蚕と大森貝塚の接点

昨日、蚕とパスツールのことを書きました。

本日は、蚕と大森貝塚について非常に簡略にお伝えしようと思います。

ヨーロッパの蚕糸業が微粒子病によって打撃を受けていた頃、
佐々木長淳(1830-1916)という人物が明治政府から
ウィーン万博に派遣されました。

日本蚕糸業を世界へ紹介するとともに、ヨーロッパの養蚕・製糸の技術を
学んでから帰国しました[1]。

その後、蚕糸業は日本の基幹産業にまで発展します。
1877年、佐々木長淳の長男である佐々木忠次郎(1857-1938)は、
現在の東京大学理学部生物学科において、エドワード・モース(1838-1925)
から動物学を学びます[1]。

その忠次郎は、東京大学の学生としてモースによる大森貝塚の発掘にも
同行したそうです。

大森貝塚跡は、東邦大学の最寄り駅であるJR大森駅から徒歩3分の場所にあります。

一度、訪ねてみてくださいね。


[1] 嶋田 透. 「カイコの微粒子病研究と農学 140 年」 http://academy-nougaku.jp/pdf/bullettin022/bullettin022_10_rondan.pdf (最終閲覧日:2021年2月19日)

投稿者:教員

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