当講座における教育

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フレッシュマンの声

東邦大学医学部精神神経医学講座に入局して

令和6年度 入局

 東邦大学医学部に進学するとともに上京し、卒業後は東邦大学医療センター大森病院で初期研修を行いました。医学部生の時分から自然と精神神経科に興味を持ち、入局までに何ヶ月間か大森病院精神神経科で研修させて頂きました。研修時に時間を気にせずに様々な患者様と毎日お話ができたこと、先生方の診察・面談の場面を多く見学させて頂けたことは、とても貴重な経験となりました。その折にご指導頂いた先生方には大変お世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げます。
 そして初期研修後の進路については、内科も含め様々な診療科を検討し、最終的に大森病院精神神経科に入局させて頂きました。やはり自分が最も興味のある分野に携わっていきたいという思いが強かったことが、入局させて頂いた大きな理由のひとつです。加えて病棟の中で職種の垣根なく、患者様のことを考えてスタッフ皆でディスカッションできる環境にも非常に魅力を感じました。また様々な専門分野に秀でた先生方から直接ご指導頂けるという面でも大変恵まれた環境であり、そのような場で研鑽を積むことが出来ますことは幸甚の至りです。
 本年度3月に初期臨床研修を修了し4月より専攻医としての勤務が始まりましたが、自分の未熟さや臨床の難しさに頭を悩ませる日々が続いています。しかし最終的には、患者様が「その人らしい」人生を歩むためのサポートができる医師になることが私の目標です。まだまだ至らぬ点の多い未熟者であり、先生方にはご迷惑をお掛けすることもあるかと存じますが、精一杯精進して参ります。今後ともご指導ご鞭撻の程何卒よろしくお願い申し上げます。

令和6年度 入局

 私は幼少時浸出性中耳炎のため数回入退院を繰り返しそのたび手術をうけました。そのときのつらさを思い医師を志しました。幸い医学部に入学できて実習等をうけるにつれ最後に手術をしていただいた病院の先生が大変優れた知識や技術を持っていらっしゃったことがわかりました。私がつらいときに救っていただいた先生へは尊敬の念が絶えません。
 私の父は内科医ですが、私は大学在学時の実習や初期臨床研修での経験をとおして人のこころについて学ぶ精神神経学に興味をもっておりました。精神神経学は私を手術してくださった先生のように外科系ではありません。毎日すこしでも多く患者さんのそばに寄り添うことを日々の診療でこころがけております。寄り添いあってはなしを聴くことで救われる患者さんに微力ながら力添えできることをやりがいに感じるとともにこころを病める患者さんの診療のむずかしさを日々痛感しております。精神神経学は患者さんからとても多くのことを学ばせていただきます。
 私は医師になりまだ数年しか経っておらずまだまだ知識・技術とも不十分ではありますが数年後には医療レベルは更に高度に進歩し、AIの導入も進んでいるかとおもわれます。臨床・研究・教育いずれにおいても国内でも有数の医療レベルをほこる東邦大学医療センター大森病院で常に新しい知識と技術を身につけることができる環境におかれた目下大変充実した日々を過ごしております。
 私は幼少時から集中力があるといわれていました。一生懸命やること・何事にも最善をつくすことが好きで集中している時には家族も近寄れないことがあるとはなしていました。私はその分野のことなら彼に聞けといわれる知識・技術をもつ医師になりたいとおもっています。たとえ数年後であっても知識・技術とも医療関係者から信頼をいただける医師でありさらに私を手術していただいた先生のようなどこまでも患者さんに寄り添うこころをもった医師になりたいとおもい日々邁進しております。

令和5年度 入局

 私は人々の心の健康に興味があり、彼らが幸せで充実した人生を送るために必要なサポートを提供したいと考え、精神科医を志望しました。入局して約半年が経ちましたが、東邦大学大森病院精神神経科に入局させていただき、この場を借りてお礼を申し上げたく思います。入局してからの経験は、私にとって非常に貴重なものでした。患者との関わりを通じて、精神科医の役割や責任を実感することができました。患者の心の問題に向き合い、彼らの苦しみや悩みを共有することで、信頼関係を築くことができました。また、先輩医師やスタッフの方々との連携を通じて、患者の総合的なケアを提供することができました。これらの経験は私の成長に繋がり、将来の医師としてのスキルや知識を高めることができると確信しております。
 東邦大学大森病院精神神経科は、優れた医療スタッフや設備を備えており、患者の心の健康をサポートするための最適な環境が整っています。私はこのような環境で学び、成長することができることに感謝しています。また、院内の雰囲気も非常に温かく、スタッフの方々が協力し合っている姿勢に触れることができました。これからも、このような素晴らしい環境で学び続けることができることに感謝しております。
 最後に、私の入局を応援してくださった家族や友人にも感謝の気持ちを伝えたいと思います。彼らの支えがあったからこそ、私は精神科医を目指すことができました。これからも彼らの期待に応えるために、精神科医としてのスキルや知識を磨いていきたいと思っています。これからも一生懸命に学び、患者の心の健康をサポートする医師として成長していきたいと思います。引き続き、ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。

令和5年度 入局

 私は本学を卒業後、本学医療センター佐倉病院にて初期臨床研修を行い、今年度より当講座に入職いたしました。
 私は大学時代に不登校やひとり親家庭の小中学生のための塾でアルバイトをしていた経験や、臨床実習で摂食障害の中学生を受け持った体験から、子どもの心理について考えるようになり、それが精神医学に興味を持ったきっかけでした。さらに、研修医となってから、多くの方が身体面だけでなく様々な心理的・社会的問題を抱えていることを実感し、そのような方々の支えとなりたいと強く思うようになり、精神科医を志しました。
 当科は児童・ 思春期(特にAYA世代)の患者様も多く受診されるため、幅広い年齢層の患者様と関わることができています。急性期の患者様が多いため、病棟は時に怱々たる雰囲気にもなりますが、精神科研修として充分な経験をすることができていると感じており、忙しくも充実した日々を送らせていただいています。
 当科の良いところはなんといっても「アットホーム」なところだと思います。上級医の先生方が教育熱心なのはもちろんですが、看護師をはじめ薬剤師、心理士、ソーシャルワーカーの方々にも相談しやすく、とても働きやすい職場だと感じています。本当にこの医局を選んでよかったです。
 微力ではありますが、日々精進し、地域の患者様そして母校に貢献していく所存です。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

令和4年度 入局

 私が精神科医もとい医師を志したのは高校2年生の頃です。それまで私は教育の道に携わろうと思い、教師の道へ進もうとしておりました。高校2年生時にもう一度進路を熟考した折、より直接的に人に貢献出来る仕事をしたいと決意し医師を志したのがはじまりです。東邦大学医学部へ入学後、医学の勉強と部活動に励み充実した日々を送らせて頂いた毎日でしたが、病院実習が始まると折に触れて将来の志望科を考える機会に恵まれました。当初は小児科ないしは産婦人科を志望しておりましたが、自身が医学の道で実践したいことを深く考えた時にそれは患者さんの声に耳を傾け寄り添うことと気づき、精神科医の道を志すに至りました。
 東邦大学大森病院精神科では、患者さんを中心に据え、医師、看護師、その他多くの多職種の方が患者さんを囲むようにそれぞれが連携し合って医療を提供し全人的な精神科医療を行っておられます。bio、psycho、socioの包括的な枠組みの中で、諸先生方の教育熱心なお姿や患者さんを少しでも良くしたいという思いを肌身で感じ、この医局で精神科医としての一歩を歩めることを心から嬉しく思います。
 至極若輩者ではありますが、精神科医療とは何かと日々考えさせていただく中で思うに至ったことがあります。それは精神科医療と教育の本質はとても似ているのではないか、ということです。つまり、今ある目の前の姿だけではなくその人の先々の人生を思って言葉を届け、寄り添い、支援するということがともに両者の本質なのではないかと感じます。病識が悪く、どんな言葉をかけても届かないのではないかと思えるような患者さんに対しても、日々研鑽をたゆまず、今実践している治療や支援がいつかその人の中で芽吹くと信じて真摯に向き合うことが肝要であり、教育とその根幹を同じくするところではないかと考えております。
 まずは治療の中心である薬剤治療の勉強に励むとともに、いつか退院され社会復帰を果たした患者さんにどこかでふっと思い出していただける「人生の苗床」のような精神科医を目指して参る決意です。今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

令和4年度 入局

 私は東京理科大学経営学部を卒業後に東邦大学医学部に再入学し、卒業後は東邦大学医療センター大森病院にて初期臨床研修を行いました。実家が内科のクリニックを開いていることもあり、医学部入学時より将来は内科医としての道を考えておりましたが、実際に医師として研修を行う中で、精神科領域の面白みに惹かれたために当初の進路を変更し、現在に至ります。
 以前から、他者の思考を自身なりに分析することが好きでした。また、同年代の友人が仕事や家庭、また身体的問題に伴って、精神的不調をきたし、精神科のクリニックを受診されていたのを見ていたので、精神科は少し身近な科に感じていました。実際に、医師として精神科で研修をしていく中で多彩な精神症状をもつ方々と接し、他科とは違う診察の手法や考え方、さらに精神疾患の症状と病態生理の関連に関心をもつようになり、仕事として精神疾患への理解を深めたいと思うようになりました。現在は、入局2か月目で目の前の仕事で精一杯ですが、優しい先生方からのご指導を受けながら、自身の精神科医として成長を目指して日々の業務に邁進しております。忙しい日々ですが、少しずつできることが増え、とても充実した日々を送っております。
 最後に、去年入局された先生が精研式文章完成法を用いてご挨拶されていたのを見習い、取り組んでみました。以下、自身のパーソナリティが特徴的なものを抜粋して記載します。
 私の失敗/の原因は、自身のむこうみずな性格からくることが多い。 死/ぬ時は選べないので、日々の仕事や生活を楽しみたい。人々/から学んで、身近な人のために還元できる人になっていきたい。 私が努力しているのは/悩みすぎないことだが、まだまだ努力が必要だ。
 以上になります。若輩者ですが、何卒ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします。

令和4年度 入局

 自分は東海大学医学部を卒業し、国試浪人を経験したのち、初期研修に関しては藤沢湘南台病院で1年目を、横浜市立大学付属病院で2年目を経験させていただきました。
 今回、多くを学び成長できる非常に恵まれた素晴らしい環境で充実した研修ができると感じております。
 精神科は、医学生として学んでいくうちに純粋に楽しく勉強でき、自然と興味が沸いてくる科であり、学生の頃から漠然と精神科への道を考えていました。また、大学受験の予備校の友人が精神科に通院していたこともあり、より身近に感じられる分野でもありました。また、このコロナ禍でよりメンタルの大事さを痛感しました。 こうした情勢の中で、精神科を必要としている人たちの心の拠り所となりたいと思っています。
 そしてアットホームで活気がある医局の雰囲気に魅了され、入局を希望しました。入局3ヶ月目になりましたが、直属の指導医の先生だけでなく、多くの先生方が丁寧に指導してくださる素晴らしい環境で、精神科医としての一歩を踏み出すことができました。体調をいつも気にかけてくださる上級医の先生方をはじめ、すべてのスタッフの皆様には感謝してもしきれないなと感じております。この恵まれた環境に感謝しつつ医局の一員として、一人前の精神科医になれますよう精進して参ります。今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
 余談になりますが、自分の趣味のひとつとして映画鑑賞がありまして、精神科に関わる映画をたくさん観ていきたいと考えておりますので、推薦されるものがあればぜひ教えて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

令和3年度 入局

 私は高校生の時から精神科に興味があり、精神科医を志しておりました。学生実習や研修医期間において実際に患者さん達と触れることによりさらに精神科医療に従事したいと考えるようになりました。
 患者の立場に共感し、患者の立場になって診察できる精神科医を志そうと決意致しました。
 特に精神科は「こころ」をあつかうので客観的な指標であるエビデンスを追うだけではなく、その人のすべてと真摯に向き合うことが求められます。今後、多くの医学知識や経験を積んでいくつもりですが、患者さんに対して一人の人として真摯に向き合ったことにより得られた貴重な経験を忘れることなく精神医学を研鑽していきたいと考えています。
これまで、学生、研修医時代に、多くの先生方、職場の先輩、同僚、何よりも担当した患者さんの皆さんに、指導や助言、アドバイスを頂戴し、ここまで成長することができました。今後の医師としての人生目標として、これまでの学びで得たものや、自分が経験したことを返すことを使命と思い診療に携わりたいと思います。
 現代社会では精神疾患全般が急激に増加をしており、今後一層増加することを実感しました。精神医学を学ぶ中で精神疾患は他の慢性期疾患と同様に早期に治療介入を行うことにより、予後が改善するばかりでなく、精神疾患が顕在発症することを防げることも知りました。その中で東邦大学医学部精神神経医学講座では、他に先駆けて日本で最初に早期介入ユニットであるイルボスコが設けられ早期介入が実践されていることを知り、是非ともイルボスコで臨床研究をつみたいと考えました。
 そしてアットホームで活気がある医局の雰囲気に魅了され、入局を希望しました。入局3ヶ月目になりましたが、直属の指導医の先生だけではなく、多くの先生方が暖かく見守って下さる最高の環境で、精神科医としての第一歩を踏み出すことができました。この恵まれた環境に感謝しつつ医局の一員として、一人前の精神科医になれますよう精進して参ります。今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

令和3年度 入局

 私は地方で初期研修をしていたのですが、COVID感染症による未曾有の事態の中、医局の先生や事務の方々が柔軟に対応してくださったおかげで、無事入局することができました。この場を借りて、感謝の意を申し上げます。
 私は東邦大学精神神経科に入局する前、初期研修を地元の新潟で行ないました。田舎の小さな診療所で外来の研修をしている時、とある患者さんに出会い自分の医師像に影響を受けたエピソードがあるのでご紹介したいと思います。新潟での外来研修は、何かあれば院長に相談することはできましたが、研修医の裁量権が大きい研修で診察室には自分しかいませんでした。ある日、毎月眠剤を30日分もらいに来ている若年女性の患者さんが私の外来を受診しました。私は、どうして眠れないのか、どのように眠れないのか、初期研修医として詳細に聞きました。質問の途中で、その患者さんは突然黙り込み、診察室には沈黙が流れました。患者さんは固まった姿勢のまま泣き出し、何も答えなくなりました。私は、それ以上は何も聞かずに辛かったことに寄り添い、大丈夫だと話しました。一通りの診察が終わり、いつもと同じ処方箋を出して渡すとその患者さんは「今まで受診した中で一番良いお医者さんでした。」と言い診察室を去りました。初期研修医で知識や技術がなく自信のない中で、患者さんの心に残る医者になれたことをとても誇りに思いました。
 現在、東邦大学精神神経科に入局し2ヶ月が経過しました。医局の先生方は、未熟な私に何でも優しく教えてくださり、何か困っていないかまめに聞いてくださるお陰で、不自由なく後期研修を送ることができています。精神神経科は、同じ処方でも診療する医師によって何通りものスタイルがあり、患者さんにとってかけがえのない医師になることができる診療科だと思います。私は、さきに述べた診療所での経験を活かし、東邦大学精神神経科で上級医や研修医、学生の方々と切磋琢磨しながら、真心のこもった診療をしていきたいと思います。

令和3年度 入局

 私は他大学医学部を卒業し、東京・埼玉・茨城などで小児科医として勤務しておりました。小児科は全身を診る診療科でもありましたので、幅広い経験を積む必要があると考え、専門医を取得した後も数年間、小児科医として診療を行っておりました。そのため、精神医療の経験は皆無に等しいにも関わらず、今年度入局の同期とは医歴だけは異なっておりまして、生粋のフレッシュマンではないため、諸先輩方には扱い等で御面倒をおかけしてしまい、日々、大変申し訳なく思っております。
 私が小児科医として勤務していた際は、診療所から三次救急対応の総合病院において、NICUで対応が必要な新生児から中学生までのお子さんを診療しておりました。小児科医として研修を始めた頃は、小児救急・集中治療や感染症、途上国医療に興味を持っていました。ただ、様々な子どもと接する中で、虐待を受けたお子さんや心に問題を抱えたお子さんに接する機会が多くありました。しかしながら、小児科医として、その問題に対しては、物理的な時間的にも、経験的にも取り組むことの難しさと何も出来ないことへのもどかしさを感じておりました。そのような状況の中で、家族関係など社会的な要因が数多く関係する子ども心の問題に取り組むには、精神医療を学び、精神科での臨床経験を積まなければいけないと思うようになりました。また、心に問題を抱えた子どもたちが、小児科から離れた後に、どのようにこの単純ではない社会で生きていくのかを知ることは、小児科医といった子どもに関わる立場の人間が、目の前のお子さんに対して、今まさに何をしなければいけないかの理解につながるのではないかと思いました。そこで、一度高齢者も含めた様々な年代の精神医療の経験を積みたいと考えるに至りました。
 現在は、大学病院で勤務をしておりますが、素晴らしい先輩方の御指導のもと様々な症例を経験させていただいております。まだまだ戸惑いの日々で悪戦苦闘しておりますが、いち早く精神科医として名乗ることが出来るように精進していきたいと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い致します。

令和3年度 入局

 自身の境遇等につき書くべき所と存じますが、何分文才に乏しいため、精研式文章完成法テスト(慶應義塾大学 佐野勝男先生・槇田仁先生共著)に取り組んでみました。以下文字数の都合で前半のみの記載になりますが、私という若輩者の特性や志向につきお伝えできれば幸いです。
(子供の頃、私は)よく実家の花屋で遊んでいた。箒を持って「お出かけですか~?」と言うと時折お客さんがお小遣いをくれた。(私はよく人から)「最初は話しかけにくかった」と言われる。(家の暮し)は楽しい。ボードゲーム等をよくする。(私の失敗)についてはよくよく反省します。(家の人は私を)本当に自由に過ごさせてくれる。(私が得意になるのは)トロンボーンの演奏が音楽的であった時。(争い)の結果として、具体的な解決策が示されるべきです。(私が知りたいことは)どうすれば良い音楽ができるかということ。(私の父)は酒ばかり飲む。(私がきらいなのは)銀行や役所の手続きです。(私の服)は黒いTシャツばかりです。(死)ぬ時は死ぬので楽しく生きたい。(人々)はみんな違うので、それを許容できる人が増えたらいい。(私のできないことは)運動です。(運動)が苦手なんです。(将来)どこにいても、友人を大切にしたい。(もし私の母が)倒れた時にお互い少しでも楽できるよう、リビングウィルの作成をしてもらった。(仕事)の仲間や上司はいい人ばかりです。(私がひそかに)応援しているのは、中川翔子です。(世の中)大変だけどいいこともある。Hunter×Hunterの続きが楽しみです。(夫)に多くを求める女性は苦手です。(時々私は)たまらなくタコスが食べたくなる。(私が心をひかれるのは)演奏会の終演直後の静寂です。(私の不平は)トロンボーンに休符が多い事。(私の兄弟(姉妹))は皆果物の名前がついていて、覚えてもらいやすいので私は気に入っています。(職場では)特に同級生が仲良くしてくれます。(私の顔)は丸みが少ないです。(今までは)本当にやりたいように生きてきました。(女)の人の髪型が普段と違う時ってとても魅力的です。(私が思い出すのは)千葉県マザー牧場近くにあったホテルの廊下の香りです。
 以上となります。今後ともよろしくお願い申し上げます。

令和3年度 入局

 私は東海大学医学部を卒業し、初期研修は茅ケ崎市立病院にて行いました。こちらの医局のアクティブな雰囲気なしには東邦大学とは出会うことはできなかったので、このご縁を大切に、一層精進して参りたい所存です。
 さて、私が精神科に興味を持ったきっかけは、医学部5年生の精神科単科病院での臨床実習でした。精神科医のスマートで独特なコミュニケーション、幻覚妄想の内容のユニークさ、言語新作が読み取れる患者さんの書き物....とにかく毎日が新鮮で、刺激的でした。精神科の魅力は一種の芸術性であったり、社会貢献できる立場にありながら様々な人の人生を覗ける点、そして時には同級生同士のたわいもない喧嘩を精神科的に考えてみたり、と他科ではなかなか味わうことができません。世間知らずな私を少し成長させてくれるような気すらしました。その後の学生生活や初期研修では他科には目もくれず、しかしながら身体のことを集中して学ぶことができる最後の期間として、プライマリケアの習得に励んで参りました。そして、いくつか病院見学に伺った後に、最も温かく熱心なこちらの医局への入局を希望致しました。東京都のシーリングもあり定員が限られている中で入局でき、大変嬉しく存じます。
 現在は田形先生のご指導のもと、大学の同級生である村上先生と共に同じチームで研修しております。これほどまでに指導熱心でありながら、私達の体調をいつも気にかけてくださる上級医の先生方をはじめ、連携させていただいております全てのスタッフの皆様には感謝の念が止みません。そして何より、このような素晴らしい雰囲気の医局を作り上げて下さった先輩方には深く御礼を申し上げます。
 私は多文化間精神医学や対人関係療法に興味を惹かれておりますが、まずは一臨床医として精神科一般を広く学ぶことができればと考えております。今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒よろしくお願い申し上げます。

令和3年度 入局

 私は獨協医科大学を卒業し、恥ずかしい過去ではありますが、国試浪人を経験したのち、自治医科大学で研修医を経験させていただきました。この度、学生の頃から目指していた精神科に進み、アカデミックで教育体制がしっかりしているこの医局に入ることができて大変うれしく思います。
 精神科は学生の頃から学問として興味があり、勉強していて楽しかったことを覚えています。友人の精神分析をできないかと、実践に移してできるかどうかとtryしていたことを覚えています。研修医で精神科を経験し、いざDSM,ICDを手にしてみると、診断基準の細かい項目を見て、どこから勉強すればいいのかというぐらい何も理解できず、学生の頃から興味があった分打ちのめされた気持ちになった記憶があります。しかし患者と接していて癒される感覚と、この患者のためになら仕事に打ち込めると思ったこと、外来で患者と話す先生方を見てかっこいいと感じたことが決め手になり、精神科に進むことを決めました。入局説明会では、この医局のbio psycho socialからの介入に感銘を受け、迷いなく入局先を選べました。
 実際入局して、働き始めると、想像していたよりずっと付いていけずで四苦八苦し、研修医を終えたのにまた振り出しに戻ったような感覚があり、苦戦しております。上級医がいなければなかなか勇気を出して介入していけない未熟な自分に憤りを感じ、悔しく思う日々です。
 しかし、知識も、カルテ一つもまともに扱えない私に、直属の先生だけではなく多くの先生方が暖かい声がけを下さり、最高の環境で、精神科医としての第一歩を踏み出すことができました。余計なことで迷ったり、悩んだり疲弊したりせず、目指す未来にまっすぐ進める環境を与えて下さりとても感謝しております。医局の一員として、なるべく早く自分でplanを立てて動いていけるように日々精進して参ります。今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

令和3年度 入局

 私は東邦大学出身で、大森病院にて研修させて頂いた為、在学中より入局に至るまで精神神経科の先生方には大変お世話になりました。
 私が精神科を志したきっかけは中学生時代に遡ります。現代的には所謂「厨二病」と呼ばれるところかとは思いますが、思春期の頃より心理学を通して人の心の仕組みや発達段階などについて学ぶことが好きでした。高校1年生の折、高校の学外実習にて水俣病の患者さん達と触れ合った経験や、現役医師の先生の講演会などを契機に、それまでぼんやりと心理士を進路に考えていた私に医師を目指すという選択肢が増えました。ちょうど高校1年生の終わり頃には文理選択の時期があり、医師を目指すか、心理士を目指すかの選択を余儀なくされ、精神科医の可能性を含めて医師となることを目指し理系を選択することを決めました。
 実際に医学生となり、内科や外科について多く学ぶ中でも、精神科への興味は尽きませんでした。しかし実際に精神疾患と触れ合った事がある訳でもない状況では、「もしかしたら自分は精神科と合わない可能性もある」と思い、全ての診療科を学ぶ上で大いに興味を持って勉強に当たりました。学生実習でもそれは同様で、5年生の1月、一番最後に精神科にて実習させて頂いたその瞬間までたくさんの科に興味を持ち、自分が行く可能性があると思っていました。そんな中で実際に精神科実習が開始したわけですが、これが私にとってはこれまで見たどの科より非常に面白く、6年生の折に片桐先生のチームで1ヶ月間お世話になった際には、病棟の患者さんについてチームの先生方にあれこれ質問するだけで飽き足らず、見境なく当時開いていた全ての再診外来に陪席を願い出て、合計20名以上の先生の外来に陪席させて頂く有様でした。この時の経験は現在に至っても私の中ではとても大切なものとなっています。当時快く指導して下さった先生方、本当にありがとうございました。
 このような経緯で心から精神科を志すことになった私でしたが、大森病院精神神経科医局の真剣さ、温かさにどっぷりと触れた後では、他の医局を志す気になれず、学生の折より水野先生には研修終了後からお世話になりたいとお話させて頂いておりました。この度、念願叶い同門として先生方と肩を並べることが出来たこと、心から嬉しく、そして大変光栄に思います。教えて下さっている先生方に恥じないよう、初心を忘れず、日々の業務に追われるだけでなく
 精神神経科について大いに学んで成長していきたいと思います。

令和2年度 入局

 まずは簡単な私のプロフィールをお話しさせていただきます。新潟県で生まれ神奈川県横浜市で育ちました。大学は再び新潟に戻り、新潟大学医学部に6年間在学しました。日本海が近く、豊かな自然に囲まれながら勉学に励んでおりました。趣味の釣り、キャンプ、スノーボードも堪能でき、試験終わりなどはおいしい新潟の酒と肴を堪能し勉学の疲れを癒しておりました。新潟大学は田舎でやることもないということもあり、部活動が盛んな大学でした。私も軟式テニス部に所属し、東医体の団体戦で優勝したことは今でも良い思い出です。気づけば中学高校と合わせ10年間以上も軟式テニスをやっていたことになります。そんな大学生活を終え、研修は住み慣れた横浜で行うこととなり、新潟は第二の故郷なりました。初期研修はJR線港南台駅にあります恩賜財団済生会横浜市南部病院で2年間研修させていただきました。偶然にも現在の病院と1字違いであります。また、研修中、東邦大学大森病院の新生児科にも2か月間ローテさせていただき、貴重な経験をさせていただきました。大森病院での研修の2か月間は、東邦大学の高校時代の友人に空いている家を借りて蒲田の生活を味わっておりました。また再び東邦大学を訪れることとなり縁を感じております。私は当初小児科を希望しておりましたが、次第に児童精神にも興味を持つようになりました。思春期精神、成人精神も以前より興味があり、将来を見据えて進路を悩んだ結果、精神科の道を選ぼうと決めました。将来は児童精神の分野にも携わり、再び小児医療にも触れたいと考えております。2020年3月に初めて水野教授とお話させていただいた際には、ARMSのお話や、高校教育の教科書に統合失調症やうつ病などの精神疾患の内容を導入したというお話を聞かせていただき感銘を受けました。COVID-19の流行のため東邦大学の先生方にお会いする機会に恵まれず残念に思いますが、改めてご挨拶させていただければと存じます。まだまだ右も左もわからぬ未熟者で皆様にはご迷惑おかけすることが多々あるかと存じますが、ご指導・ご鞭撻の程よろしくお願い致します。

令和2年度 入局

 私は他大学を卒業後、大橋病院で初期研修を行い、今年度より東邦大学医学部精神神経医学講座に入局しました。 私は医学部編入以前に、大学院で自殺と新聞報道の関係を研究していました。その対象は硫化水素、遺族、就活、未成年と、様々でした。研究テーマに関係して、漠然とではありましたが当時から精神科医療に興味がありました。奇縁があり、医学部編入後もライフワークとしてそれらを追い続ける機会がありました。その中で、大学院で研究したように公衆衛生学的観点からだけでなく、臨床医学的観点からも関連する分野に貢献していきたいと考え、精神科医を志しました。その中でも本講座への入局を志願したのは、臨床だけでなく研究にも力を入れている大学病院であり、精神疾患の早期発見・早期介入に先進的に取り組んでいることが挙げられます。また、附属病院で研修をしていたため、4か月間当科で研修しました。その間は様々な分野でご活躍される先生方のお仕事ぶりを間近に見る機会に恵まれただけでなく、精神科に関してだけでなく、医師として必要な技術や心構えに関して懇切丁寧にご指導していただきました。果たして自分が精神科医として独り立ちできるかという不安はありましたが、自分の志しに一歩でも近づくために、研究と教育が充実している、この場で研鑽を積みたいとの思いから入局を決断しました。
 現在、COVID-19が世界規模で猖獗を極めています。その中で、医療を取り巻く環境は様変わりしています。当科も例外ではなく、一時的ではありますが体制の変化を余儀なくされています。フレッシュマンとして右も左もわからない中で、日々変化していく環境に対応していくのが精一杯の状態です。しかし上級医や同期、メディカルスタッフの皆様に支えられて、細やかながらも責任の一端を担えることは大きな喜びです。
 精神科医としての長い道のりの半歩も踏み出していませんが、まずは眼前の業務に真摯に取り組み、日々成長していけるように精一杯努力してまいります。

令和2年度 入局

 自己紹介をさせていただきます。生まれは和歌山ですが、日本各地を転々として参りました。長く住んだのは、大阪、香川、高知です。主に“西”で育ちました。高校生時分はどういうわけか「この国では生きていけない。」という思いがあり、当時夢中になっていたギターを学びにスペインに行こうと考え、スペイン語学科のある大学に入学しました。卒業と同時に日本を脱出、貯金が尽きるまでにスペインで何でもいいから仕事を見つけようという戦略皆無の旅立ちでした。まずはスペインよりも物価の安い中米グアテマラで語学学校に通うことにしたのですが、この選択が私の人生を大きく変えることとなります。グアテマラでは宿のフロント、掃除、電気の修理、みな子供がやっていました。自分達は学校には通えず、ずっと働く毎日だと話します。想像を超える貧困を目の当たりにし、「これはギター弾いてる場合ちゃうな…」となったわけです。日本で働いて得たお金を持って、現地で教育や生活の支援ができればよいか。資格があれば、帰国した時に再就職しやすいか。向こうでやりたいことに近い内容の仕事であれば、なおよいか。色々と考え、作業療法士(OT)の道を選びました。OTとして精神科病棟で出会ったのは20代前後の若者達で、経済的には問題がないけれど、学校に行けなかったり食事が摂れなかったり生きることに苦しんでいたりしました。「日本は日本で大変やな…」と。彼らに関わる中で、ここまで重症化するのを防ぐ術はないのかと考えるようになり、水野教授が早期介入について紹介されている記事に出会いました。この出会いがまた私の人生を大きく変えることとなりました。医師として精神疾患の予防や早期介入に携わることが私の目標のひとつとなり、高校時代の不勉強がたたり苦しい受験生活を経て愛媛大学に入学、兵庫県の市中病院で初期研修を修了し、そして今に至ります。現在ギターは趣味程度。グアテマラに住むMirnaという女児の学費支援をしていますが、将来の夢は“Doctora”だそうです。
 こんな私ですが、ご指導ご鞭撻よろしくお願い申し上げます。

令和2年度 入局

 医学部は他大学の出身ではありますが、実は東邦大学薬学部を卒業しておりますため、久々に母校・東邦大学に戻れたことを大変嬉しく思っております。
 私が精神科に興味を持ったきっかけは、薬学生だった頃、習志野の図書館でたまたま精神医学ついての本を読んだことに遡ります。理系に進学したものの、元来歴史や民族学などが好きだったこともあり、精神医学の持つ科学でありながらも文学的でもある点に非常に惹かれました。薬剤師としての進路を決める際には、当時精神科での薬剤師病棟業務は黎明期でありましたが、自分がその道をもっと切り開きたいと意気込み、迷うことなく精神科単科病院薬剤部へ入職しました。実際に勤務を始めてみると、精神科医療は、医療従事者だけではなく、地域、そして患者さん本人・家族の力の総力戦であること実感する日々でした。また薬物治療だけではなく、精神療法、作業療法を通じ、回復していく患者さん方にお会いし、深く広い精神科医療の世界の虜となり、ついには精神科医になりたい、と思うに至りました。その後は、縁あって大分県で8歳ほど年下の同級生たちと楽しく第2の学生時代を謳歌し、しかし初心は忘れず、精神科医のスタートラインにたどり着くことができました。
 東邦大学はもともと母校のひとつという意識はありましたが、それ以上に水野教授が中心となって手がけていらっしゃる精神障害の早期発見と早期治療・予防への取り組みや、アットホームで活気がある医局の雰囲気に魅了され、入局を希望しました。入局して2ヶ月になりましたが、直属の指導医の先生だけではなく、多くの先生方が暖かく見守って下さる最高の環境で、精神科医としての第一歩を踏み出すことができました。この恵まれた環境に感謝しつつ医局の一員として、一人前の精神科医になれますよう精進して参ります。今後とも、ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

平成31年度・令和元年度 入局(大学院)

 私は、保健や健康に関する教育を専門としています。もともとは教員や栃木県の行政職などをしており、東海大学に赴任する前は文部科学省及びスポーツ庁におりました。それがなぜ本学精神神経医学講座に入れていただくことになったのか、お話しさせていただきます。
 国の機関に所属していたときの主な仕事は、保健体育の保健に関する学習指導要領の改訂でした。御承知の通り、学習指導要領は日本のすべての学校で学習する最低基準を示したものです。最近では、小・中学校が平成29年、高等学校が平成30年(特別支援学校は小学部・中学部と高等部とに分けて告示)に改訂されています。新聞等でも報じられましたが、この高等学校の学習指導要領の保健に、新たに精神疾患の予防に関する内容が加わりました。このことに行きつくまでには、様々な議論や手続きがあったわけですが、水野雅文先生の御尽力により無事着地することができたわけです。
 ここ数回の学習指導要領の検討は、教育関係者が中心で医学関係者は数少ないのが現状です(昔は医学関係者が多かったのですが)。しかし、今回、精神疾患を含む精神保健の内容を検討する際に、医学関係者の重要性が再認識されました。そして、教育関係者が医学関係者と連携や協働する必要性を感じ、まずは自分からと、信頼する水野先生がいらっしゃる本講座の門をたたかせていただいた次第です。
 私の現在の課題意識は、精神疾患について中学校から学ぶべきか、それとも中学校ではなくもっと高等学校での内容を充実するべきかということです。皆様と交流する中で、医学的な知見を踏まえて答えを導き出したいと思いますので、御指導のほどよろしくお願いいたします。

平成31年度・令和元年度 入局

 私は東邦大学を卒業し、東邦大学医療センター佐倉病院で2年間の初期研修を終え、平成31年度より東邦大学医療センター大森病院精神神経科に後期研修医として入局させて頂きました。
 精神科医の両親に影響を受けた私は、学生時代より精神科を志しておりました。学生臨床実習でも東邦大学の精神神経科を選択し、担当患者さんの居宅へ訪問するなど貴重な経験をさせて頂くこともありました。先生方は本当に暖かく迎えてくださり、初期研修で選択した際にはそれにも増して歓迎してくださりました。入局した今でも皆さん変わらず接してくださります。
 精神科では、患者さんの訴え、振舞を症候学で理解していくことで診断や治療につながります。診断が決まったとしても、患者さんそれぞれに必要な治療を見定めなければならず、同じ治療ということはあり得ません。また、同じ患者でも受け持つ医師によってその治療方法は大きく変わっていくでしょう。社会的な背景を知ることで方針が180度変わることもあります。内科など他の診療科と迷う時期もありましたが、精神科の複雑さに魅力を覚え、生涯にわたり取り組みたいと思いました。
 当科は精神保健指定医や精神科専門医を最短の3年間で取得できるプログラムを組んでいる医局です。先生方は試験対策の作成、複数の指導医によるレポートチェックでサポートしてくださります。どの先生に尋ねても「ここまで面倒見の良い医局はないだろう」とおっしゃいます。まだ右も左も分からない私にはとても有難いものです。
入局して間もない私ですが、先生方に支えられ充実した研修生活を送っております。外勤先では自分の外来を担当するようになり、研修医の時とは違った新鮮さがあります。同期にも恵まれ、入局してよかったと心より実感しております。
 東邦大学の精神神経科の繁栄にわずかでも貢献できるように、そして来年度以降の入局者を暖かく迎えられるようにこれからも精進致します。

平成31年度・令和元年度 入局

 私は群馬大学を卒業し、聖隷佐倉市民病院で研修したのち、平成31年に入局させて頂きました。
 東邦大学とはほとんど縁もゆかりもなく、さらに初期研修病院に精神科病棟が無かったため、精神科医療の知識もほぼ無い状態でしたが、東邦大学の先生方はそんな私を快く受け入れてくださいました。初期研修医時代は様々な病院に見学に伺いましたが、東邦大学はその中でも特に医局の雰囲気が良く、フレッシュマンのサポート体制が非常に充実していると感じました。精神科診療を続けるにあたり一つの目標でもある精神保健指定医の取得に関しても、医局全体でバックアップしてくださる体制があり最短コースでの取得が可能であり、勉強会等も充実しているとお聞きし、こちらの病院なら系統立った良い臨床経験を積むことができるだろうと考え、東邦大学への入局を決めさせていただきました。
 また、自身が他大学出身であるということもあり、医局に馴染めるかどうかという不安もありましたが、東邦大学精神科は他大学出身の先生方も多く、今回の私の入局に関しても温かく迎え入れてくださいました。
 診療体制はチーム制で、指導医からほぼマンツーマンの指導を受けることができています。指導医が不在の際も、病棟の先生方は患者さんの概要を把握しているため、困ったときにはすぐに相談できる体制も整っており安心して診療ができています。本格的な精神科診療は初めてで、まだ数か月の臨床経験のみでは戸惑うことも多いですが、周囲の先生方やスタッフの方々に助けられながら充実した研修生活を送らせて頂いております。正直まだまだ分からないことだらけではありますが、今後も一歩ずつ着実に精神科医として成長していけたらと思っております。

平成31年度・令和元年度 入局

 私は東邦大学医学部を卒業後、大阪医科大学附属病院で初期研修を終え、2019年度より当科に入局させていただきました。精神医学に興味を持ち始めたきっかけは大学4年次の精神科の授業でした。今まで「少し変わっているな」程度に思っていた人々の言動が精神医学用語により形容され得るものであったり、実は未介入の精神疾患患者である可能性を示唆するものであったりという事実が自分にとっては大きな衝撃でした。正常と異常の境界は何処だろうか、精神疾患の本質・実体とは何だろうか、そもそも疾患自体の存在は証明し得るものなのだろうか、等と様々な思索が自分の頭の中を巡り、将来的にこの分野をより深く探求していきたいと思うようになりました。
 ミシェル・フーコーが「狂気は在る社会のなかにしか存在しえない」と述べたように、精神疾患というものを定義する以上、その個人の文化・社会背景を念頭に置いた考察が必要不可欠です。同様に治療面に関しても生物学・心理学的アプローチのみならず社会環境の調整が肝要なものとなっております。東邦大学精神科では歴史的に社会精神医学に重きを置いています。イル・ボスコの設立やARMS研究、最近では精神保健のICTプラットフォーム「サニタ」の開設に代表されるように、予防医療、社会福祉への介入等に関して先進的に力を入れています。初期研修医時代まで大学・市中病院共に様々な精神科医局の見学をさせていただきましたが、その点に関しては他に類を見ない魅力であり、入局の決め手の一つとなりました。
 かつては私宅監置、滝治療、ロボトミー手術さえも行われていた精神医療は、抗精神病薬の開発を機に、この数十年で大きな変化を遂げました。AI、ゲノム、再生医療等の科学技術の発展と共に、私達が歩むであろう今後の未来においても、精神医学が大きく変容していくことは想像に難くありません。今後も激動の時代を迎えるであろう精神医療という分野において、最前線で活躍させていただける機会をいただけて大変喜ばしく思います。未だ右も左も分からない未熟者で、御迷惑をおかけする場面も多々あると思いますが、今後とも宜しくお願い申し上げます。

平成31年度・令和元年度 入局

 北里大学を卒業後、聖隷横浜病院にて初期臨床研修を行い、耳鼻咽喉科医として1年間従事していたのですが、この度、転科という形で当講座に入局させていただきました。元々実家が耳鼻咽喉科ということもあり、今までは実家を引き継ぐ形で働いてまいりましたが、耳鼻咽喉科外来で受診される、メンタルに関わっためまい症状や耳鳴・難聴を訴える患者さんに非常に興味を持ち、また学生時代より心に抱いていた精神科医への憧れを捨て切れることが出来ず、悩みに悩んだ末、この度精神科医として再スタートを切ることと致しました。東邦大学は私の出身校ではなく、また蒲田という土地にもほとんど訪れたことがなかったため、私にとってはほとんど縁もゆかりもありませんでしたが、私が転科で悩んでいる時期に初期研修医時代にお世話になっていた精神科医の先生より当講座をご紹介いただき、一度見学に伺わせて頂きました。その際、ケースカンファレンスで先生同士が白熱した討論を行っている場面や、数人の小チーム制であることから上級医から直接的に熱心な指導を受けれることに非常に感銘を受けました。また、入局されている先生方も他大学出身の方が多く、垣根なく仕事をされてました。その場面を拝見できたことも私にとっては入局する大きな要因の一つとなりました。さらに精神科医として必要不可欠である、精神保健指定医や専門医を最短期間で取得させていただけることもお聞きし、一回の見学だけで「私が精神科に入局するならここの医局しかない!」と自分では決心をしていました。
 現在入局して約2ヶ月が経過しますが、まだまだ分からないことだらけで慌ただしい日々を送っています。ですが、素晴らしい先輩や同期にも恵まれているおかげで「自分はもしかしたら東邦大学出身なのでは?」と感じてしまう程溶け込ませて頂いて、充実した毎日を送ることが出来ています。今後も耳鼻咽喉科で学んだことを生かしつつ、精神科医として日々精進していけたらと思っております。最後になりますが、もし他大学出身の方で精神科を考えている方や転科を考えている方がいらっしゃいましたら、是非とも当講座を見学頂けたらと思います。お待ちしております。

平成31年度・令和元年度 入局

 私は東邦大学医学部を卒業し、2年間の初期臨床研修を日本鋼管病院で終え、平成31年度春より東邦大学医療センター大森病院精神神経科に後期研修医として入局させていただきました。
 私が精神科に興味を持ちだしたきっかけは、他でもなく当医局を学生実習でローテーションさせていただいたことでした。当時担当していただいたチームの先生方に基礎的な疾患や治療はもちろんのこと、患者様一人一人の問題点、今後の方針などについて懇切丁寧に教えて頂きました。その中で精神科では患者様を診ていくにあたっては、その人が現在抱えている問題だけでなく多くの背景があり、患者様の抱えている問題(疾患)を診ているのでなく患者様その人を診ていると感じそこに魅力を感じました。
 現在入局先を選ぶにあたっては、昨年度より開始した新専門医制度に目を向けなければならないと思います。初期研修医時代に初めて新専門医制度の話を聞いた時には正直な感想としては、より複雑になった制度にて対してプログラムがしっかりしている所に入局しなければ専門医を取れないのではとないかという不安でした。市中病院も含めいくつかの医局に見学させていただきましたが、専門医、指定医共に最短で取得するための指導体制が一番整っていると感じ当医局に入局を決意致しました。
 入局して1カ月半ほど経ちましたが、多くの先生方にそれぞれの専門分野についてクルズスしていただいています。当医局にいるとそれが当たり前のように感じてしまうのですが、フレッシュマンにこれだけ多くのクルズスをしている医局はないのではないかと思います。クルズスだけでなく、また医局内の雰囲気がアットホームであり上級医の先生方にご相談しやすい環境も当科の魅力だと感じます。

(平成30年度以前入局者)

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