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大学院生 鈴木健志先生が学位を取得しました!

大学院生 鈴木健志先生が維持透析治療におけるケトン体代謝について研究し、論文「Change of plasma ketone bodies and skin gas acetone in hemodialysis patients」をToho J Medに発表し、学位を取得しました。
研究フィールドとなることがほとんどなかった慢性維持透析ですが、長期生存が期待できるようになり、その病態は様々です。透析後で血中ケトン体は予想以上に増加していますが、そのプロフィールには予想外の変化が見られました。皮膚から排出されるアセトンガスも測定し、オリジナリティの高い論文になりました。
1月28日に開催された学位審査では、緊張気味の鈴木先生でしたが、審査の教授たちの多数の質問に、丁寧に答えていました。
学位審査には、指導医の佐々木陽典先生も駆けつけてくれました。これまでの数少ない報告と異なった結果が得られたため、ケトン体の代謝についての考察は慎重に行われました。佐々木先生、瓜田、鈴木先生でなんども議論した内容はたった1枚のスライドにまとめられました。学位審査終了後に、そのスライドをバックにパチリ!
3月31日には学位授与式が行われました。学祖 額田先生の母上様の胸像の前で、記念撮影しました。写真をとってくれたのは、麻酔科の同期生 長谷川誠先生でした。ありがとうございました。
鈴木先生は神戸大学を卒業後、医師を志して再受験し、東邦大学に入学してくれました。30歳を過ぎてからの再受験でしたが、優秀な成績で卒業し、済生会横浜南部病院で初期研修を行いました。その後、東邦大学総合診療科に入局し、内科学会認定医、腎臓専門医を取得しています。川崎幸病院、長岡赤十字病院にもお世話になりました。誠実な人柄と思いやりの溢れた診療は多くの病院から高く評価され、年齢を感じさせない?フットワークの良さは、診療だけではなく、研究においても存分に発揮されました。鈴木先生、本当にお疲れ様でした。
鈴木先生は4月から長岡赤十字病院に出向し、さらに総合診療医、腎臓専門医として研鑽を続けていきます。長岡赤十字病院のある長岡市は、幕末に活躍した長岡藩士 河井継之助が有名です。7万石の小藩でありがら、スイスのような武装中立を目指した長岡藩は、窮地に追い込まれた会津を中心とした東北列藩同盟と新政府軍の無益な流血を阻止するために、尽力してくれました。交渉決裂後に長岡藩は奥羽越列藩同盟に加わり、河井継之助が陣頭指揮に立ち、新政府と互角に戦いました。最終的には総崩れになりますが、小藩の奮闘は東北列藩同盟を奮い起たせたことは間違いありません。津軽出身の瓜田としては、長岡の鈴木先生との研究で新たな知見を得られたことは、大きな意義を感じています。津軽は蝦夷(えみし)が松前から渡ってきてこの国の津を借りて住んだことから「津刈」になり、都加留、さらに時代を経て津軽へと変化したと言われています。日本書紀によると,蝦夷の中で最も遠い「都加留」は独立の気配が濃厚で、戦でも負けることを知らない、と朝廷からの支配に抵抗してきた歴史があります。太宰治が「津軽」において、「弘前の城下の人たちには何が何やらわからぬ稜々たる反骨があるやうだ」と書いていますが、その気風は今も「じょっぱり」として残っています。
話が脱線しましたが、長岡で地域医療に従事する鈴木先生の父上、健介先生の絶大な協力をいただき、今回の論文は完成しました。親子での共著論文は、格別な意味があります。健介先生、誠にありがとうございます。私は父親が急死したとき、死んだ父親の名前を入れて学会発表させていただき、供養したことを思い出しました。コロナ感染症が終息しましたら、長岡で祝杯をあげたいと思いますので、よろしくお願いします。
文責: 瓜田 純久

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