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日本の土壌と文化へのルーツ② 麦・酒

東邦大学医学部
東洋医学研究室
田中耕一郎

抗加齢学会雑誌『医と食』5(4)に掲載されたものです。

はじめに

世界の三大栽培穀物である小麦、米、トウモロコシはいずれもイネ科である。他の科に比べて種子中に高率に澱粉を含み、貯蔵性に優れることから栽培が盛んとなり、高度な農耕文化の発達と国家などの文明の形成につながった。1)
イネ科の植物は、滋養作用に加えて、湿地にもよく根付き、水分の代謝に優れている。これらが人体の体表に働くと、汗という水の代謝が出入りを調節する事が出来る。小麦の未成熟な果実で水に浮くもの(浮小麦:ふしょうばく)、モチイネのひげ根(糯稲根:じゅとうこん)、トウモロコシの雌花の花柱(玉米鬚:ぎょくべいしゅ)はいずれも止汗作用を有する。また、種子の発芽したもの、穀芽(稲の発芽した種子)、麦芽(大麦の発芽した種子)はともに消化促進作用がある。
このような共通点に加えて世界最大の栽培植物である小麦は、米、トウモロコシにない特別の薬効を有している。
それは、小麦の人体のこころに働く作用である。

小麦(Triticum aestivum)~心の安定を取り戻す~

温暖湿潤なアジアのモンスーン気候が、粘性を有する夏の穀物である米を産する。一方、地中海沿岸は、冬は寒く、適度の降水があり、夏は高温で乾燥し、小麦の生育に適する。乾燥した気候は粘性のない乾燥した穀物である小麦を生み出す。米は身体を暖める”温性”という性質を有するのに対し、小麦の果皮は身体をやや冷ます性質を有し、“涼性”といわれる。中でも寒涼な気候で育った小麦はこの涼性が強く、良品とされている。
この小麦の種子は、意識、精神の安定をつかさどる東洋医学における“心”に働き、滋養することで、低下して不安定となった精神状態を正常化する。小麦は、東洋医学の古典である『金匱要略』(きんきようりゃく)の中の、臓燥(ぞうそう)と呼ばれる“こころが乾いた”病態、特に女性のヒステリー症状や、小児の夜泣きに用いられてきた。小麦、大棗(たいそう)(ナツメの果実)、甘草と併せて煎じたものは甘麦大棗湯(かんばくたいそうとう)と言われ、現在でもよく用いられている。

大麦(Hordeum vulgare)~怒りの感情を解きほぐす~

大麦の発芽したもの、麦芽を用いる。穀芽(稲の発芽した種子)と同様、穀物の消化を促進するが、より強力である。小麦はグルテンを含み、水分の存在下で粘性を生み出すが、大麦はグルテンをほとんど含まない。東洋医学では、この性質を膩性(ねばり)が少ないとし、胃腸の消化により負担の少ない性質を有すると考えられている。
大麦は身体をやや冷やす傾向(涼性)があり、夏に麦茶を冷やして飲むのは身体の熱感を冷ます作用があるためである。
また、乳汁分泌を抑制する作用があり、断乳や乳汁の鬱滞による乳房脹満に用いられる。東洋医学で、母乳は“白い血”と考えられ、血液と同様、身体を滋養する最も重要なものと考えられてきた。つまり、授乳とは、母が自らの血を子に捧げる行為なのである。そのため、産後の女性の養生は非常に重視され、当帰(とうき)などの血を補う生薬がよく用いられる。さらに、東洋医学的には、母乳は単に滋養分を含むだけでなく、子の精神を安定させ、知恵を発達させる作用がある。これもまた、母から子へ捧げられる最高の贈り物であろう。
麦芽は、小麦と異なる形で精神によく作用する。特に怒りに関する鬱々とした感情を解きほぐす作用がある。麦芽はビールやウィスキーの醸造に用いられるが、東洋医学的において、糖を分解し、発酵させるために用いる麦芽が、アルコールを生み出す前から、すでに感情に働くと考えていたのは、非常に興味深い。また、ビールには身体の熱を奪う涼性の性質があり、日頃冷え症の体質には不適である。

ホップ ~西洋の鎮静薬~

ビールに用いられるホップの球果は、ビールの苦味を得るために使用されているが、もともと西洋で中世から用いられている薬用植物である。中世初期には、利尿、血液浄化、月経促進作用があると考えられ、パラケルススは消化障害に対して、ホップを用いていた。ホップの収穫に従事する女性の間で、収穫期に月経が早まることが観察されていた。これは新鮮なホップに含まれるエストロゲン類似の植物ホルモンと考えられている2)
近年になって、ホップの鎮静的睡眠促進作用が発見された。2)ビールには、麦芽の東洋医学的な“怒りを解きほぐす作用”と、ホップの球果の黄色い腺に含まれる鎮静作用が、“薬味”となっているのである。

酒の効用

「酒は百薬の長」『食貨志』と言われるが、実はその後に「飲むは必ず適量とすべし」という文が続いている。3)また、世界的な薬物書である中国の『本草綱目』には、「過飲は胃を敗り胆を傷り、心を喪ぼし寿を損ない、甚だしければ則ち腸黒く胃腐りて死す」3)と、酒を飲みすぎると内臓の機能を障害し命に関わると戒めている。
東洋医学では、酒の効用をうまく薬に生かしている。酒は、発酵という過程を経ることで、植物の生命力、滋養分ともに濃縮し、消化吸収しやすくなった“精微”を含むと考えられている。
白酒と黄酒があり、白酒は茅台酒などの高粱(コウリャン)などの穀物を原料とする蒸留酒、黄酒は米などの穀物を原料とする紹興酒などの醸造酒である。ウィスキー、ウォッカ、ジン、焼酎、ブランデーは蒸留酒、日本の清酒、ビール、ワインは醸造酒に当たる。
酒は、植物の生命力、濃縮された滋養分を含み、人の代謝を鼓舞し、強力に温める作用(補陽 ほよう)や、血流を盛んにする作用(活血 かっけつ)があると考えられている。
狭心症などの胸痛で、新陳代謝が低下し、冷えの強い体質に、栝楼薤白白酒湯が用いられる。栝楼仁(かろうにん)(キカラスウリの果実)、薤白(がいはく)(ラッキョウ)に白酒を入れて煎じたものである。ここでは、酒の身体を温める作用を利用している。また酒は容易に吸収されるため、速効性があることも利点である。
漢方薬には生薬を煎じた液を内服するものは“湯”(とう)と呼ばれ、生薬の粉末をそのまま内服するものを“散”、生薬の粉末を蜂蜜等で丸く固めた“丸”(がん)がある。
八味地黄丸(はちみじおうがん)、桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)、当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)は、本来酒で内服する漢方薬である。八味地黄丸は、加齢などで身体の代謝が低下した状態(腎陽虚)に用いられるために、酒で、滋養成分を補いながら、身体を温め、血流を盛んにする作用は、相乗効果として働く。桂枝茯苓丸は血の巡りが滞った“瘀血”(おけつ)という状態に用いられるために、酒の血流を盛んにする作用(活血)は薬効を高める。当帰芍薬散もまた冷えやすく、滋養成分が不足しがちな女性に用いられるために、酒が飲めるのであれば、適量用いて内服するとより効果が得られる。

薬用酒

生薬を酒につける薬用酒として、紅花をつけた紅藍花酒(こうらんかしゅ)がある。紅花は、血の巡りを改善するために、酒につけると薬力を高めることが出来る。腹痛での刺すような痛みは、東洋医学的には、血の巡りが滞った状態“瘀血”と考えられ、紅藍花酒が適する。また、紅藍花酒は、産後、月経後の感冒にもよいとされ、この場合は、産後、月経後に虚弱となった女性の身体を、酒で身体を滋養し、温める作用が役に立つのである。
この酒の特性を利用する事で、現在、種々の薬用酒が作られている。

結語

小麦、麦芽(大麦の発芽種子)は、東洋医学において、人の精神的な部分に作用し、小麦は不安定な精神的に支柱に安定感をもたらし、大麦は、発散できない怒りの感情、それを原因とする身体症状を軽減することができる。麦芽は、苦味を付けるためにホップと併せて、ビールの製造に用いられるが、麦芽、ホップともそれ自体が薬用植物である。酒は、植物の生命力と滋養成分を発酵の過程を経て濃縮したものである。そのため、酒とともに煎じたり、酒とともに内服することで効果を高める工夫がされていた。酒は「百薬の長」と言われるが、「飲むは必ず適量とすべし」との文が後に続く。あまりにも酒が容易に手に入る世の中であるが、古来の知恵を生かしながら、薬効として節度を保ちながら利用する工夫が必要である。

参考文献

1)中尾佐助:栽培植物と農耕の起源,岩波書店(1966)
2)Volker Fintelmann, Rudolf Fritz Weiss,三浦於菟,林真一郎,ケニークフタ 監修,田中耕一郎 編集協力:フィトセラピー植物療法事典,産調出版(2012)
3)梁晨千鶴:東方栄養新書,メディカルユニコーン(2005)

Abstract

Japanese Traditional Herbal Medicines (Kampo) and Everyday Plants: Roots in Japanese Soil and Culture. vol.2; Triticum aestivum,Hordeum vulgare and alchohol
Koichiro Tanaka, Toho University School of Medicine, department of Traditional Medicine
Wheat (Triticum aestivum) and barley (Hordeum vulgare) cure mental illness. Kampo, Eastern medicine, considers that emotional overload consumes rich blood, hinders the organ function, and causes emotional imbalance. Wheat and barley recover emotional stability and tranquility. Moreover, alcohol augments plants’ inherent power and effect.
Wheat nourishes the blood, the heart and mind; it provides power and support for our mental stability. Barley sprouts in particular, release resentment and frustration and alleviate somatization caused by mounting emotions. Barley sprouts are used to make beer with hops which gives beer that bitterness. In fact, hops also have sedative-hypnotic effects.
Fermentation, the necessary brewing process, concentrates life force and nutrition of plants. In the case of beer, the herbal formula of barely and hops and fermentation amplify their sedative effects. Eastern medicine considers that making or taking Kampo with alcohol augments and prompts the effects of its plant ingredients.
As the old saying goes, “alcohol is the best of all medicine,” followed by “only if taken moderately.” This ancient wisdom shows us the way to enjoy alcohol and a healthy life by using the power of plants.
(184 words)