トップページ > 研究紹介 > スピンクロスオーバー錯体(北澤グループ)
研究室メンバー専用

お問い合わせ・連絡先

東邦大学理学部
化学科
錯体化学教室

〒274-8510
千葉県船橋市三山2-2-1
習志野学事部入試広報課
TEL 047-472-0666

スピンクロスオーバー錯体(北澤グループ)

研究背景および研究目的、方法

ナノテクノロジーや分子デバイスなどの観点から、双安定性金属錯体の機能性が注目されている。金属イオンに有機配位子が配位した金属錯体は、無機物・有機物が単独では実現しえない新しい機能や物性を発現することで期待されている。
図1
金属錯体で発現する双安定性を持った磁性転換現象として、スピンクロスオーバー現象(以下、SCOと略)が知られている。これは、様々な外場刺激(温度、圧力、磁場、電場、光など)を与えることによって、錯体の状態が、高スピンと低スピン状態の間で可逆的に転換する現象である(図1)。この現象はFe(II)を用いた化合物で多く発現し、磁性—非磁性のスピン状態変化に加え、サーモクロミズムが生じることで興味が持たれている。これまで多くのSCO物質が報告されており、多彩なSCO挙動(スピン転移温度、転移温度幅、ヒステリシス挙動、スピン転移率などの多様性)がみられている。ところが、それらの転移挙動を支配しているメカニズムについては、いまだ不明瞭な点が多い。こうしたSCO挙動の要因の解明と相転移制御の実現は、基礎研究・応用研究の見地から重要課題である。
スピン転移挙動を支配する要因の一つとして、分子間相互作用(水素結合やπ-πスタッキングなど)による協同効果が指摘されている2。しかしながら、現在までの研究では、構成分子および結晶構造が異なる物質の間で比較を行っているため、複合的な要因を排除した議論ができていない。SCO現象には、ドメインの成長過程が関与しているといわれているため、その機構解明には、結晶構造全体を念頭に置いた議論が妥当であり、類似化合物における系統的な比較が必要である。
図2
このような背景を念頭に置き、本研究では、構造制御の可能な配位高分子錯体を対象として、SCO挙動のメカニズムに迫ろうと試みた。配位高分子錯体は、自己集積化による優れた構造設計性を持つ点が特徴であり、単核錯体と比べ、骨格構造が剛直であるために、構造制御が容易である。ここでは、ホフマン型錯体に類似した構造を持つ配位高分子錯体{[MII(L)2][M'II(CN)4]}n (図2)を研究対象とした。これは、八面体6配位の金属イオンMと平面4配位の金属イオンM'がシアノ架橋した錯体である。この系において、八面体6配位の金属イオンとしてFe2+を用いることで、北澤らにより初めてシアノ架橋配位高分子系においてSCOが見出された3。Lはピリジン系配位子であり、類似した配位子を用いることで、同形構造のSCO化合物群が生成すると期待される。こうしてSCOのメカニズムの解明に有用な物質系が構築できると考えた。

研究経過及び得られた結果

図3
前述の研究指針に基づき、同形結晶構造を持ったSCO化合物群の設計を行った。ここでは配位子サイズが物性に及ぼす要因を探るため、異なるアルキル基を持つ一連のピリジン系配位子(図3)を用いた。また、FeIIカチオンの連結ユニットとして、単結晶生成の容易な直線2配位アニオン[AuI(CN)2]-を用いた。
図4
このような設計指針のもと、モール塩、K[AuI(CN)2]、各種アルキルピリジンの溶液を混合、静置して自己集積化させることで、対象物質(L =L1 (1), L2 (2), L3 (3), L4 (4), L5 (5), L6 (6))を得た。これらについて単結晶X線構造解析およびSQUIDによる磁化率測定を行った。構造解析の結果、得られた化合物は全て、ホフマン型錯体に類似した二次元シート構造を形成しており(図4。全て同様のフレームワーク構造であるため1の構造のみ示す)、このシートが積層した結晶構造となっていることが分かった。このうち配位子の置換基が最小(錯体1)および最大(錯体6)の場合を除き、錯体2-5では、Au-Au間相互作用でシートが2枚一組となったBilayer構造が形成されていた(図5)。このことから、メチル基(錯体2)からイソプロピル基(錯体5)程度の大きさの置換基を導入することで、同形構造が構築できると考えられる。実際、ハロゲンを置換基とするピリジン系配位子を用いても錯体2-5と同形の構造が得られ4、このことからも、置換基サイズに依存して構造が決まっていることが裏付けられた。
図5
得られた物質群のうち、錯体3及び4のスピン転移率の温度依存性を図6に示した。錯体1-6は、いずれも温度変化によってスピン転移が生じたが、スピン転移の温度幅およびヒステリシス挙動に顕著な差が認められた。特に、錯体2及び3は転移の温度幅が狭く、急激なスピン転移を起こしている。また、狭いながらもヒステリシスを伴っていた。それに対して、他の化合物では、なだらかなスピン転移が起こっており、ヒステリシスはみられなかった。
図6
得られた錯体のうち、同形結晶である錯体2-5に着目し、スピン転移挙動に関する考察を行った。錯体2、3では急激なスピン転移、錯体4、5では緩やかなスピン転移が発現している。錯体2-5は同形であることから、この違いは、配位子部分の違いに起因する。錯体2、3では層間に位置するピリジン環同士が良く接触しており、ファンデルワールス半径の和より短い接触が多数存在した。逆に錯体4、5ではこうした接触はみられなかった。従って、錯体2、3における急激なスピン転移が出現した理由は、配位子間の接触による分子間相互作用が協同効果を高めた為であると結論できる。こうしたピリジン環同士の接触の違いは、置換基の立体障害に基づくことがわかった。すなわち結晶構造解析により、置換基サイズが大きくなると、Bilayer間の層間隔が広がってピリジン環どうしの距離が離れること、加えて、ピリジン環同士が平行でなくなることが確認できた。
以上のように、自己集積型配位高分子錯体の示す優れた構造設計性に着目し、Fe(II)を含む錯体の合成と構造、磁性の評価を行った。その結果、同形構造を持った一連の化合物が得られ、SCO現象の発現を確認することができた。さらに、置換基の体積変化による分子間相互作用の変化に着目することで、スピン転移の形状(転移温度幅)を決める要因について明確な議論ができた。つまり、置換基サイズを制御することでスピン転移の形状を制御できたといえる。この研究では、スピン転移の特性のひとつである転移幅について議論したが、このように配位高分子を対象とするアプローチにより、さらにはスピン転移温度およびスピン転移率の問題に関しても、同様の検証が可能になると考えている。現在、包接化合物におけるゲスト分子の吸脱着もしくは加圧・化学格子圧によるSCO挙動の変化に関する研究もあわせて行っている。