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女性科学者の先駆 猿橋勝子氏

女性が理系の道を選ぶことも困難な時代に、地球化学の分野で世界的な業績をあげた猿橋勝子氏。東邦大学理学部の前身である帝国女子理学専門学校のご出身で、物理学科の第1回生であります。

略歴

      
大正 9年 3月22日 東京に生まれる
昭和16年 帝国女子理学専門学校創立 第一期生として物理学科に入学する
昭和18年 帝国女子理学専門学校物理学科卒業
中央気象台に就職
昭和32年 理学博士の学位取得(東京大学)
化学系で女性初の理学博士となる
昭和33年 「日本婦人科学者の会」(現:日本女性科学者の会)の設立に携わる
昭和42年
~平成3年
学校法人東邦大学理事、客員教授
昭和55年 日本学術会議会員に女性として初めて選ばれる
「女性科学者に明るい未来をの会」を設立
「猿橋賞」創立
昭和56年 エイボン女性大賞を受賞
昭和60年 三宅賞(日本地球科学協会)を受賞
平成19年 9月29日、87歳で逝去

帝国女子理学専門学校

帝国女子理学専門学校
ドイツ留学中に日本の女性への自然科学教育の遅れを痛感していた額田豊・晉先生は、医学専門学校(大正14年開設)、薬学専門学校(昭和2年開設)に続いて昭和16年に帝国女子理学専門学校を開設しました。
当時日本国内では昭和16年12月の日米開戦に向けて戦時色が増してきており、男子技術者の多くは徴兵や軍需工場などへ投入され理工系の知識を持つ女性育成が急務とされていました。そのため、理学専門学校として女性にわずかな門戸が開かれることになったのです。
昭和16年3月3日に設置認可を受け、翌月には第1回生の入学式を行いました。数学科・物理学科・化学科・植物学科・動物学科・生理衛生学科の6学科が設けられ、本格的な理学教育を目指した専門学校でした。

「死の灰」研究

猿橋先生は帝国女子理学専門学校在学中より中央気象台の三宅康雄氏に研究指導を受け、昭和18年に帝国女子理専を卒業したのち三宅氏の研究室に就職しました。
戦後、昭和29年にアメリカが行った水爆実験によって日本の漁船「第五福竜丸」が被災する「ビキニ事件」が起こり、海洋における放射能汚染が問題となります。猿橋先生は三宅氏とともに研究室で核実験からの放射性降下物の研究を開始し、海水中の人工放射性元素の測定を世界に先駆けて行いました。
その後も核実験によって成層圏に撒き散らされた放射性物質「死の灰」が数年かけて地上に降り注ぐ現状を分析、科学者として放射性物質の危険性を世界に向けて訴えていくようになります。

女性科学者の支援

『女性として科学者として』

猿橋先生は、自身が女性科学者として多くの困難に出会ったことから、その生涯にわたって後進の女性研究者支援を行いました。


「研究室の中ではたらいているかぎり、私は女だからといって、不平等にあつかわれたことは一度もない。しかし、研究室の中とはことなり、 一歩外に出ると、不愉快な目にあうことは、しばしばであった。 その不愉快さの原因は、学問研究それ自体と直接かかわりのあるものではない。」

猿橋勝子『女性として科学者として』


女性研究者が職を得る際の不平等や不当な地位の低さ、家事育児を軽減する社会施設の不備など、女性研究者がおかれている現状をいち早く認識し、それらの改善のために国内外で活躍をされています。

日本婦人科学者の会

日本発の女性科学者のための全国組織。昭和33年に湯川秀樹博士や平塚らいてうなど「世界平和アピール七人委員会」の要望により猿橋先生が事務を取り仕切り創設されました。
「女性科学者の友好を深め各研究分野の知識の交換を図り、女性科学者の地位の向上を目指すと共に、世界の平和に貢献すること」を目的としており、昭和39年にニューヨークで開かれた「第1回国際婦人科学者・技術者会議」に会員を派遣するなど国際的な活動を行っています。(現・日本女性科学者の会)

日本女性科学者の会

女性科学者に明るい未来をの会 ~猿橋賞~

昭和55年、猿橋先生の気象研究所退官記念に設立されました。猿橋先生は専務理事として退官記念の寄付金を元に「猿橋賞」を設け、現在まで毎年優れた研究業績をあげた女性研究者に賞金を贈呈しています。「女性科学者の未来にひとすじの光を投じ、女性科学者をはげますことができるよう、ねがっている」という猿橋先生の言葉通り、毎年、女性科学者を表彰しています。
創立時の会長には猿橋先生の帝国女子理学専門学校時代の恩師で昭和54年まで東邦大学理事を務めていた湯浅明理学博士が、副会長には帝国女子薬学専門学校の卒業生で東邦大学薬学部長、東邦大学理事を歴任した幾瀬マサ薬学博士が就任しています。

女性科学者に明るい未来をの会