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東邦大学医学部腎臓学講座 腎移植第1000例を迎えて

移植チャート丸めて持って叱られる

東邦大学医療センター佐倉病院 腎臓学講座 大橋 靖

 残念なことに移植は日本の文化に馴染まないようだ。人は亡くなると7日で三途の川のほとりに辿り着き、49日で極楽浄土へと旅立つという。この文化はなぜあるのだろうか。きっと、残された者が絶望しないようにまだ魂は遺族の側を漂い、近くにいてくれるんだと慰めているのだと思う。そして十分悲しんだら、社会に戻っておいでと言ってくれているんだろうと思う。日本人にとって、亡くなった人の体は死後49日間遺族のものなのだ。
 夏目漱石の「こころ」に尿毒症の話の下りがある。当時は透析がない時代であり、尿毒症はひどい病だとある。透析がない時代から見れば、透析は大きな救いである。透析は今までに計り知れない人たちの悠久の人生の時間を生み出してきた。透析は人生の時間を救う。しかし救われる命がある一方、病む時間も長くなった。今の時代、透析をろくでもない、ひどい医療だという人もいる。移植は透析から人を救う。救われたと実感するからこそ感動と感謝がある。移植を受けた患者さんを見れば、一目瞭然「笑顔の量」が違う。自分の外来からあの量の笑い声は聞こえない。しかし、移植を受けた者も他者からの「慰め」を受けて生きていかなければならない。もとの自分に戻りたい」「もっと健康でありたい」、誰もがそう願う。腎臓があったらどんなにいいことか、それを欲する自分は疚しいのか、腎臓病を患う者は天国でも地獄でもない場所を彷徨う。腎臓を提供した者の願いは受け取った者の末永い健康であろう。自分を傷つけ他者に「善行」を行うのは深い愛と秘めたる強さが必要だろうと思う。
 両者の複雑な思いを汲みつつ、移植に携わることは実にしんどい。私は少し違う道に進み、その苦しみと喜びの中にはいない。それを少し残念にも思い、その役割から外れてよかったとも思う。今回、移植1,000例を終えたと連絡が届いた。その領域に専心した人たちの顔が浮かび、共に過ごさせていただいた時間が思い出される。東邦大学の移植は1例1例に時間をかけて重ねてきたことを知っている。今の時代も貰う者と提供する者の思いはなにも変わらない。次の1,000例も是非心を尽くしてほしいと思う。
 人は死後49日の間、7日ごとに閻魔様の裁きを受ける。遺族は故人が少しでも極楽浄土に行けるように、その裁きの度に法要を行い「善行」を重ねていく。これは故人を偲ぶために用意されているのかもしれない。しかし日本にも死後「善行」を行う機会は与えられているのだ。死して尚、自分でひとつ「善行」を足せるのは悪くない。家族にそう話せたらいいなと思う。家族は、閻魔様はきっとあの人を極楽浄土に導いてくれた、そう思ってくれるだろう。長谷川先生も煉獄からの「善行」であれば、あの日の所業をお許しいただけるのではないかと思う。