実(ケンジツ)と呼ばれ、加齢に伴う頻尿、尿失禁、軟便、慢性下痢、帯下の治療に用いられている。オニバスもまた、食用、薬用であり、救荒植物であったという点では、上記の植物と共通している。古来から伝わる野菜は、多く民間で薬用としても使用されていた。一方で中国においても上記の日本独自の川骨以外は、国を越えて薬用と認識されていたことは興味深い。

結語 救荒食物と漢方薬

 野生の野菜は、身近にあって、飢饉の際に人類を救ってくれるものであった。栽培植物とはまた異なった野菜の側面を有していた。本来の自然の恵みとはこういうものかもしれない。現在では山菜といわれているものがそれにあたる。
 救荒植物の中に多く、漢方薬が含まれていることが分かる。その地域だけで小規模で使用されるだけであれば、裏山で供給を満たすことが出来た時代もあったのであろう。
 一方で、都市の形成とともに、規格化され良質の品種が求められる。日本では、在来種から固定種、固定種からF1種と三大転換点があった。種苗の国産は1、2割である。品種改良の恩恵にあずかりつつも、固定種や身近にある野生種もかつては野菜として利用されており、今なお薬用として用いられていることを知っておく必要があると思われる。

Abstract

Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol;31

Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine, 2018
Clinical & Functional Nutriology 2018; ()

Wild vegetables are familiar and saved humanity during the famine. It had a different side of vegetables from the cultivated plants. It may be such an original natural blessing. Currently it is said to be a wild vegetable. These salvaged plants also have been used as medical herbs in Japan. If it was only used in that area on a small scale, there would have been times when we could satisfy our supply at the back lane.On the other hand, along with the formation of cities, standardized good quality varieties are required. In Japan, there were three major turning points from native species to fixed species, F1 species from fixed species. Domestic production of seeds and seedlings is less than 20%. While participating in the benefits of breed improvement, it is thought that it is necessary to know that fixed species and familiar wild species are once used as vegetables and are still used as a medicine.

参考文献

  1. 富田守 編著:学んでみると自然人類学はおもしろい,ベレ出版,2012
  2. 青葉高氏:野菜の日本史,八坂書房,2000
  3. 阿部希望:伝統野菜をつくった人々 「種子屋」の近代史,農文協,2015