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投稿日:2014年12月24日00時00分|投稿者:管理者|カテゴリー:未設定

今年もあと1週間です。本当に12月は走り過ぎていきますね。
看護学部の正面玄関を入ったところのナイチンゲール像の横に、毎年巨大な、ナイチンゲールよりも高いクリスマスツリーがお目見えします。
いつも、学事の方々が早々に飾り付けをしてくださるので、12月はこのツリーを眺めながら日々を過ごしてきました。

今年もいろいろありました。嬉しいこと、楽しいこと、大変なこと、しんどいこと。
しかし、どれもが私の大切な人生。
それは生きているからこそ体験すること。

司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」という子どものために書いた本が好きでよく読み返します。その中で、司馬遼太郎は、君たちだけが持っている大きなもの、未来、それを自分は年齢的に持ち時間が少なく、21世紀を見ることができない、とても残念である。と述べている。
「生きている」ことは、すばらしい。命あるからこそ、今がある。本当にそうだ。
10年前には大切な友人が40歳という若さで亡くなった。そして、今年も大切な友人が40代半ばで志を果たせず亡くなった。
本当に、本当に、悲しい。
でも、一番悲しいのは本人だと思う。きっと生きたかったにちがいない。
だからこそ、命あることに感謝をし、友人に恥じないように前に進もうと思う。

これらを乗り越えてそう考えられるのは、なんといっても周囲の方々の暖かい支援があったからである。どれだけの方々に支えていただいたことだろう。
感謝の気持ちは言い尽くせない。きっと自分が前を向いて歩むことでお返しできるのではないかと思う。

司馬遼太郎は、下記のように書いている。

自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助け合う、ということが、人間にとって大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと、言いかえてもいい。
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」
みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根と言っても、本能ではない、
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
(司馬遼太郎 『二十一世紀に生きる君たちへ』p.19-21より引用)

本当にその通りである。
ひとりではない、しかし支えあうためには、互いに自立していることも必要である。
自己が確立していたら、相手を思うこころも広く、深くなる。そうやって自己を磨いていくことが大切である。
先日のニュースに、感電し意識を失ったサルを仲間のサルが懸命に介抱し無事に生還した、があった。
他者から支えようと思ってもらえるように自己を磨き、互いに支えあい、一歩一歩前に進んでいきたい。

巨大なツリーを前に、サンタさんには、様々なことに対応できるしなやかさが身につくように、と願った朝でした。