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SAKURA Times 院内広報紙『今を決めたあの時』

自分が愛しているものになる

よく人は「夢をもて」という。しかし、夢が破れたらどうしたらいいのだろうか。社会は夢をもった一部の人間だけが成功すればいいのかもしれない。だから、無責任に「夢をもて」と言える。夢をもつことは、できない自分との闘いである。結局、成功者が自分でなければならないのは自分だけなのだ。人生には様々な機会があるが、それをよいものにするのか、悪いものにするのかは自分次第である。「あいつはいい機会に恵まれたな、いいや、たぶんそいつはその機会をものにしたのだ。」

岐阜の田舎で医者の息子として生まれた僕は医者の子供である大きな幸福以外、なんの取り柄もなかった。幼き頃、兄は成績優秀で、太っているのに足も速かった。僕の成績は真ん中かやや下ぐらいで、運動会ではたいてい3番か4番の列に座っていた。兄は町内のソフトボール部でピッチャーだった。僕は「大橋の弟」と期待され、初めからピッチャーに抜擢され、すぐ交代させられた。習い事の機会は多かったが、どれもすぐやめた。劣等感があった。

そんな僕は仮面ライダーV3が好きで、ジャッキーチェンの映画をよく見ていた。ヒーローにはいくつかのタイプがある。無敵なヒーロー、挫折し強くなるヒーロー、弱そうにみえて実はめちゃくちゃ強いヒーロー、どのヒーローもかっこよく「ありがとう」という感謝の言葉以外なにも求めない。僕はヒーローにあこがれていた。

小学校5-6年生になり、だんだん太ってくると、父はテニスを始める機会をくれた。田舎で、医者の息子で、太ってて、テニスしているなんて、結構感じが悪い。高校の硬式テニス部に経験者としていれたのはラッキーだった。誇れるものは、生きることを少し楽にしてくれ、くやしさを教えてくれた。

高3の夏、医学部を目指すことにした。医者になってなにかを成し遂げたいわけではなかった。そもそも医者になるつもりはなかった。その感情は複雑である。医者が悪い職業ではないのはわかっている。勉強ができないことに対する自己防衛だ。劣等感に挑むのは楽なことではない。劣等感はそれを克服しない限り消えてくれないのだ。

4つの病院で働く機会とクリーブランドクリニックへ留学の機会に恵まれた。新しい機会は新しい出会いと挫折を生む。その空間の中で自分の座標が定まり、劣等感が癒える。その過程は辛いものであるとともにのちに尊いものと思えた。僕は、今、佐倉病院で未知なる冒険に挑んでいる。劣等感は日々僕を襲う。でも、くやしいと思う自分には伸びしろがあるはずだ。いつか「この病院の腎臓病患者さんたちを大橋たちに任せてよかった」と思われたい。

医者であれ、なんであれ、誰かの役に立ち、感謝される人間になりたいと願う。なんたって、僕の夢は昔からヒーローになることなのだ。

お問い合わせ先

東邦大学医療センター
佐倉病院 腎臓内科

〒285-8741
千葉県佐倉市下志津564-1
TEL:043-462-8811(代表)