臨床医は症状を聞いた段階である程度考える疾患を絞り込んでおり、お腹を触っている時には頭の中で解剖学の図譜の絵やCT・エコー所見等をイメージしながら触診をしています(外科医は術中所見をイメージしていると思います)。右下腹部痛の患者さんを診る時にも心の中では「急性虫垂炎っぽい」とか「憩室炎っぽい」等と絶えず考えながら動いています。
日本の病院においては結局は腹部CTを撮って診断しますので、ここまでの思考過程があってもなくても変わりはないのかもしれませんが、私は内科医として、画像・血液検査を行うまでの思考過程を大事にしたいと思っています(スラムダンクの主人公のセリフ「左手は添えるだけ」のように、典型的症例においては「検査は添えるだけ」というレベルまで検査前確率を正確に設定できれば理想的です)。
画像診断や血液検査の進歩により病歴聴取や診察の重要性は以前よりも低下しており、病歴や診察に関する研究は若手医師の「で、なんなの?」という問い(So what? question)に弱いかもしれません。しかし、検査がいかに進歩しても、一つの結果に振り回されない為に、常に幅広く情報を集めて判断を繰り返す姿勢は変わらず重要なのではないかと思います。
そういったわけで、僕らが経験や先行研究の組み合わせからなんとなく実感している「憩室炎っぽさ」「虫垂炎っぽさ」を病態生理の観点から説明して、客観的データとして示したいなぁ・・・
と思って書いた論文が遂に掲載されました!
日本の病院においては結局は腹部CTを撮って診断しますので、ここまでの思考過程があってもなくても変わりはないのかもしれませんが、私は内科医として、画像・血液検査を行うまでの思考過程を大事にしたいと思っています(スラムダンクの主人公のセリフ「左手は添えるだけ」のように、典型的症例においては「検査は添えるだけ」というレベルまで検査前確率を正確に設定できれば理想的です)。
画像診断や血液検査の進歩により病歴聴取や診察の重要性は以前よりも低下しており、病歴や診察に関する研究は若手医師の「で、なんなの?」という問い(So what? question)に弱いかもしれません。しかし、検査がいかに進歩しても、一つの結果に振り回されない為に、常に幅広く情報を集めて判断を繰り返す姿勢は変わらず重要なのではないかと思います。
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