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日本の土壌と文化へのルーツ㊸ カカオと悲劇の歴史

 

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

人によって繁栄を得た植物 

 ココア、チョコレートとして知られているカカオは、植物分類学を築いたスウェーデンの植物学者リンネにより、1753年にギリシア語で神(テオス)の食物(ブローマ)という名(Theobroma cacao)が与えられている。
 cacaoの語源は中南米の先住民のナワトル語(古代アステカ)であるcacahuatl、マヤ語の“Ka’kau”などに由来するとされている。マヤ文明もアステカ文明もメソアメリカ(中央アメリカの真ん中部分、メキシコ南部からエルサルバドルやホンジュラスあたりまでの地域)に属している。カカオの原産地は、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、ペルーにまたがるアマゾン川流域やオリノコ川上流に展開する熱帯雨林3)であり、栽培地として適する赤道から緯度20度以内のメソアメリカでも栽培されてきた。グアテマラ太平洋岸の最古の土器にすでにカカオ・ドリンクの痕跡があり、紀元前1200年頃には栽培されていたと考えられている。
 カカオの果実は、木の幹から直接生えるラグビーボールのような形をしており、カカオポッドと呼ばれている。その中に、数十個のカカオ豆が含まれている。

当時の“カカオ飲料”

 カカオを原料とするチョコレートは、いまでこそ「食べる」ものだが、カカオが中米で栽培化されてより十九世紀半ばまで数千年ものあいだ、カカオは「飲む」ためのものだった。栄養価が高く、薬理作用もあるカカオは、豆の一粒一粒が貨幣の役割を果たしていたほどの貴重品で、マヤやアステカの文明を築いた先住民の社会ではもっぱら身分の高い人々のための特別な飲み物だった。2)
 メソアメリカでは、焙炒したカカオをすりつぶして水を加え、それにトウモロコシやトウガラシ、アチョテという食紅を加え、冷やすか室温で飲んでいた。また、壺に入れて棒でかき混ぜたり、高い位置の器から低い位置の器に落として、泡立てて飲んでいた。その後に、続々と到来したスペイン人の影響や、カリブ海の島々における砂糖の生産量が増加するとともに、シナモンやバニラ、砂糖を入れるなど、カカオの飲み方が変わってきた。3)また、薬草を入れて治療にも用いられたという。1)
 泡立てる理由としては3点が考えられている。第一に、空気とよく混ぜることによってポリフェノールを酸化重合させ、苦みを抑えて穏やかな味にすることができる。泡立てによってカカオ飲料と空気の接触面積が飛躍的に増えるので、その効果が増すのである。第二に、泡の存在によって、飲むときの「口当たり」が良くなる。これは、カプチーノ・コーヒーと同じ目的である。第三に、泡を断熱材として機能させる。泡は空気の層であるから、飲み物が冷めにくく、また温まりにくくなるなどとされている。4)
 また、スペイン語のチョコラ—テはアステカの人々の言語ナワトル語で「苦い」を意味するchocholatl(xocalatl)を語源とする。いまでもスペイン語でチョコラ—テというと固形のチョコレートというと固形のチョコレートではなく、ココアよりもやや濃厚なチョコレート飲料をさす。2)もともとカカオは中南米では飲料であり、スペインを通じてヨーロッパにも飲料として伝わって以降、オランダの技術により現在の固形のチョコレートが登場するのである。

カカオは「聖なる植物」であり「神の食べ物」

 17世紀以降、カカオはココア、チョコレートとして、ヨーロッパの大勢の人びとをとりこにした甘く魅惑的な飲み物となっていた。しかし、リンネが神の食べ物と名付ける以前より、メソアメリカのマヤ文明でもカカオはすでに聖なる植物、神の飲み物であり、カカオの神が存在する。
 古代メソアメリカにおいても、カカオは極めて貴重で、王や貴族など高貴な人々や戦士しか飲めなかった。その理由として、カカオに栄養効果や薬理効果だけでなく、強精剤としての効能を求めたこと、アチョテ(Bixa Orellana 註;赤色色素として使用される)や唐辛子を入れて血の象徴として飲んだこと、さらに、カカオ豆の供給量が少なかったことがある。とくに、メソアメリカは血や心臓に対する信仰があったので、血液に似せてトウガラシやアチョテを加えて真っ赤にしたカカオ飲料を飲んだとされている。それは、生贄の血や心臓をささげる儀式に現れている。3)
 十五世紀に初めてこの地にやってきたスペイン人の見聞録には、先住民の生活が詳しく書かれ、その中で常にカカオが登場している。カカオは、神に祈る儀式、収穫の祭り、誕生・洗礼・結婚の儀式などで飲まれた。3)このような貴重なカカオを育てることで繁栄した地域もある。メキシコ南部のチャパス州ソコヌスコは、その昔、アステカ時代に皇帝に捧げるカカオの栽培で大変に栄えた。3)そのため、カカオには栽培の守護神も存在する。
 マヤの神々の中に、エク・チュア(黒い隊長)とよばれる戦争の神がいる。そのエク・チュアがカカオ栽培の守護神ともされ、さらに商人の神でもあるのは、カカオ豆が古くから非常に重要な貢納品、交易品だったことのあらわれかもしれない。2)
 また、マヤ文明の樹木信仰とカカオとの関係もある。樹木信仰の対象は、セイバ、ピト、松の木等他の有用な木々、そしてカカオ、トウモロコシ等の重要な農作物、マゲイ、スイバク等の繊維植物もまた信仰の対象であったとされている。1)

チョコレートの東洋医学的効能

 東洋医学の薬膳の書にもココアは載っており、養心薬(一種の鎮静薬)や滋養強壮の働きなどが書かれている。しかし、嗜好品としてのココアやチョコレートは砂糖が多く添加されており、カカオそのものの性質とは異なっている。メソアメリカの糖を加えずに飲料としていた時代のものが本来の養心薬や滋養強壮の働きに近いように思われる。カカオ豆は脂質を含むため、胃腸虚弱の場合は胃もたれが生じやすい。4)エピガロカテキンなど抗酸化物質であるポリフェノール、カフェインに似た化学構造を有するアテオブロミンを含んでいる。

大航海時代の“グローバル化”以前のメソアメリカ

 十五世紀まではカカオ、すなわちチョコレートは、メソアメリカ(中央アメリカの真ん中部分、メキシコ南部からエルサルバドルやホンジュラスあたりまでの地域)とその周辺でしか飲まれていなかった。ただし、カカオに限らずコーヒーもお茶も。その頃までは原産地の近辺に限られていた。コーヒーは北東アフリカとイスラム圏、お茶はインドや中国とその周辺である。これらの嗜好品が広がったのは、大航海時代が幕を開けてからである。3)
 大航海時代前は、生産地と消費地が同じ地域で完結していた。特にカカオの場合は赤道の緯度20度の範囲の熱帯雨林でしか栽培することが出来ない。また、栽培種によってはある土壌でしか生息しない非常にデリケートな植物である。

カカオの生産地ではチョコレートが作れない

 カカオの生産地は熱帯雨林地方でなくてはいけない。一方、カカオ豆の生産地で、「食べるチョコレート」を作ることはできない。どちらの理由も、熱帯雨林地方では気温が高いために、ココアバターが融けてしまうことに起因する。ココアバターはカカオ豆が発芽するための栄養源であり、溶けていないと使用できない。しかし、固形のチョコレートを作る場合は、固まらなくなってしまう。
 カカオ豆は、カカオの木の花は受粉して、木の実である「カカオポッド」が生まれ、それが成熟してポッドの中で大きくなる。その豆がポッドの外に出て発芽し成長し、成木となり、花を咲かせて、またカカオポッドが育つ。そのようなカカオの木の生涯の中で、最初にカカオ豆が発芽して葉を繁らせて、光合成で自立できるまでの主な栄養が、豆の主成分であるココアバターである。もし、温度が下がってココアバターが固まれば、栄養素に分解できないので豆は発芽できない。つまり、カカオの木は、発生したその瞬間からココアバターを融かさなければならいなのである。3)

カカオの特殊な生育環境

 カカオの栽培に適する条件は、年間を通した高温高湿の気候と有機質に富んだ湿った土壌、しかも良好な排水とされている。
 また強い直射日光を嫌うので、幼きのうちは他の背の高い樹と混植して、大きな日陰を作る木(シェイド・ツリー)の下で育てる。いわば、カカオ農園の内部にカカオの木を中心とした森を作るわけである。(アグロフォレストリー)3)アグロフォレストリーとは、アグリカルチャー(農業)とフォレストリー(林業)を合わせた造語である。最初にカカオとともに一年生作物(トウモロコシや米、豆など)を植える。同時にドラゴンフルーツやコショウ、パッションフルーツ、バナナを植える。これらは日陰樹となる。コショウは5年ほどで枯れるが、その後ほかの木が大きく生長する。
 アグロフォレストリーはまた、カカオ農園の大敵である強風、ハリケーンに対する防風にもなる。

高度な文明による栽培植物の品種改良

 ジャガイモ、トマト、トウガラシ、トウモロコシ、インゲンマメなど新大陸原産の食用植物の他に、コロンブスの時代以降に世界中に知られるようになったものに、サツマイモ、キクイモ、アボガド、パイナップル、ピーナッツ、そしてカカオ、バニラがある。2)これらの植物は品種としても利点が大きく、ヨーロッパの食糧事情を大幅に改善したとされている。
 メソアメリカにおいて数千年にわたり品種改良されたトウモロコシ、ジャガイモ、トマト、トウガラシなどの食物は世界中に広がって「食料革命」を起こした。彼らが発酵・焙炒を発見して飲料にしてたカカオも同様である。とりわけジャガイモとトウモロコシは、当時のヨーロッパの食糧事情を著しく改善した。ジャガイモは種付けから短時間で収穫でき、寒冷地や痩せた土地での栽培に適し、地下茎なので雹などの災害に強く。また栄養価も高いので、しばらくするとヨーロッパ各地で栽培されて、その後の人口爆発を支えた。唐辛子は、ビタミンCが豊富で栄養価の高い新しい香辛料として瞬く間に世界に広がった。3)

当時のグローバル化による功罪

 『カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン』によれば、「これらのこと(註:メソアメリカなど新大陸原産の食用植物を得たこと)を考えると、世界中の人々は中南米の先住民に心から感謝しなければならない。それだけに、彼らを襲った悲劇はどんなに償っても償いきれないほど酷いものであった。」3)
 16世紀に殺到したスペイン人との戦争や、彼らが持ち込んだ疫病(天然痘説など諸説あり)などで、先住民の人口が10%以下に激減した。そのため、現地の労働力が枯渇するほどであった。それは地下資源の発掘やカカオ、砂糖の生産にも打撃を与えた。カリブ海も同様で、まもなく単純労働力として、アフリカから大量の黒人奴隷が送り込まれることになる。

カカオの変容

 カカオと同様に中南米減殺の熱帯植物でかつチョコレートをつくるために不可欠なもの、それは蔓性のラン科植物バニラ(Vanilla planifolia)である。
1521年、スペイン人エルナンド・コルテスが率いた軍はアステカの都を壊滅させたが、コルテスはその地で知ったカカオやバニラを本国にもたらした。スペインではやがて、蜂蜜や砂糖、バニラ、シナモンなどで風味づけした飲み物チョコラ—テchocolateが上流階級に広まった。それがフランスでショコラchocolatとして知られるようになったきっかけは、17世紀、ルイ十三世とルイ十四世紀がともにスペインから妃を迎えたことにある。2) 
 初めてヨーロッパでカカオが調理された場所は、スペインのサラゴザの南にあるピエドラ修道院といわれる。アステカ帝国の人々が飲んでいたチョコレートドリンクには、たっぷりとバニラが入っていたので、もともとチョコレートとバニラの関係は深かった。3)
 バニラの莢は収穫時にはまったく香りがしない。60-70℃の湯に二分間ほど浸漬して、実を殺して、細胞内での酵素の働きを活性化させるためである。湯から引き揚げられたバニラの莢はすぐに保温された箱に入れ、二昼夜熟成(キュアリング)させ、発酵する。毎日2-3時間の天日乾燥を2-4週間続けて、さらに日陰での乾燥を4-8週間行う。乾燥の終わったバニラはサイズ別に紐で束ねてパラフィン紙に包んで木箱に入れ、さらに数か月熟成させてから出荷される。3)
 サトウキビはニューギニア原産、インドを経てアラビア人の手によってヨーロッパに持ち込まれた。新大陸が「発見」されるとすぐにサトウキビが中南米に持ち込まれて栽培が始まった。刈り取った後は、発酵を防ぐために、速やかに硬い茎から強力な力でジュースを搾り取り、それを大きな釜で煮て水分を蒸発させて、砂糖の結晶を析出させる必要がある。3)

ココア、チョコレートは“発酵”食品

 砂糖は発酵させないように収穫後速やかに処理するが、逆にカカオは収穫後速やかに発酵させるための処理を行う。それは、発酵によって豆の中にチョコレートの香味物質の前駆体を作ると同時に、カカオ豆の渋みと苦味を低減するためである。前駆体とは、それ自体がチョコレートの香りとなっているのではなく、焙炒の工程で生まれる数百種類以上の香り成分の出発材料のことである。3)
その発酵方法は、野外で籠に入れてバナナの葉で覆うとか、発酵箱に入れて麻袋で覆うとか、さらには正確な温度管理で工業的に行う方法もある。3)
木箱を使う場合は、発酵するたびに洗うことはないので、何世代も続く微生物のコロニーがあり、それが発酵を特徴づけている。3)
ベネズエラの農園では、簡素な屋根で覆われた建物の中でコンクリートの上に木箱を並べ、その中で麻袋をかぶせて発酵させていた。触ってみると、発酵熱で温かい。麻袋をはいでみるとカカオ豆にびっしりと小さな虫がついていたが、それはカカオパルプ(カカオ豆を包む白い果肉)や発酵に関与する微生物を食べているのである。3)
 発酵は、カカオパルプに含まれる糖分を栄養にして育つ、たくさんの微生物の働きで行われる。40~50℃にして数日間発酵する間に、均一な発酵が行われるように定期的に上下をひっくり返す。発酵中にpHが変わるので、活躍する微生物の種類と数、発酵のしくみが変わり、それとともに、カカオ豆の中に香りや呈味成分が生まれる。
 カカオ豆の臭いをかいで発酵が完了したことを確かめると、すぐに乾燥である。コーヒーのような焙煎ではなく、焙炒(焙じて炒める)という乾燥過程を経て、発酵で生じた香味前駆物質からチョコレートの香りを生み出すことになる。
 動物はカカオ豆を食べない。カカオ豆を包んでいるカカオパルプのみ食べて、豆は捨てていた。生のカカオ豆は非常に苦いからである。しかし、人類は焙炒することで、苦みを減弱し、香ばしい香りをいつしか知って始めたようだ。カカオパルプはアケビのような食感と甘酸っぱい味がするようだ。3)

オランダ 脱脂技術とアルカリ化の発明

 「食べるチョコレート」とした最終過程は、オランダのファン・ハゥトゥ親子によって発明された。父親のカスパルスは、磨砕して溶かした褐色のカカオマス(発酵・乾燥したカカオ豆から胚乳部を取り出して粉にしたのちに固めたもの)からカカオバターを搾り出し、全体の55%を占めるココアパウダーの一部を分離する技術(脱脂技術)を発明した。息子のクーンラートは、ココア製造技術のアルカリ化を発明した。カカオマスは、発酵したカカオ豆を原料としてつくられるが、発酵によって酢酸や乳酸が生じ、酸味の原因となる。酸味を抑制するためにアルカリ剤で中和するようになった。アルカリ化することで色調が変化する。アルカリ化によって、ココアパウダーを水やミルクに分散しやすくするのである。4)このココアパウダーに砂糖を加えたものが「飲むココア」である。ヨーロッパの化学により、カカオは一層美味しいものへの深化していった。

「食べるチョコレート」の誕生

 カカオマスを搾りココアパウダーを製造することが可能となったが、そこで余ったココアバターを生かす工夫が行われた。あるとき、イギリスの菓子職人ジョン・フライが、砂糖とカカオニブ(カカオ豆を発酵、焙煎して粗く砕いた段階のもの)を混ぜて磨砕したものにさらにココアバターを添加し、融かして冷やすことで、ようやく「食べるチョコレート」ができることを発見した。4)これが「食べるチョコレート」、ダークチョコレートである。

結語

 カカオは、栽培、発酵、乾燥までの過程を熱帯雨林地方で行い、焙炒からのチョコレート製造過程は温帯、寒帯地方で行われている。ココア、チョコレートは砂糖を多く含むが、カカオの中南米での「飲む飲料」には、砂糖とではなくトウモロコシやトウガラシなどと混合され、鎮静、滋養効果に優れたものであった。神の食物ともいわれ、メソアメリカのアステカ文明やマヤ文明では珍重されていた。
 新大陸原産と言われるトウモロコシ、ジャガイモはヨーロッパの食糧事情を改善したメソアメリカの文明における品種改良の賜物である。当時のグローバル化ともいえる大航海時代に、スペイン人によってメソアメリカの社会は大きく変化した。それがなければ今チョコレートを食べることはできなかったであろう。一方で、メソアメリカの社会が受けた打撃もまた深刻なものであったのである。

Abstact

Cacao is grown, fermented, and dried only in the rainforest region, and roasted chocolate is produced in temperate and cold regions. Cocoa and chocolate contain a lot of sugar, but in Latin America, cacao was mixed with corn or capsicum instead of sugar, and they had excellent calming and nourishing effects. Also known as the food of God, it was prized in the Mesoamerican Aztec and Maya civilizations.
Potato, and corn, which are said to be native to the New World, were the result of selective breeding in the Mesoamerican civilization that has improved food production and procurement in Europe. During the Age of Discovery, which can be said to be globalization at the time, the Mesoamerican society greatly transformed by the Spanish. Without it, it would be impossible to eat chocolate now. On the other hand, the damage brought onto the society of Mesoamerica was also quite serious.

参考文献

  1. 実松克義:マヤ文明、現代書館,2016
  2. 21世紀研究会編:食の政界地図,文芸春秋,2004
  3. 佐藤清隆、古谷野哲夫:カカオとチョコレートのサイエンス・ロマン,幸書房,2011
  4. 梁晨千鶴:東方栄養新書,メディカルユニコーン,2005