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自分の仕事をつくる 西村佳哲 筑摩書房 2009

 

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

自分の仕事をつくる 西村佳哲 筑摩書房 2009
自分の仕事をつくる
西村佳哲
筑摩書房 2009
 まえがきからぐいぐいと引き込まれる。この本の表現には全く無駄がないからだ。
 「目の前の机も、その上のコップも、耳に届く音楽も、ペンも紙も、すべて誰かがつくったものだ。街路樹のような自然物でさえ、人の仕事の結果としてそこに生えている。教育機関卒業後の私たちは、生きている時間の大半をなんらかの形で仕事に費やし、その累積が社会を形成している。私たちは、数え切れない他人の「仕事」に囲まれて日々生きているわけだが、では仕事は私たちになにを与え、伝えているのだろう。」
 「たとえば安売りの家具屋の店頭に並ぶ、カラーボックスのような本棚、化粧板の仕上げは側面まで、裏面はベニヤ貼りの彼らは、「裏は見えないからいいでしょ?」というメッセージを、語ることもなく語っている。建売住宅の扉は、開け閉めのたびに薄い音を立てながら、それをつくった人たちの「こんなもんでいいでしょ?」という腹のうちを伝える。」
 「また一方に、丁寧に時間と心がかけられた仕事がある。素材の旨味を引き出そうと、手間を惜しまずつくられる料理。表には見えない細部にまで手の入った工芸品。一流のスポーツ選手に、「こんなもんで」という力の出し惜しみはない。」
 「このような仕事に触れる時、私たちは嬉しそうな表情をする。なぜ嬉しいのだろう。」
 “生き返る思い”が自分の中に思い起こされた。やはり毎日の累積される仕事は、後者でありたい。とはいえ、時間に忙殺されがちな毎日である。自分自身で宣言し、そのような仕事を創っていく必要がある。
 まずは、その感性を高める毎日でありたい。
 本書では、「丁寧に時間と心がかけられた仕事」の本人たちの話、そしてそれを通じた著者の思いがつづられている。
 「観察感度が上がると、引きずられる形で、本人のデザインの精度も高まってゆく。デザインの精度も高まっていく。デザインに限らず、スポーツや料理においても、模倣は基本的な上達法だが、そのポイントはまず観察を通じたイメージ精度の向上にある。」「本人の『解像度』のや高さが、その人のアウトプットの質を決める。」
 これは東洋医学では四診(望診、聞診、問診、切診)、特に望診(東洋医学でいう視診)の精度も同じである。
 「サーフボードを削り上げる仕事です。ただ。その人がいまサーフィンの何に困っていて伸び悩んでいるのかとか、そういう部分に対しても手を貸していくクリニック的な側面がある。」
  この点は外来での診療を作り上げていく面に似ている。しかし、ここでのポイントは、“どうなりたいのか”という本人自身の将来像が必要なことである。そのための対話である。その場の症状のみを取るの事にお互いの関心が集中してしまえば、次々と現れる症状をモグラたたきのように右往左往しながら、対応することになる。本人自身の意志はますます弱くなっていき、自分自身の揺れ動く感情が自分の根幹をも支配してしまう。
 ここでの挑戦的な一言は次の引用である。
 「パンは手段であって、気持ちよさをとどけたいんです。」
 東洋医学というと、“漢方薬の見立て”が全てと思われがちだが、それは技術の一面にすぎない。“単なる漢方薬の使い手になるな”という戒めさえ、この東洋医学にはある。どの漢方薬を使うか?という当てものの世界ではない。対話を通じ、きめ細やかな処方が浮かび上がってくるのである。さらに、毎日の生活のセルフケア(食事、睡眠)、そして感情生活、意志が揃ってこそ大きく機能してくるシステムなのである。その対話が出来れば、お互いに満足の出来る診療が創られていく。
 漢方薬の問題点は、製剤が規格化されていて、その細やかさが表現にくくなっていることである。オーダーメイドにすれば、それはより良く、既成のものであっても、出来る限り本人自身のための処方に近づけようと努力している。
 自分の仕事の在り方を振り返り、息を吹き返すことになった素晴らしい一冊である。