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学びについて考える

投稿日:2013年08月16日00時00分|投稿者:管理者|カテゴリー:未設定

 連日の暑さで、溶けてしまいそうですね。外で働く方々は大変だなと、つくづく思います。看護師として病院で働いていたころは、当時はこれほどの酷暑ではなかったと記憶していますが、早朝に病院に入ると夜になるまで建物の外に出ることがないため、ほとんど四季の移り変わりを感じずに過ごしていたように思います。それはそれでさびしいものがありました。
 もっとさかのぼると、実家は北海道ですので、気温が25度を超えることは滅多になく、そんな日が数日あるともう大変でした。それでも、夜になると気温はぐっと下がり、なんと8月でもストーブをつけていたのです。そしてお盆が過ぎると、すでに秋でした。
 幼少時は、四季ではなく、春・数日の夏・秋・冬の三季だったように思い、暑い夏、海で泳ぐことに憧れていましたが、こうも連日の暑さが続くとさすがにしんどいですね。

 閑話休題。
 最近、大学院の講義を行うようになってからいろいろ考えます。「教育」ってなんだろう。「学ぶ」ってなんだろう。「大学院で学ぶ」ってなんだろう、と。
 私は、兵庫県立看護大学大学院(現兵庫県立大学大学院)の看護学研究科修士課程の1期生でした。当時は、パトリシア・ラーソン教授を筆頭に、内布敦子先生、足利幸乃先生、和泉成子先生などのそうそうたる方々にがん看護について学んでいました。
 
 今もそうですが、学びを咀嚼して自分のものにするまでに時間を要するタイプなので、大学院時代に学んだことは、即時ではなく、今頃になってようやく、じわりじわりと効いてきています。そういうことを考えると、大学院生の学びは、やはり成人教育(自らの動機があって学ぶもの、他者におしつけられるものではない)なので、提供はできるが、それをどのように活かすのかは本人次第となる。そして、各自の学び方も咀嚼スピードも異なるので、どこで花が開くかは未知。

 看護師として最前線で働いていると、年々できないことが少なくなっているように思い、指摘もされなくなり、頭の中の柔軟性も眠ってしまい、全てが即時に解決できると思いこんでしまう。
 でも、「学ぶ」って違うんですよね。
 世の中には、知らないことがたくさんあるし、今まで関与してこなかったから知らないこともたくさんあり、それらを「知る」って本当にわくわくして、知的好奇心って次々とわいてくるので、楽しい。
 でも、こと専門分野のことになると、しらないと「恥ずかしい」って気持ちが先にくるので、「知らない」「わからない」って言えない。
 言えないから、身体の中にたまってつらくてつらくて。
 大学院での学びは、未知のことについてより、あるがままの「自分」に素直に向き合えるのか、ということで葛藤しましたね。できない、って認めたくないのですよね。

 修了しての一番の糧は、「私には知らないことだから教えて」と言える勇気と仲間ができたことですね。知らないことは恥ずかしいことではなく、その現実を直視できない自分の弱さのほうが残念ですね。
 まあ、でも、それができるようになるには時間は要しますね。なんたって、社会的にも自律している「成人」が学ぶことですから。

 博士前期課程(修士)は、年に2回試験があり、そのうちのⅠ期と、博士後期課程の試験がもうすぐ。
 それが、10月5日(願書締め切りは、9月27日必着)です。
 そろそろ試験の時期だな、と考えていたら、「学ぶこと」について振り返ってみました。