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高校生と考える希望のための教科書(桐光学園大学訪問授業)

 

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

自分の仕事をつくる 西村佳哲 筑摩書房 2009
高校生と考える希望のための教科書
(桐光学園大学訪問授業)
坂本 龍一, 谷川 俊太郎, 他
左右社 2018
それぞれの演者の講演授業が始まる前に、次のようなことが書かれている。
  • 「教科書」とは、子供たちが将来、社会を形成する市民となるために必要な内容を学ぶためのもの。その内容はもちろん時代とともに変化します。
  • いま、ある課題に対して、「知識をできるだけ多く学び、同じ方法で考えて、多様な答えを出すことが一律に求められた旧来型の教育から、「知識を広く深く研究して、さまざまな方法で考えて多様な答えを導く」ことが求められる時代へと大きく変化しています。
講演録には、それぞれの演者の大切にしている姿勢、仕事、感性などが随所にちりばめられている。ビジネス書のように起承転結のある明確な方法論が紹介されているわけではなく、読者個々人がくみ取って発想、アイディアを深めていく内容となっている。
私自身が興味深く読ませて頂いたのは、各講師の思い出の授業、思い出の先生という箇所である。それをいくつか挙げてみよう。
坂本龍一氏:前中先生はクラスに入ってくるなり「おれは、お前たちに興味ない。お前が他の誰であろうと、おれは知らない」というようなことを言ったのです。僕は衝撃を受けて、その授業が終わるとすぐに職員室に飛んで行き、前中先生と話しました。
李禹煥氏:大学4年生の時の大江清三教授(カントの純粋理性批判)。広大な知識の海を泳ぐ感じを受け、また深く考える嬉びを味わった。「批判」を貫いている「人間の認識には限界がある」という、一見当たり前の言葉が教授の声を通って伝わってきた時、僕は感動した。そして人間の規定を変えれば限界を越えられるという暗示も受けた。しかし一方で人間はその人の知っている程度にしか世界を解る事ができないということ、いくら多くのものを与えようとしても、その器以上のものは受け入れられない、ということも身に染みて解った気がした。
飯尾純氏:授業の終わりに、先生が「国際人というものは、英語がしゃべれるということよりも、たとえばドフトエフスキーの小説を読んで、全く文化の違う人の考え方がわかり、そういう人とのつき合い方を考える人のことだという話をされました。
成田龍一氏:「知的」な背伸びの快感を味わうなかで完結しない世界にふれることができました。
沼野充義氏:先生が教科書を無視しただけでなく、教科書に載っていた詩人を批判したのはびっくりしました。高校生であった私は、先生の気迫に打たれ、自分の信念で教育するというのはこういうことだと、高校生なりに感ずるものがありました。特に文学の場合、教科書に載っているからすべて優れた作品であるという保証などないのは当たり前のことです。世間の人たちが、世の権威がいいと言っているものだからとは限らない。自分がいいと納得しない限り、文学作品をいいとは言えない、というごく単純なことは、その後の私を支える考え方になったと思います。

これらはいずれも教員の人間の器から出て来たものである。本当に大切なことは、人と人との化学反応でしか、生み出し得ないものではないかと改めて感じさせられた一冊である。